偽聖者

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

偽聖者

学び始めたばかりの若い弟子達は、知識を得ようと焦りがちだ。それで、シャイフ然とした詐欺師にころりと騙される。にせものを指して、あの人こそは尊敬すべき立派な師だ、シャイフだ、と言う。نقد(naqd:事実)とنقل(naql:虚構)を読み違える。自然と不自然の区別もつかず、無作為と作為の区別もつかない。

詐欺師に騙されたという話は後を絶たない。知識ある賢人が、このような言葉を遺しているほどだ、「客になるなら、主を選べ。あなたに利益をもたらす者の客になれ」。あなた方にも心当たりはないだろうか。堕落した師に弟子入りし、持てるもの全てを失ったという人々は沢山いる。客になるなら、主を選べ。弟子になるなら、師を選べ。

何の取り柄もなく、何の力も持たない詐欺師が、どうしてあなたに何かを与えることなど出来るだろうか?どうしてあなたに、光を与えることなど出来るだろうか、闇以外に与えるものなど何も持たない者が。

詐欺師は、内側に灯る光を持たない。内側に光を持たぬ者とどれほど親しもうが交わろうが、新たな光が生じる余地はない。逆に、光を奪われるだけだ。泥酔し、まともに目も開けられない眼医者に、どんな治療が出来るだろうか。くるった手元で、コフルを目の中にまで塗られたら、こちらの目まで見えなくなってしまう。

知性の欠落と、それに始まる不幸とは、およそこのようなもの。ああ、我らが、客人の誰ひとりとして惑いの道へと誘い込むことがありませんように! - あなた方は、十年以上に及ぶ飢餓を目にしたことはあるだろうか?無いのなら、今こそ目をしっかりと見開き焼きつけておけ、私達の姿を。私達の外見は詐欺師の内面、飢えてあなた方の扉をたたく砂漠のベドウィン。

そして外見には羊毛の衣を身につけて、人の気を惹くもっともらしい言葉を語っても、詐欺師の内面はまさしくそれ、彼らの心は暗い飢餓そのもの。全くの空っぽ、神の芳香も痕跡も感じられない。あるのは虚偽だけ。人類の父アダムよりも、アダムの子セトよりも、自分を大きく見せようとする詐欺師の虚偽だけが漂っている。

悪魔ですら、彼らを見れば恥のあまり赤面し、彼らを避けて姿を現すこともしない。それで彼らは、言いつのることをますますやめなくなる、いわく「我こそはアブダール、あるいはそれよりも優れた者」。自分こそ聖者であると他人に思わせるために、ダルヴィーシュ達が使い続けてきた表現の数々を盗みとる。挙げ句、バーヤズィード(・バスターミー)にまで難癖をつけて議論をふっかける。

ヤズィードでさえ、彼らの存在を恥じずにはいないだろう。天国に、彼らの席はない。パンのひとかけ、饗応の一皿たりとも彼らのために用意されたものはない。神は彼らに、残りものの骨を投げることすらなさらなんだ。彼らは大声でふれまわる、 - 「天国の晩餐の、席を整え準備したのは何を隠そうこの私。

何しろ私は神の代理、カリフの血をひく者。さあ、疑うことを知らない純真無垢な者だけが晩餐においでなさい、飢えと乾きを満たしなさい。私の食卓には、ご馳走が山と積んである。きっとあなた方の気に入ることだろう、満腹しない者は一人もいないだろう」。 - 満腹しない者は確かにいない、嘘とごまかしに関しては。

約束が果たされるのを、もう何年も待ち続けている者もいる。明日こそは、明日こそは。だが約束された明日など、決して来ない。まだほんの子供のような年頃の学生達。痩せてちっぽけな体で、魂について考えを巡らせている。全てが寝静まった夜に一人目覚めて、問いの答えを、キブラを探している。

- 誰かの意識の一番奥に隠されている本心を、別の誰かがはっきりと明白に知るのには、長い時間が必要になる。宝の館か、あるいは蛇や毒虫の館か、見抜くのはなかなか難しい。ある日、詐欺師の正体が暴かれ、何の益ももたらさない人物であることが知れても、その時には弟子達も年老いている。彼らの上に流れた時間は、取り返しがつかない。いったい、彼らにとり知識の探求とは何であったのか?

- ところで、時として心の底から詐欺師を立派な師と信じ、研鑽に励んだために、詐欺師ですら想像もしなかったような境地へと弟子が到達することがある。こうなると、詐欺師はもちろんのこと、火も水もこの弟子を害することは出来ない。しかしこれは、ごくまれにしか見られないことではある。あたかも偽物の詐欺師が、弟子に益をもたらしたかのように見える場合もある、ということだ。

真に誠実な意図をもって励めば、師の出来・不出来に関わらず、弟子の意図それ自体が彼を正しき道、正しき境地へと導く - ああ、神は彼らの願いを、祈りを、必ず聞き届けたもう。彼らの出した問いの答えが、たとえ間違っていたとしても。キブラが、たとえ見つけられなかったとしても、祈りが祈りであることに変わりはないのだ。