バウルの息子バラアム

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

バウルの息子バラアム

その昔、バラアム・イブン・バウルが神にこう祈った - 「モーセとその民を追放して下さい。彼らの願いなど、何ひとつ聞き入れないで下さい」。祈りは答えられた、ただし彼が望むのとは別の形であったが。

昔々のことだ。バラアムはあたかもイエスのようであった。ひん死の病人を生き返らせることも出来た。それで彼の周囲にいた人々は、のちのちイエスの周囲にいた人々もそうしたように、彼を崇拝した。彼らはバラアム以外の、何ものにも従おうとはしなかった。それがバラアムを高慢にさせた。その驕りが、自惚れが、彼にモーセを敵対視させることとなったのである。

話の顛末 - 彼の凋落 - については、あなた方も良くご存知の通り。そう、本当にどこにでも転がっている話だ。しかしこの種の、誰にでもすぐにそれと分かる「お決まりの、よくある話」というのが、一向に無くなる気配がないというのはどうしたことか。

それが表沙汰になるものであれ、こっそりと闇から闇へ葬り去られるものであれ、世の中は無数のイブリースやバラアムに類する話であふれ返っている。神は彼ら二人を悪名高き者となされた。彼ら以外の人々 - すなわち私達が、彼らの話から教訓を学び取るためにである。

御方は彼ら二人の盗人をいと高い絞首台に掛けたもうた。それを見て、潜んでいる盗人の多くは、御方の報復の凄まじさに怖れをなして青ざめた。彼ら二人は、前髪を掴まれ都中を引き摺られ続けている - しかしそれでもなお、悪事を為して御方のお怒りを蒙った者が数えきれぬほどいるのはどうしたことか。

神はあなたを愛したもう。だがそれも、あなたが超えてはならぬ一線を超えぬからこそのことだ。神を畏れよ、神を畏れよ。超えてはならぬ一線を超えるな、あちら側に足を踏み入れるな。神の愛したもう者を傷つけようとすれば、たちまちのうちに地の下よりも更に低い下へと落とされることになろう。

アードの民の物語を忘れたか?サムードの民の物語を忘れたか?あなた方も知る通り、彼らは預言者達を軽んじたことによって滅ぼされた人々だ。彼らの物語は、預言者達に対する神の愛の深さを知らしめるものである。彼らの物語は地震や稲妻、砕け散る岩山によって締めくくられるが、それらは全て道理にかなった精神の力、知性の威力を象徴しているのである。

では知性とは何か?ヒトは多くの動物を殺し、その生命を得ることによって自らの生命を購っている。ではそのようにして購われたヒトの生命は、何のために捧げられるべきだろうか。 - ヒトの生命をもって全うすべきもの、それが知性である。

私達が個人的に有する個別知性、これも知性のひとつではあろうが、しかしこれはあまりにも未熟であり脆弱に過ぎる。そうではなく、全的知性、あらゆる個別知性の根源の根源たる知性について私は言っているのである。

全的知性の正統な継承者が、すなわち預言者達である。私達ヒトは、彼らを通して全的知性を知る。動物達は、ヒトにとっての預言者達のごとく従うべき知性を持たない。私達ヒトと彼ら動物を違えるものはまさしくこれ、知性の有無に他ならぬ。

そして私達ヒトが、彼ら動物の生命によって自らの生命を購うことを是とするのも、知性の働きによるものに他ならない。野生のけものは、時としてヒトに敵対する。敵対され襲われれば、ヒトはけものを屠る。その時、野生のけものの名誉が考慮されることは無い。

- さて、わが友人達よ。あなた方にとっての名誉とは何であろうか。いつ、いかなる場合にそれは考慮されるべきだろうか。「貧者達に食事を与えず」、「空虚な者と空虚なことに夢中になり」、やがて起こるべき事が起きた後で「まるで逃げまどうロバのよう(コーラン74章44、45、50節)」にふるまう者に、一体どのような名誉を認めるべきだろうか。

ロバにはロバの使い道がある。それが有用である限り、生かすに越したことはない。しかしそれが野獣のロバならば、屠ることは私達にとり合法である。無知こそがロバに課された宿命とは言え、神が定めたもう一線である限り、それは決して超えることの出来ない一線なのだ。

ロバでさえも見逃されぬ。どうしてヒトが見逃されようか。ロバとヒトは違う、ロバとヒトとは同列に語り得ぬ、などと考えているようなら、わが友人達よ、それこそとんでもない思い上がりだ。全的知性の発する言葉に耳を傾けず、道を逸れて野獣のごとくふるまい滅ぼされた民の物語をもう忘れたのか?

滅ぼされる民には、滅ぼされるなりの理由がある。かくして信じぬ者の血が流される、知性に背き、知性に仇を為した者の血が。その妻が、その子が、戦利品として生け捕られてゆく。

全的知性から逸れれば、個別知性も役には立たなくなる。個別知性も役に立たなくなれば、野獣の地位に落とされる - 真実に背く者が、ヒトの地位に安閑としていられる道理は無いのである。