もう一人のユダヤの王

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

もう一人のユダヤの王

宰相の引き起こした取り返しのつかない大惨事に、人々は治癒の術も薬もなく苦悩した。そこへ追い打ちをかけるように、二代目のユダヤの王が現れた。彼もまたイエスの人々を破滅させようと目論んだ。ここに起きた二度目の騒擾について知りたければ、(コーランを)読め、それはこのように始まる - 「星座にかけて!(コーラン85章1節)」。この二代目の王、彼は邪悪の道に足を踏み入れた。それは前王が拓いた道であった。

誰であれ、邪悪な道を拓く者の行く先には常に呪詛がつきまとう。正しき者がこの世を去っても、為された善はこの世に残るだろう。だが邪悪な者がこの世を去っても、為された不正への呪詛は消え去りはしない。やがて復活の日が訪れるまでの間、それは絶えること無く繰り返される。邪悪な者は自分と同種の者達が残した痕跡に心奪われ、自分の顔をその方角に向けて倦むことを知らない。

水脈は縦横無尽に張り巡らされる。甘い水の走る水脈もあれば、苦い水の走る水脈もある。(神による)被創造物を浮かべて水脈は流れ続ける、やがて(復活の日が訪れ)喇叭の音が鳴り響くまで。正しき者とは、甘い水の走る水脈を継ぐ者。すなわち「書物を継ぐ者(コーラン35章32節)」がそれ。

探求者は乞い願う。乞い願うその嘆きこそが、預言者達の軌跡が輝かせる光そのものなのだ。光は軌跡と共に旋回し跳躍する。徳の光は、やがて継ぐべき軌跡の方向それ自体を照らす。太陽は星座から星座へと移動する。それに併せて、明かりとりの小窓から差し込む光もまたあちらからこちらへと部屋中を駆け回る。

誰であれ占星術に親しむ者ならば、出生を司る惑星や星座に自らの運勢を重ね合わせて楽しむ。金星を支配の星とする者ならば、愛も欲するところも、旅の全ては歓びに満ちたものとなる。火星を支配の星とする者ならば、旅の全ては戦いと敵と流された血に満ちたものとなる。

だが肉眼に映る星座達の向こう側に、別の星座、別の宇宙が広がっている - 燃える尾を引く流星もなく、不吉な影を落とす彗星もない宇宙が。全ての者が既に知る七層の宇宙とは別の、地上からは不可視の宇宙。その宇宙を行き来する星々がある。神の光を内在し、神の光をもって輝きを放つ星々。その軌道は互いに重なるでもなく、かと言って離れるでもなく。

これらを守護の星座とする者ならば誰であれ、その魂はすれ違いざまに異教を焼き焦がして寄せ付けぬ。その情熱は火星を支配の星とする者のそれとは違う。それは自然界の支配から脱した者の情熱。自己の性質を克服し、自己を抑制する者の情熱。

生まれの星座の支配を脱し、光をもって守護とせよ。神の光という二本の指の間に身を寄せ、瑕からも濁りからも守られよ。神は全ての精神の上に、惜しみなく光をまき散らし給う。自らの衣をたくし上げ、この光を拾い集めるのは幸運な者のみ。驚くほど豊かに贈られる光を受取れば、神以外の全てに背を向けて神以外は眼に入らなくなる。

永遠の普遍を見詰め続ける者達がいる、ナイチンゲールが薔薇の周囲でひと時の愛の遊戯を楽しむ間も。雄牛の毛色は肉眼でも識別できよう、だが普遍の探求者達は内在する色調の違いを探求する。色染めの良し悪しを決めるのは、染め桶の純度の高さだ。不正の染め桶に浸されれば、汚れて黒ずんだ邪な色に染まる。悪臭を放つ恥ずべき色目は神の災厄。捉えがたい霊妙な色目こそが、神の色染めと呼ばれるにふさわしい。

海から来るものは海を目指す。そしていつか辿った道を再び還りゆく - 溢れんばかりの奔流となって再び山頂より下り、愛と混じって我らの体と魂を潤す。

 

さて、卑劣なこの王の企てについて物語を続けよう。彼は偶像を打ち建て、その傍に炎を熾した。そして言った - 「頭を垂れ偶像に跪拝せよ。さもなければ火の中に座して焼かれるがいい」。

نفس(ナフス:私利私欲)という名の偶像をたたき壊してしまわぬ限り、それは次から次へと偶像を生じさせる。これが王に下された罰だ。نفسこそは全ての偶像の根源。物質を用いて造られた偶像が鱗きらめく蛇なら、眼に見えぬ観念を用いた偶像は火を吐く巨大な竜だ。

偶像は飛び散る火の粉のようなもの。水をかければ火の粉は鎮まる。だが火の粉を飛び散らせる石と鉄それ自体は、水をかけたところで鎮まりはしない。نفسという名の石と鉄を二つながらに持つ人間が、どうして安穏としていられようか?

