小さな聖戦、大きな聖戦

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

小さな聖戦、大きな聖戦

国々を統べる王侯諸君よ!我らは実に多くの外敵を滅ぼした。
だが今や、外敵よりもなお悪い敵が我ら自身の内に育ちつつある。
真に我らを滅ぼすのは外にある敵ではない。内にある敵である。

この敵に打ち勝つことは、理性と知性のみに頼って叶うものではない。
心に棲むライオンは、兎の知恵をもって制圧されるものではない。
心に棲むライオン、心に巣食う自我は、まさしく地獄そのものだ。

地獄とは火を吐く竜のよう、
これは水をもって制することの出来るものではない。
鎮めようとしたところで、この竜は七つの海をも飲み干してしまう。
この竜は、全てを燃やし尽くしたとしても決して満足することがない。

石のように頑な心を持つ者は、まさしく地獄の住人である。
彼らは決して満ち足りるということがない。
それは辛く恥ずかしく、そして悲しいことである。

彼らが住まう地獄もまた、食べても食べても満ち足りるということがない。
その日(※審判の日)、神は地獄に尋ね給う、「いっぱいに満ちたのか」。
地獄は返答する、「まだまだ、送り込まれる者はありますか?(コーラン50章30節)」。

「いっぱいになったのか、いっぱいになったのか」。
「なんのなんの、ご覧の通り」、地獄は返答する。
「業火もまだまだ衰えずに勢いよく燃え盛っております」。

全世界を一口でぺろりと平らげて、それでもまだまだ足りない。
空いた下腹をかかえて地獄は返答する。
「まだまだ、送り込まれる者はありますか?」。

「何処」という場所に属さぬ領域に座したもう神が、
それを聞いてとん、と足を踏む。
「『在れ』とただ一言だけ命ずれば、たちまちにしてそれは在る(コーラン15章1節他)」。

我ら自身の欲望ほど御し難いものはない。
地獄とは、決して遠いところにあるものではない。
我ら自身の一部分が、分かち難く地獄を作り出す一部分である。

これを御する全ての力を持っておられるのはただ神のみ。
我らを蝕むこの欲望を、打ち砕く弓の射手は神を除いて他にない。
的を狙って、正確に飛ぶ矢を放ち給うのはただ神のみ。

我らの矢では届かない。我ら自身の欲望に染まって曲がり、矢じりもすっかり錆び付いている。
まっすぐに立て、神の矢のように。神の弓から放たれるように。
一たび放たれたならば、戸惑いも疑いも無用だ。ひたすらまっすぐに的へと飛べ。

外敵との戦いから帰還した今、我らはいかにあるべきか。
我らの顔を、我ら自身の心の内へと向けるべきではないか。
我ら自身の内なる敵と戦う時が来たのだ。

国々を統べる王侯諸君よ!もう一度、我らの預言者の言葉を思い起こせ。曰く、
「我らはالجهاد اصغر(ジハ一ド・アスガル:小さな聖戦、武器を持って外部の敵と戦うこと)を去ろう」。
「そしてالجهاد أكبر(ジハ一ド・アクバル:大きな聖戦、自らの内なる我欲と戦うこと)へ向おう」。

あなた方も確かにこの言葉に聞き覚えがあるはずだ。
この言葉を耳にしたはずだ。
そしてその上で、預言者に従うと誓ったはずではなかったか。

私は祈る。神よ、真の強さを与え給え。助け給え。
たとえカ一フの山肌が針のむしろとなろうと、それでも私を登らせ給え。
頂上へと辿り着く道を探し出させ給え、この山を登り続けさせ給え。

敵の首をいくつ刎ねようが、それが一体何だというのか。何に勝ったことになるのか。
ライオンの、殺戮者としての顔のみを見て「百獣の王」と褒めそやすのは恥ずべきことと知れ。
己自身を制する者こそが真の王、真の勝者の称号にふさわしいのだ。