コーランより
……喜びにつけ悲しみにつけよく施しをなし、怒りを抑え、すすんで人を赦してやる人たち……神は善をなす人々を愛したもう。(3章134節)
伝承より
預言者は言われた。「あなたがたの中で、もっともゆるぎなく力強いのは誰かについて話しましょうか」。彼らは答えた。「神のみ使いよ、どうぞ話してください」。それで預言者は言った。「あなたがたの中でもっとも力強く、もっともゆるぎない者とは、すなわち幸福なときに、幸福であるがゆえに気がゆるんで過ちを犯したりすることもなく、また怒っているときに、怒っているからといって真実を語らずにいることもなく、またどのような場合であれ権力を持ったからといって、法を越えて権力を振り回したり、しがみついたりしない者のことです」。
イマーム・アリーは言われた。「人の知性が試される、六つのものごとがある。すなわち怒りをおぼえたときの寛容さ、恐怖を感じたときの忍耐強さ、欲望がこみ上げてきたときの熟慮、ありとあらゆるときの信仰と温和さ、そして論争からは可能な限り距離を置くこと」。
作者のひとこと
ティーンになったばかりの頃のぼくは、自分よりも目下の立場の人々に対して怒りをぶつけるのは力強さのしるしだ、と考えるタイプの人たちに影響されていたのを今もおぼえている。ぼくは彼らの真似をした。それが正しい態度だと思っていた。そんなある日、『ナフジュル・バラーガ』のこの物語を読む機会が訪れた。それがぼくのターニング・ポイントになった。怒りをあらわにするのは力強さの証明なんかじゃないことが分かった。怒りが刺戟されたときにどう対処するかについて、ぼくはこの物語の影響を大きく受けるようになった。