ユダヤの王とキリスト教徒

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

ユダヤの王とキリスト教徒

ユダヤの民を治める王がいた。王はイエスの敵であった。圧政を敷き、キリスト教徒達を弾圧した。

それはイエスが拓いた時代であった、時はイエスの側にあった。彼はモーセの魂であり、モーセの魂は彼であった。彼らは二人ながら神の道を歩む者であった。だがやぶにらみの王はそれを認めなかった。彼は引き裂いた、二人の聖なる預言者を。

師がやぶにらみの弟子に言う、「おまえ、あちらの部屋に行って、瓶を取ってきておくれ」。やぶにらみの弟子が師に言う、「お師匠さま、瓶は二つございます。一体どちらの瓶をご入用で?」。

「瓶が二つあるはずがない」、師は答える、「いいから行け、行って瓶を持って来い」。「私を責めるのはやめて下さい、お師匠さま」、と弟子。「ええい、いいから瓶を持って来い。二つのうち一つは叩き割ってしまえ」、と師。弟子の眼には二つに映るが、瓶はもともと一つしかない。彼が瓶を壊すと、もう一つの瓶も無くなってしまった。一つが壊された時に、両方が視界から消え去った。

人は誰しもやぶにらみになる、極端な方向へ偏ったり、あるいは怒りが生じた時などに。怒りと欲望は人を乱視にさせ、厳正な精神から離れさせてしまう。独りよがりの利己主義が現れるとき、美徳はその陰に隠れる。百のヴェイルが心中より生じて眼を覆う。賄賂に心を売り渡した裁判官に、不正と、その哀れな犠牲者とを見分けることなど出来はしない。

ユダヤの王をやぶにらみにさせたのは、彼自身の悪意であった。我らに何が出来ようか? - 「お慈悲を、主よ、お慈悲を!」。悪意より救い給え、我らを、彼を!数えきれない(無実の)信者達を彼は殺した。全ては彼の誤解であったのに。彼は言った、「我こそは宗教の保護者。我こそは、モーゼの道を守る真の信者なり」と。

 

さて、王には宰相があった。王に尾を振る卑屈な悪党。水をも騙して結び目を作りかねない狡猾な男であった。「キリスト教徒共は」、彼は言った。「生き延びようと必死です。彼らの宗教を、王の眼から隠そうと企んでいる様子」。

「殺戮をお控えなされ。一人、二人と殺したところで埒は明きませぬ。麝香や伽羅と違って、宗教には匂いというものがない。秘密は百枚ものヴェイルの下に隠されてあるもの。外面などいくらでも取り繕えましょう。王に服従していると見せかけ、王のお気に召すよう振る舞い、だが内面には常に反逆をはらみましょう」。

王は宰相に言った。「そのような虚偽と背信は何としてでも断ち切らねばならぬ。言え、おまえに策はあるのか?信仰を表わす者であれ、隠す者であれ。どちらであれ、キリスト教徒を一人残らずこの世から放逐せねばならぬ」。

「おお、偉大なる王よ」、宰相は言った。「わが両耳と両の手を切り落とし、鼻を削ぎ落とされよ。能う限り残虐に命ぜられよ。それから私を絞首台の下へ連れて行かれよ。誰かしらが、私のために命乞いをするでしょう。これは多くの民の眼前で行なわれねばなりませぬ。四方から道の交差するところで行なわれねばなりませぬ。それから私を、王の傍から遠い土地へ追放するよう命ぜられよ。私は民に紛れ込み、彼らの間に騒擾と混乱の種を植えましょう」。

 

「私は民にこう言います、 -

『今日の今日まで隠していたが、実は私はキリスト教徒なのだ。おお、神よ!全知の御方ならばご存知でしょう。私の信仰を知った王が、怒り狂って私の命を奪おうとしたのです。私は信仰を隠し通し、王には王と同じ宗教を信仰すると申し上げたのに。けれど王は私に近づくと、私が心の奥深くに秘めていた信仰を嗅ぎ取りました。そして私に疑惑を投げかけたのです。

