六. コーヒー

『真理の天秤』
著 キャーティプ・チェレビー
訳と解説 G. L. ルイス

 

六. コーヒー

この問題についても、過去には大いに議論されている。これはイエメンに起源があり、たばこと同じように世界中に広まった。イエメンの山中でその土地のデルヴィーシュたちと共に暮らすあるシェイフたちは、この実を qalb wabun と呼び、これを砕いてその果肉を食していた。ある者はこれを焙じ、飲み物にして飲んだ。コーヒーは冷性で乾性の食物である。禁欲生活に適しており、欲望を鎮静化する。イエメンの人々はこのことを互いに人伝てに学び、のちにシェイフやスーフィーその他が使用するようになった。

それが小アジアに船でもたらされたのは九五〇年(1543年)頃のことである。反応は敵対的なもので、これを禁ずるフェトワが出された。いわく、それが焙煎という過程1を経ているのに加え、人の集まりなどで、手から手へまわし飲みに飲まれるものであるという事実が、堕落した生活を連想させる、とのことである。エブッスウード・エフェンディにまつわる話によれば、彼はコーヒーを運んできた船の横腹に、大穴をぶち抜いて貨物を海に投げ込んだと伝えられている。しかしこうした非難や禁止令は、何の役にも立たなかった。コーヒー・ハウスが一軒、また一軒と開店すると、人々は大いなる渇望と情熱を抱いて集まり、これを飲んだ。とりわけこれを愛飲する常習中毒者たちは、これぞ生きるための活力、喜びの源と見なしており、このカップ一杯のために死ぬ気まんまんだったのである。

以来、ムフティーたちはこれは許されていると述べるようになった。故ボスターンザーデが詳細なフェトワを発令した。しかも韻詩で、である。2そうしたわけでコーヒー・ハウスも、ある時は禁じられたり、またある時は許されたりといった具合に、数年の間に様々な運命を経験することになった。一〇〇〇年(1591-92年)以降、ようやく禁じられることはなくなった。至るところで自由に開店されるようになり、街角ごとにコーヒー・ハウスが見かけられるようになった。

人々は仕事もそっちのけで、物語の語り屋や楽師に気を取られるようになった。生計のために働くことを厭う風潮が生まれた。更に王子から物乞いに至るまで、誰もが遊興で刃傷沙汰を起こすようになった。一〇四二年(1633年)の終わり頃、こういった状況に気づいた故ガーズィー、スルタン・ムラト四世が、人々に対する慈悲と恩情から命令を布告した。帝国の領域全土に渡ってコーヒー・ハウスが解体され、以来開店することはなかった。それ以降、首都のコーヒー・ハウスは無知な者の心のごとく、虚しく淋しいものとなった。再開に望みをかけた店主たちは、しばらくの間は店を解体せず、ただ閉ざされるがままにしていた。後々になって、全てとまではいかずとも、その大部分は取り壊され、別の種類の店に変わってしまった。しかしイスタンブル郊外の都市や町では、以前の通りに再び開店した。すでに述べた通り、このような事柄は永遠に禁止しておけるはずがないのである。

さて、コーヒーそれ自体について説明しておこう。コーヒーが冷性で乾性であることは明らかである。Tadhkira 3に収録されている、アンティオキアのダーウードの記述によると、熱性で乾性であるとのことだが、これは一般的には受け入れられていない。これを水の中で沸騰させ、抽出したものでさえ、その冷性が損なわれることはない。水も冷性であることから、おそらく増加するものと考えられる。ただし、乾性はある程度は減少する。たとえるならば本来は三の乾性であったものが、二の湿性を持つ冷性のものと混ぜ合わされて乾性が一奪われれば、残る乾性は二である。この乾性によって眠気が撃退される。正の利尿作用があるが、気質により効果は異なる。

乾性の気質を持つ者、特に憂鬱の気質の者には大量の摂取は不適切であり、不快感をもよおす場合がある。過度の摂取は不眠や鬱々とした不安を引き起こす。少量を飲用する場合でも、砂糖を加えて飲まれたい。

湿性の気質を持つ者、また特に御婦人には非常に適している。大量の、濃く淹れたコーヒーを飲用されたい。憂鬱症の者でない限り、どれほど飲んでも害はない。

 


1. これら複数のフェトワのうちひとつは、R. E. Kogu著Osmanli Tarihinde Yasaklar(イスタンブル、1950年)にその一部が引用されている。「何であれ炭化するに至ったものなどつまり炭であるから、絶対的に禁じられる」。アドホック・ルール?

2. ボスターンザーデ・メフメド・エフェンディは、1589年4月から1592年5月までシェイヒュル・イスラムだった人物。1593年7月に再任し、1598年4月に亡くなるまで同職を務めた。韻詩はアラビア語とトルコ語で書かれた。

3. Tadhkirat uli’l-albab (『賢者の心得』)。ダーウード・イブン・ウマル・アル=アンタキー(1597没)による著名な医学書。