続)吟遊詩人の物語

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

続)吟遊詩人の物語

かの吟遊詩人、彼が歌えば世界は恍惚に満ちた。その声を耳にした者は、次から次へと浮かんでは消える摩訶不思議な夢を見た。彼の歌を聞けば、心はたちまち小鳥となって翼をはためかせた。誰であれ平静で居られはしなかった。

- 月日は規則正しく流れてゆく。もちろん、吟遊詩人の上にも。やがて彼は年老いた。人々を熱狂させたあの鷹はどこへ行ってしまったのか?今はとぼ とぼと泥の中を歩き回り、くちばしを引きずって羽虫を喰うヒヨがいるだけ。彼の背中は酒壺の注ぎ口のように曲がった。長く伸びた眉が、尻がいをつなぐ紐の ように垂れ下がって両目を覆い隠した。清涼そのものであった彼の声、聞く者の魂を魅了したあの声もしわがれ、誰にとっても価値の無い代物と成り果てた。

かつて彼の歌には、金星すらも嫉妬したものだった。だが今や、それは年老いたロバのいななきでしかなかった - しかし実のところ、美しかったものが醜くなるというのは今に始まったことでもなければ、彼に限ったことでもなかった。高いところにある屋根も、いずれ時が経てば崩れ落ちて敷物同然に低くな るもの。

終末に鳴り響くラッパの轟音。これを浴びせられれば、世界の全てが破裂せんばかりになる。ただひとつ、聖者達の、胸の奥から響く声を除いては。彼ら の魂は瞬時にして私達の心を酔わせる。目には見えぬあちらの世界から届けられる声によってのみ、こちらの世界の私達は「在る」のだ。

年老いた吟遊詩人は日増しにおとろえ、日々の糧にも事欠くようになった。たった一切れのパンを得るためにさえ、金を借りずには済まされなくなった。 彼は言った。「神よ、あなたは私に、長いながい人生をお与えになった。だがそのうちの殆どの時間が、ただただ私を猶予するためだったとは、今の今まで気づ かなんだ。私のような下郎に、もったいないほど数多くの祝福を下さっていたことに、今の今まで気づかなんだ。

七十年もの長い間、私は罪にまみれて過ごした。それなのに、あなたは一度たりとも私の手から、あなたの恩寵を取り上げようとはなされなかった。だが それももうじき終わる。さあ、これで私も無一物の身となった。今日こそは、あなたの御許へ私を召し上げたまえ。どうぞ私をお連れください。あなたのために 竪琴を奏でましょう、私はあなたのものだ」。

そうして彼は竪琴を脇に抱え、神を求めてさまよった末に、引き寄せられたかのようにメディナの墓地へと入っていった。墓地の中で、ひとりぼっちの彼 は泣き出した。「神よ!」、彼は言った、「竪琴の糸を張り替える金もない。神が絹糸を買うだけの施しを下されたらなあ。こんな音色のままで奏でるのも恥ず かしいことだが、これが今の私には精一杯だ。神よ、お慈悲をもってお見逃しくだされ」。

彼は長いこと竪琴を奏で続けた。そして、それから泣いた。どのくらいそうしていただろうか?いつしか彼は竪琴を枕に、墓石にもたれかかって眠りにつ いた。眠りは、吟遊詩人を遠くへと連れて運んでいった。小鳥は、彼の魂は鳥かごから逃れた。竪琴も、竪琴の持ち主も、魂につられて駆け去っていった。肉体 と現世のもたらす苦痛から、純然たる精神の世界へ、広大なる魂の領域へと解き放たれたのだった。

彼の魂は、かつての歌を取り戻して軽やかに歌った。そして言った、「いついつまでも、ずっとここに、ここだけに住まうことが出来たなら!どこまでも果てしなく続くこの平原、咲きこぼれる神秘の色した花々の寝床。この庭、この春に私の魂はすっかり酔わされてしまった。