王は私に言いました、 - オマエノ言葉ハぱんニ潜ム針ノヨウダ1。我ガ心臓トオマエノソレハ、一ツノ窓デ通ジテイルノダゾ。窓ヲ開ケレバ、オマエノ考エテイルコトナド見通シダ。私ハオマエノ思考ヲ見ル、オマエノ言葉ニ惑ワサレハセヌ -  イエスの魂は私を救いませんでした。ユダヤ教徒の流儀に倣って、彼は私を引き裂いたのです。

イエスに対する無限の服従を示すため、私は私の人生も心も、私の身をも捧げました。私の命などイエスに捧げて惜しくはなかった。とは言うものの、私はこうして生き存えております。幸いなことに、彼の宗教に関する知識ならば私は精通しています。無知な人々によってこの聖なる宗教が滅ぶのは、私にとって堪え難い悲しみです。

- 神に讃えあれ、イエスに讃えあれ。私をして真実の信仰の伝道者とされました。私はユダヤ人とユダヤ教を完全に離れ、キリスト教徒の腰帯を締めた者。これからはイエスの時代です。人々よ、良く聴きなさい、私があなた方に彼の宗教の秘密についてお話ししましょう!』」。

王は宰相が申し出た策略を実行した。人々は彼の行いにただ驚愕するばかりだった。王は彼をキリスト教徒達の許へと追い払った。何もかもが策略通りだった。彼(宰相)はやがて、人々に帰依を呼びかけ始めた。

 

最初は少数だった。だがやがて無数のキリスト教徒達が、彼の許を訪れ彼を取り囲むようになった。彼は福音と腰帯と礼拝について説教をした。表面的には、彼は宗教の教義に関する伝道者であったが、内面的には口笛を罠に鳥をおびき寄せる鳥撃ちそのものであった。

このような事を危惧して、かつて教友2のうち幾人かが、預言者に教えを乞うたことがある。虚偽を行なわせる悪鬼のごとき心を、欲を、いかにして知るのか、と。彼らは言った、「崇拝の行為において、また精神上の献身において。自己愛や私利私欲が、こっそりと何かを紛れ込ませないとも限りませぬ」。

彼らが探し求めていたのは「信仰の美徳」ではなかったし、また外面上の瑕瑾などいささかも気に留めてはいなかった。だが欲が行なわせる欺瞞が入り込む隙については見逃すまいとした。ほんの毛一筋、ほんの微小な染み一点さえ、薔薇と芹とを見分けるように見分けようと心を砕いた。

(預言者が)彼らに訓戒を与えると、教友のうち最も実直かつ慎重な者でさえもが、自らが犯したかも知れぬ過ちを思い、心を震わせ取り乱したものだった。

 

宰相に、キリスト教徒達は心の全てを彼に預けてしまった。全くもって、大衆が盲目的に同じ方向へ突っ走る時の凄まじさと来たら!彼らの胸の内に、彼(宰相)への愛情を育み、彼らは彼をイエスの代理と看做した。実際には、彼は忌むべき隻眼の偽キリストだったのだが。

ああ、神よ!お聴きあれ、災難に苦しむ人々の泣き声を。お応えあれ、最も優れた援助者よ!

ああ、神よ。そこかしこに無数の罠と餌とが仕掛けられてある。そして我らときたら、腹を空かせた大食いの鳥そのもの。それで我らは、次から次へと新しい罠に翻弄され続ける。罠さえ無ければ、それぞれが鷹にも、シームルグにも成り得ようものを。

ほんの少しの間も空けず、貴方が次々と差し出す罠に、我らは何度でも捕えられる ー その繰り返しだ。全てを所有する御方よ、そしてそれ故に「欲する」ことを必要とせぬ御方よ!我らは収穫した小麦を納屋へ積む。積み上げたと同時に、得たはずの小麦を失う。積み上げる前に知恵を働かせておけば、性悪な鼠に小麦を盗まれることもなかっただろうに。だが気付くのは、全てが失われた後だ。

