終)もう一人のユダヤの王

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

続)もう一人のユダヤの王

驚くべき光景を目の当たりにしても、だがユダヤの王の口から出たのは嘲笑と否定の言葉のみだった。王の側近達は言った、 - 「これ以上はなりませ ん。限度を超えてはなりません。頑迷の馬を、これ以上遠くへ走らせることはなりません」。これを聞くと、王は側近達を手鎖に繋いで幽閉してしまった。不正 の上に、新たな不正を積み重ねたのだ。

そのために、それはとうとう限界を超えた - 「下衆め!汝、そこを動くな。報いを受取れ」。人々は確かに崩落の音を聴いた。その直後、炎が肘四十本ほどの高さまで燃え上がった。炎は環となり、王とその追従者達を取り囲んで焼き滅ぼしてしまった。

炎によって始まった物語は、こうして炎によって締めくくられた。炎を出自とする者達もまた、最後にはその起源へと還って行った。彼らの熾した炎は信じる者を焼き尽くすこと叶わず、焼き尽くされたのは炎を熾した彼ら自身であった。

王は地獄の炎を母に持つ者。その胎内が、彼を閉じ込める牢獄となった。だが「母」とは、多かれ少なかれそうしたもの。木の根も幹も、常に枝や葉を追い求めて縛り付けようとするもの。

溜 池に閉じ込められた水があれば、風がそれらを飲み尽くすだろう。水は風に飲み尽くされて、かつて属していた場所へ、その起源へと還されるだろう。水の一滴 また一滴が、風に飲まれて空を漂う。溜池のくびきから放たれて自由の身となる。少しづつ、ほんの少しづつ行なわれるこの脱獄に、気付く者などありはしな い。

そして我らの魂もまた。息を一つ、また一つ。吸っては吐く息毎に少しづつ、ほんの少しづつ世界という牢獄から解き放たれる -

善キ言葉ヲ話セ、善キ言葉ノ香気ハ神ノ高ミニサエ昇ル。

神ガ何処ニオラレルノヤラ、ソレハ神ノミガゴ存知。

善キ言葉ヲ話ストハ、

スナワチ吐息ヒトツニモ真心ヲ込メルトイウコト。

ソレガ我ラヨリ神ヘノ捧ゲモノダ。

神ハ無駄ニハナサラナイ。

我ラノ吐息ヲ受ケ取ッテ、永遠ノ館ニ住マワセル。

ソレカラ、我ラノ近クマデ降リテ来ラレル。

我ラノ語ル善キ言葉ヘノ報奨ヲ授ケテ下サル。

報奨ヲ倍加シテ下サル。

マコトニ神ハ慈悲深キ御方。

ソレカラ、我ラニ<力>ヲ授ケテ下サル、更ニ善キ言葉ヲ話ス<力>ヲ。

既ニ話サレタ善キ言葉ニ加エテ、コレカラ話サレル善キ言葉ヲ。

既ニ得ラレタ善キモノニ加エテ、コレカラ得ラレル善キモノヲ。

ソウシテ、我ラト神トノ間ヲ善キ言葉ガ行キ来スル。

善キ言葉ガ絶エズ上昇シ、マタ下降スル -

繰リ返サレルコノ上昇ト下降、コノ循環ヲ決シテ終ワラセテハナラヌ。

-  アラビア語はここまで。さて、言葉をペルシャ語に戻して話を続けよう。 - 善き言葉も、それを発する魂も、何故かくも神に引き寄せられるのだろうか? 何故なら、全てのものは自分と同じ種を求めずにはおられないからだ。元いた場所へ還らずにはおられないからだ。以前に味わったあの充足を、求めずにはおら れないからだ。

人々は両の眼を忙しくあちらからこちらへと動かす。いつか遠い日々に、彼らを満たしたあの歓びを探し求めている。歓びを与え てくれる数々のなぐさみは、確かに一つひとつ違うもののように見える。だがそれらを仔細に観察すれば、実は全て同根であることが分かる。この世には、歓ば せ、楽しませるありとあらゆる手段が揃っている。だが歓びそのものは一つだ。様々な種類、様々な手段に分たれてはいても、歓びそのものを分つことは出来な い。

例えば水もパンも、我らと同種とは言い難い。だが我らがそれを飲み、食べて我らの肉体に取り込んでしまえば、我らそのものになる。食べ る前は我らとは似ても似つかない。だが食べ終わってしまえば、肉体の、ここはあの時飲んだ水、ここはあの時食べたパン、などと分かつことは出来ない。

自 分とは全くかけ離れた何かに、不思議なほど心ひかれることがある。だが実は不思議でも何でもない。かけ離れているようでいて、実は同種であることに気付い ていないだけだ。すぐにそれと分かる類似など、借りてきた上着のようなもの。天性の資質で無いものなど、決して長くは続かない。

鳥撃ちの吹 く口笛を聴いて、仲間を求めて飛んで来た鳥達を見よ。最初は喜んでも、口笛の主が自分とかけ離れた者であることを知れば、怯えて離れようとする。砂漠に浮 かぶ蜃気楼を見て、水を求めてやって来た男を見よ。蜃気楼と分かれば、踵を返して去って行く。のどの渇きは、幻では癒せないのだから。

貧しい者は贋金でさえも欲しがる。両替屋に持ち込めば、恥ずべき真実を明かされると知りながら。贋金には手を出すな。手を出せば、偽ものはたちまち地獄への案内役となる。安易な虚妄に耽るな、誤って井戸の底へ落ちるな。

これについては良い手本がある。『カリーラとディムナ』だ。この物語に、ひとつ教えを乞うてみよう。