偶像とは、水差しに汲んだ濁り水。だが濁り水を噴き上げる泉とは、まさしくنفسに他ならぬ。物質を用いて造形された偶像とは、堰を切って流れる濁り水。源たるنفسからは、濁り水が溢れ続けて止むことを知らぬ。たった一つの石さえあれば、水差しなど百も打ち壊せよう。だが大元たるنفسは、絶え間なく水を噴き上げ続けている。

偶像を破壊するなど赤子の手をひねるようなもの、単純過ぎて話にもならぬ。نفسを制御し得たと豪語するなど阿呆の戯言、これもまた単純過ぎて話にもならぬ。友よ。もしもنفسの姿について知識を求めるのならば、その時は読め、地獄と、それに備えられた七つの門の物語を。

今この瞬間にも、نفسより生じる欺瞞と策略の行為が繰り広げられている。百人、二百人のファラオとその追従者達が、嬉々として欺瞞と策略に溺れている。モーゼと共に、彼の信奉する神の御許へ避難せよ。信仰の水を一滴たりともこぼすな - それこそファラオの思うつぼだ!唯一の御方に忠実であれ、その手をアハマド(ムハンマド)に預けよ!アブー・ジャフル(ムハンマドを迫害した人物)は肉体の罠だ。兄弟よ、罠から逃げ出せ!

 

ユダヤの王の追従者達が、偶像の前に母と子を引き連れ追い立てた。炎がひと際高く燃え盛った。彼らは子を母から引き離し、炎の中へ投げ込んだ。母は恐怖した。恐怖はたちまち彼女の心臓に達し、そこに在った彼女の信仰を引き掴んでえぐり出した。彼女が偶像の前に崩れ落ちて、跪拝しようとしたその瞬間、炎の中から子が大声で叫んだ - 「僕は生きているよ!」。

「こちらへおいで、母さん。とても楽しいよ。怖がらないで。外からは炎のように見えても、それは見た目だけのこと。炎はふるいのようなもの、真実と虚偽とを選り分けるためのもの。見てごらん、襟に埋もれて隠れていた神の慈悲が、その頭を覗かせているのを。

こちらへおいで、母さん。そして見てごらん、神の御しるしを。神の選ぶところを見てごらん、きっとあなたの気に入るだろうから。こちらへおいで、炎の外見を持つ水の中へ。そして見てごらん、この中から世界を。水の外見を持つ炎を、人々が有り難がって飲んでいるのが見えるよ。

こちらへおいで、そして見てごらん、隠されていたアブラハムの秘密を。彼は炎の中にジャスミンと糸杉を見出した人だ、あなたも良く知っている通り。生まれたその瞬間に、僕はすでに死を経験している - 何しろあなたが僕を産んだ時、僕が初めて見たものは僕自身の墓石。

あなたの子宮から転げ落ちることを、僕はどれほど恐怖しただろう!けれど生まれてみて、実は子宮が狭く暗い牢獄に過ぎなかったと知った。この世界の心地よい大気と、美しい景色がそう教えてくれた。今こうして炎の中から見る世界は、僕に子宮を思い出させる。僕が探し求めていた静寂は、この炎の中にこそある。

ここには生もなければ死もない。世界を満たす原子の全てに、イエスの息が内在しているのがはっきりと分かる。ほら、眼に見える世界は幻に過ぎない - 幻を剥がしたところに本当の世界が存在している。こちらへおいで、母さん。『母』たる者の名において、あなたにはその権利がある - あなたは炎をきちんと『視る』べきだ。そして『知る』べきだ、それは恐怖するに値しないことを。

こちらへおいで、母さん、至福とは何かを知るために。こちらへおいで、母さん。運命の手綱は自ら握るもの、どうか手綱を滑り落としてしまわないで。王の力の卑劣さは、もう十分に見たのでしょう?こちらへおいで、そして見てごらん、神の力の優しさを。

僕は歓びの道を歩もうとしている。けれど母さん、あなたを哀しみの中に置き去りにすることが出来ずに踏みとどまっている。この道を一歩でも踏み出してしまえば、歓びのあまり、あなたのことなど忘れ去ってしまうだろう。こちらへおいで、あなたも、他の誰でも招こう。僕たちの真の王は気前の良い御方。見てごらん、炎の中に広げられた祝宴の席には限りというものがない」。

来たれ、信じる者たちよ。
このعذوبة(アズーブ:甘美)に比べれば、
他の全てはعذاب(アザーブ:懊悩)に過ぎない。
来たれ、信じる者たちよ。
炎に飛び込んで翅を焦がす蛾のように集え。
ここには永遠の春がある、尽きない恵みがある。

彼は人々に向って大声でそう呼びかけた。呼びかけは、人々の魂を畏敬の念で満たした。男も女も同様に、次々と迷うことなく彼ら自身を炎の中へ投げ入れていった。誰かに追い立てられたのでもなければ、引き摺り込まれたのでもなかった。あくまでも自らの意志において - 得難き友(神)への愛のためにそうしたのだった。あらゆる苦味にも優る甘味は、かの御方との友情をもってのみ得られるのだから。

こうなると企ても台無しだ。「駄目だ、駄目だ、炎に入るな!」王の追従者たちは人々を追い払って言った。王は驚きのあまり言葉もなかった。彼の顔は恥で覆われどす黒く変色した。自分の企てが仇となり、人々の信仰を強めてしまったことを激しく後悔した。

神にこそ称賛あれ、悪魔は自らの仕掛けた罠に捕えられた。神にこそ称賛あれ、悪魔は自らが辱められる様子を見せつけられた。王が人々の顔にこすりつけた屈辱の砂は、そっくりそのまま悪党の顔の上にうずたかく積み上げられた。彼は人々のまとう信義と高潔の衣を引き裂こうと必死だった。だが人々を害することは叶わなかった。彼が夢中になって引き裂いていたのは、自分自身の衣だったのだ。