我らの納屋に鼠が穴を開ける。その狡猾さが、我らの納屋を壊して荒す。ならば我が魂よ、小麦の収穫に精を出す前に、鼠の害悪を避けることこそ我らが最初に為すべきことではないか?師の中の師(預言者)に連なるお人が伝えたところによれば、「礼拝は『それ(「存在」もしくは神)に意識を集中する』こと無くしては完結しない」という。

泥棒鼠は、確かに我ら自身の納屋にいるのだ。もしもいないと言うのなら、では我らが四十年積み重ねたはずの小麦3は、一体どこにあると言うのか?あれほど心を込めて誠実に行ない、日々少しづつ積み重ねて来たはずの礼拝が、跡形もなく我らが納屋から消え失せているとは一体どうしたことか?

(善行の)火打石を打ち付けると、沢山の星々(火の粉)がきらめいて飛び散る。心の蝋燭は火花を受け取り、炎を燃え上がらせようとする。だが暗闇にその身を潜める泥棒が、その指で星を、ひとつひとつひねり潰して消してしまう。生まれたばかりの星を、ひとつひとつひねり潰すのだ。これでは(精神の)空を照らすはずのランプも、輝きを灯さず放置されたままになる。我らの足元に残されたのは、幾千もの罠。御方よ、貴方さえ我らの側にいて下されば、何の憂いもなく進めるものを。

貴方は毎夜、肉体の檻という名の罠から精神を解き放つ

染み付いた記憶の埃を、跡形もなくきれいにぬぐい去る

精神は毎夜、肉体の檻という名の罠から解き放たれる

定めの教条や噂話、昔語りにさよならを告げる

毎夜、囚人達は己を繋ぐ牢獄の鎖を忘れる

毎夜、皇帝達は己が手にした権力を忘れる

悲しみもなければ駆け引きもない

あの人、この人を思い煩うこともない -

これぞعارف(アーリフ:知覚者)の状態、

目覚めている時でさえもこの通り、

「実際には眠っているのだが」と、神が申された通り。4

怖れる必要は何もない。

彼は眠り続ける、昼も夜も -

現世に起こる事柄については、

主の御手の裡にある筆のように。

ある人は、書かれたものを眼にしながらも書き手については思い到らぬ。一体、筆が勝手に動くとでも思うのか?御方は比喩を用いてアーリフの、これ、この状態の一部をお示しになる。彼らの魂は地図なき砂漠の彼方へ消え去る。彼らの精神、彼らの肉体は平安と共に在る。だが俗なる者達は、諸感覚の眠りに妨げられて気付かない。

やがて貴方は合図する。魂を肉体の檻という名の罠へと呼び戻し、裁きと審判の場へ連れて行く。その朝、御方の命ずるままに審判の日の太陽が昇る。5イスラーフィールの喇叭が鳴り響き、魂は再び形ある世界に連れ戻される。精神は再び肉体に繋がれる。そして各々、己の行為の重みをその肩に知る。「睡眠は死の兄弟である」という言葉の、内なる意味がこれ。

御方は魂を創り給うた、鞍なき駿馬として。だが同時に、その脚には長い引き綱を括り付けてある。やがて暗闇から目覚め、昼の光に還る時のために。草原から再び呼び戻し、昼の光の許で御方の下された荷を運ぶ仕事を為さしめるために。そも、魂を護り給うたは御方であった。ある時は洞窟に眠る人々に託し、またある時はノアの箱舟に託した。心、そして目と耳を不眠と、意識より生じる形象の洪水から解き放つために。

ああ、洞窟の人よ!6彼らはこの世界のどこかに必ずいる。今この瞬間にも、その人はあなた方のすぐ傍に、すぐ目の前にいるかも知れぬ。洞窟はその人と共に在る、そしてその人の視線の先には『友』が在る。だがあなた方の目も耳も封印されていたのでは、恩恵に授かることは無いだろう。