其の三.

『直観』
著 アフマド・ガッザーリー
訳と解説 ナスロッラー・プールジャヴァディ

 

其の三.

(1) 時として、精神は愛という樹木が育つ大地のようである。時としてそれは愛という属性を持つ本質のようである - 属性は本質から派生し、本質を通じて存在する。また別の時には、精神は伴侶のようにもなる。こうして、同じ館に住まう機会を得るのである。更に別の時には、愛が本質となり、精神がその属性となって、本質である愛を通じて存在するといった場合もある。しかし誰しもがこれを理解するわけではない。何故なら、これは消滅 mahw1 の後に現れる二度めの確証 ithbat2 の領域に関わる事項だからである。この事実は、「消滅前に確証」した領域にある人々にの目には歪んで見える。

彼らが泥と水を混ぜ、私をかたち作ったとき、
彼らはうっかり、きみの愛を私の精神の材料とした
けれど運命の筆がインクに浸されたとき、
彼らはきみの美と私の愛を、向かい合わせに配置した

(2) 時として愛は空であり、精神は大地である。降り注ぐのが何であるかは、時の命ずるところによる。時として愛は種子であり、精神は大地である。そこではあらゆるものが育つ。時として愛は鉱脈に隠された宝石であり、精神はその鉱脈である。宝石も、鉱脈も様々である。時として愛は精神の空における太陽であり、太陽がそうであるごとくにひかりかがやく。時としてそれは精神の風にさらされた炎となり、炎がそうであるごとくに燃え広がる。時に愛は、精神という馬の上に据えられた鞍となり、誰かしら乗り手が現れるのを待っている。また時に愛は、反抗的な馬の口に噛まされたくつわとなり、思い通りの方へその頭を向けさせる。時として、それは最愛なる者の一瞥という激烈 qahr な鎖となって精神を束縛する。また時として、それは時が振るう暴力 qahr の口が持つ混じりけのない毒となり、選ばれてしまった者2を噛み殺す。これについては以下のように云われている。

私は言った、きみの顔を私から隠さないでくれ、
きみの美しさを、私に分け与えてくれ
彼女は言った、傷つくことが怖くはないの?
あなたの心に何が起こるか分からないでしょう3
愛は災いの元、いつでも短剣を抜くでしょう

(3) これらは全て、知識の光に照らし出された時 waqt の表出である。浜辺がその限界であり、この大海4の深さとは何の関わりも無い。知識に属する記述、説明、理解には限界があるが、愛の輝きがそれらを超越することについては以下の通りである。

愛は隠されており、誰ひとりとして暴かれたところを見た者はいない
一体、恋人たちはいつまで無駄な自慢話を続けるつもりなのだろうか
気まぐれな者は、自分勝手な物語を仕立てあげ恋に落ちたと吹聴する
あらゆる想像を超越し、あらゆる物語から自由なのが愛だというのに
「これ」や「それ」と、指し示すことは出来ないのが愛だというのに

(4) 空中を舞う塵の存在は知覚できるし、それを捉えるのが難しいことは明らかであるが、これら二つは日光の加減に左右される。

あなたは太陽、われらは塵
あなたが顔を見せない限り
われらの姿も隠されたまま
いつまで顔を覆うつもりか
山の後ろから出てきてくれ
一瞬でも、姿を現してくれ
われらが姿を現せるように

 


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