序の序

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

愛あまねく慈しみ深い神の御名において。

これはマスナヴィーの書、宗教の真髄を解き明かす到達と確信の書である。神に関する最も大いなる知識、神に至る最も鮮やかなる道、神の顕現の、最も明らかなる証しである。

その光は蝋燭の灯された壁龕1のように照らす。その輝きは夜明けよりも明るい。それは心の楽園、泉と木陰に囲まれている。泉のひとつは、この道を歩む旅人達からサルサビール2と呼ばれる。自己の成長を欲する者、向上を望む者にとって、この書は最も優れた目印となり、また最も優れた精神の安息所3となる。

行い正しき者達は、この書の裡に食べかつ飲む。それにより精神の自由を獲得し歓喜する。この書はエジプトのナイル川のよう、忍耐する人々にとっては心地よい飲み水となる。

だがファラオの追従者達、信じない者達にとっては絶望となる。「それにより多くの者を迷わせ、また同時に、それにより多くの者を導く」4と、神が申された通り。

胸の痛みを癒し、悲しみを取り除き、コーランの詳細を解き明かす。豊かな恩寵をもって満たし、意識を浄化する。高貴で正しい筆記者の手による書5は、浄められた者以外触れることを禁じられる6。神は全てをご覧になりこれを護り給う7。ゆえに虚偽は前からも後ろからもこれに近づかない8。神は至高の保護者、慈悲を示す者のうち最も慈悲深き御方。神の望まれるままに、この書は様々な名で呼ばれるだろう。

さて、私たち自身については多くを語るまい。ほんの少し、が大事の元。ほんの一口ほどの水でも、やがては池になる。ほんの一握りの麦でも、やがては穀倉の床を埋め尽くす。

我が名はムハンマド。ムハンマドの息子、フサインの末裔、バルフの地に生を授かりし者。神のお慈悲を請うか弱き従僕の捧げるこの書を、神が受け入れ給いますよう。

マスナヴィーの書に、私は全身全霊を傾けた。不思議な物語や希少な格言、優れた談話や貴重な道しるべでこれを満たした。また修行者達の歩む宗教の道と、信仰者達の集う精神の庭園 –– 言うは容易いがその意味するところは多種多様である –– について、我が肉体に宿る精神を捉えて離さぬ我が主の庇護と援助を得、我が主の命ずるままに語った。

また今日までの私を導き、明日よりの私を導く我が宝、すなわち師について。彼らは神について良く知る者。正しい導きと確実性を保持する手本であり、人類の援助者であり、信頼に足る寛容と良心の持主である。被造物に対し神が課され給うた責務について、定め給うた運命について、遣わし給うた預言者について。彼らに禁じ給うた事柄と、また選ばれた者に与え給うた秘密、すなわち最も高い天空の宝庫の鍵について。

宝庫の鍵の受託者は地上に在る。善良なる父、真理と宗教の守護剣フサーム。かつてイブン・アヒー・テュルクと知られたハサン、ムハンマドの息子、フサインの末裔。過ぎし日のアブー・ヤズィード。伝説のジュナイド。

誠実な息子は誠実な父の手により育てられる。誠実な父は誠実な祖父の手により、そして誠実な曾祖父の手によって ––

彼らと、彼らに連なる人々に神のご満悦があらんことを!ウルミヤの人々に祝福あれ、かの地に生を授かりし師はこう申された –– 「我は夜にありてクルドの如く、朝にありてアラブの如く」と。彼の魂と、彼の魂の後継者達に神のご加護があらんことを!何と善き先達者達か、何と善き後継者達か!

その道は太陽がその姿もて照らす道。道を行く先達の誉れの放つ光の前には、星々すらもかすむ。時代は移り変わろうとも、幸福は常に彼らの中庭を方角(キブラ)と定めて馳せ参じる。恩恵を求める者達がカアバの如くにその周囲を巡る。

それは終わりなき巡礼。たとえ星が昇り、東の太陽が地平線上に現れようとも ––  昇天の果て、天空の極み、神的知識の城にその精神が到達するまでは。

秘奥に関する洞察を有する目覚めた者、沈黙する者はそれを見る。不在の存在を、王の擦り切れた衣の裾を、真の統治者の高貴を、真の所有者の優越を、先覚者達の示す神の証明を。

アーメン!主よ、全てを造り給うた御方よ。拒み給うな、この祈りを、造り給いし全てのための祈りを。全ての被造物を統べる神に賞讃あれ、全ての被造物に神の祝福あれ。全ての被造物のうち最も優れた被造物、高貴かつ純粋なるムハンマドと彼の縁に連なる者に祝福あれ!

 


*1 コーラン24章35節。「神は天地の光である。その光をたとえれば、ともし火のある壁龕のようである。そのともし火は水晶の中にあり、水晶はさながらきらめく星のようである。祝福された木、東のものでも西のものでもない橄欖(オリーブ)の木で焚かれている。その油は火にふれることがないのに、まさに照り輝くばかり、光に光を加える。神は欲する者をその光に導きたもう。神は人々に譬えを用いたもう。神はいっさいのことをよくご存じである。」

*2 コーラン76章18節。「楽園の木陰が彼らの上に迫り、果実は摘みとれるように垂れている。彼らのあいだを、銀の水差しと水晶の酒杯が回される。銀で作りあげた水晶の杯で、彼らは計って飲む。またそこで、彼らは生姜の混ざった酒杯で飲ませてもらう。つまり、そこでサルサビールと呼ばれている泉水のことだ。(76章14ー18節)」

*3 コーラン25章24節。「その日、楽園のともがらは、最良の住まいに落ち着き、いとも快い午睡の場所にある。」

*4 コーラン2章26節。「まことに神は、蚊でもそれ以上のものでも、譬えに引用することを恥じたまわない。信ずる人々には、それが主よりの真理であるころがわかる。しかし不信者どもは、「こんなものを譬えにして、神はどうするつもりなのか」などと言う。主はこんなことで多くの者を迷わし、また多くの者を導きたもう。ただ迷わされるのは悪徳の者どものみ。」

*5 コーラン80章15〜16節。「それは、気高い天の帳簿に記されているもの。いと高く、浄められたるもの。気高くも慎みぶかい、書記たちの手になるもの。(コーラン80章13ー16節)」

*6 コーラン56章79〜80節。「これこそ気高きコーランである。秘蔵された啓典に記されているもの、浄められた者だけしかふれることのかなわぬもの、万有の主の啓示である。(コーラン56章77ー80節)」

*7 コーラン12章64節。「彼は言った、『以前おまえたちにあれの兄をまかせたように、わしがおまえたちにあれをまかせられるだろうか。神こそ、この上もない保護者であり、もっとも慈悲深いお方である』。」

*8 コーラン41章42節。「前からも後ろからも虚偽のはいりこむすき一つないものであるのに。聡明なお方、讃えるべきお方から下された啓示であるのに。」