ここでは『上』も『下』もない。ゆったりと、ただたゆたって旅をするのみだ。甘い菓子を食べたければ、ただ『食べたい』と思うだけ。口を開けたり、 歯で噛んだりする必要もない。頭に詰まっていた記憶も思考も、すっかりどこかへ消え去った。あれこれと思いわずらう必要もない。天空の住人達と、遊びたわ むれて過ごすとしよう。

目を閉じれば、そこに広がるのは完全無欠の世界だ。摘み取ろうと思うが早いが、あっと言う間に抱えきれないほどの薔薇と香草の花束が私の手の中にあ る」。彼の魂はまるで水鳥のように、真っ逆さまに蜜の海へと飛び込んだ。蜜は神がヨブに与えた泉のようにあふれた。「これぞ涼しい洗い場と飲み水9」。彼は飲み、洗い流した。つま先から頭のてっぺんまで、染み付いていた苦悩はきれいさっぱりと洗い流され、彼はまるで日の出の太陽が放つ光のように純粋無垢そのものとなった。

- たとえわがマスナヴィーの書が空ほどの大きさであったとしても、これ、この神秘の半分すらも満足に説明することなど出来はしないだろう。この空 は高く広く、地は大きく豊かだ。だがそれでいて、私の心は締め付けられたようになる - この空では足りぬ。この地では足りぬ。目を閉じれば広がるあの宇 宙、精神が見せるあの宇宙とは比べものにならぬ。私は再び目を開き、自分がいるこの空、この地を見る。私の心は、ばらばらに引き裂かれたようになる。

吟遊詩人が見た風景は、いつであったか、私自身が夢で見た風景だ。果てしなく広がるあの宇宙を、私も飛んだ、誰はばかることなく翼を大きく広げて。 ああ、あちらの世界と、あちらの世界への入り口は一体どこにあるのか。それさえはっきりと皆の目に分かってしまえば、誰ひとりとして、一瞬たりともこちら の世界に残りたいなどとは思わないだろう -

そこへ天の命令が下される。「否。吟遊詩人よ、貪ってはならない。汝の足に刺さった棘はすでに洗い流されて抜け落ちた。汝の傷はもはや癒えた。これ 以上の逗留は無用だ、今すぐにここから立ち去るが良い」。それを聞いて吟遊詩人の魂は、無言で御方の慈悲と恩寵の衣の裾にしがみついた。そしてそのまま、 離れようとはしなかった。


必死の形相でしがみつく吟遊詩人を見て、神はウマルに使いを送りたもうた。眠りという名のその使いが、ウマルの許へ届けられると、ウマルはたちまち 目覚めたままではいられなくなってしまった。「これは一体どうしたことか」、驚いてウマルは言った。「こんなことは初めてだ。何やら、これは見えざる世界 よりの使者である様子。であれば、何かしらの意味と目的があってのことには違いない」。

抗いきれず、彼は横たわって頭を枕に乗せた。乗せるやいなや、彼は深い眠りの穴に落ちて夢を見た。夢の中で、彼ははっきりと神の声を聞いた。その声 を何と形容するべきか。それは「音」そのものの音。咆哮と号泣、ありとあらゆる声の起源、原初の声。真実、声と呼べるものはただこれのみ。これ以外は、単 なる振動と残響に過ぎないとさえ思わるほど。

このような声ならば、テュルクの人もクルドの人も、ペルシアの人もアラブの人も、誰であろうとも、耳または口を頼ることなしにたやすく理解するだろ う。異なる語を操るテュルクとペルシア、タジクの人が同時に理解する声とは、一体どのようなものだろうか?それは木々や石にも理解出来る声だ。刻一刻、今 この瞬間にも、御方の召喚の呼び声が届けられている - 「われはおまえたちの主ではないか10」。

召喚に応えて本質と事象が生起するのを、知ると知らざるとに関わらず、私達は常に見ている。たとえその場に何ひとつ存在せず、応えるものも無かった としても、不存在が「ここにおります、わが主よ」と応えて存在へと転ずるだろう。 - 私は、先ほど「木々や石も理解する」と言った。これについて、少し ばかり語るとしよう。「嘆きの柱」の物語だ。

 


*9 コーラン38章42節。

*10 コーラン7章172節。