四人の男と金貨と葡萄

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

四人の男と金貨と葡萄

ある人が、四人の男に一ディルハムの金貨を与えた。四人のうち、一人目のペルシア人が言った、「私はこれでアングール(angur)を買おうと思う」。二人目のアラブ人が反対した。「いやいや、おれが欲しいのはアングールじゃなくイナブ(’inab)だ、この馬鹿め」。三人目はトゥルク人だった。彼が言うには、「こちらに金をよこせ。イナブなどいらない、ウズュム(uzum)が欲しい」。そして四人目の、これはギリシア人が、「やめろやめろ、もう沢山だ。買うならスタフィリ(istafil)に決まっているだろう」。

3685. 名前の背後に隠された意味を知らなかったが故に、彼らは互いに争い、戦い始めた。愚かしいことに、拳で互いに殴り合いさえしたのである。彼らは、無知ならあり余るほど持っていた。しかし知はかけらほども持ち合わせていなかった。もしもその場にものごとの奥義を知る者が - 多言語に通じる達人がいたなら、彼らをなだめることもできたろうに。「この一ディルハムで、あなた方全員が欲するものを手に入れてみせよう。疑うことなくあなた方の心を、私に預けてくれたなら、この一ディルハムはあなた方全員の役に立つだろう」と。

3690. 「あなた方の一ディルハムが、四ディルハムになるだろう - 全員の望み通りというわけだ。四人の敵も満場一致でひとつになる。あなた方一人ひとりの発した言葉は、諍いと別離を生じさせる。しかし私の発する言葉なら、あなた方を同意へと導くだろう。故にあなた方は口を閉じよ - 沈黙を守れ(コーラン7章204節)、私があなた方の舌となれるように、あなた方に替わって話せるように」。人々の間に同意をもたらすためであろうと、言葉の引き綱が強過ぎてはいけない。言葉それ自体が新たな騒擾と動揺の因となり、和合への道を閉ざしてしまう。借り物の熱では真の効果は得られない。だが自然に備わった熱には、相応の美徳も備わっているというもの。

3695. 酢を火にかけて温めたところで、飲めば必ず身体は冷える。何故ならそもそも酢は陰性の、寒冷をもたらす食物であり、人の手をかけて外部から熱を加えたところで陽性の食物にはなり得ないからだ。一方で(陽性の質を持つ)葡萄の蜜を凍らせたとしても、わが友よ、それは飲めばあなたの肝臓を温めるだろう。かようなわけで ー これは人にも当てはまる ー 賢者の偽善は我ら凡人の誠実さよりも優れている。何故なら前者は深い洞察より生じるものだが、後者は浅はかな無知より生じるものだからだ。賢者の語る言葉は合一と調和をもたらし、妬み深き者の語る言葉は分裂と不和をもたらす。

3700. 例えばスライマーン(ソロモン)を見よ。彼は神の加護により預言者としての使命を果たした。彼は鳥たちの言葉を知る者であった。彼が正しく統治した時代には、鹿とヒョウとが友となり争うことを止めた。鳩は鷹のかぎ爪から守られ、羊が狼に怯えることも無かった。スライマーンは、かつて敵同士であった者たちの仲裁者となり、翼もて飛ぶ生きものたちの間に和合をもたらした。蟻のごとく、麦の一粒を探し求めて這いずる者よ ー 聞け!探すならばスライマーンをこそ探せ!何ゆえに我らは、未だ惑いの道を這うのか?

3705. 麦の一粒を探し求める者には、麦の一粒は罠になり得る。だがスライマーンを探し求める者ならば、両方を手に入れるだろう ー スライマーン(知恵、精神の糧)と麦(肉体の糧)の両方を。近頃はとかく生きにくい世の中だ。とりわけ魂の鳥たちは、互いに一瞬たりとも気の休まることがない。しかしそれでも、我らの時代にあってさえもスライマーンは確かに存在している ー 我らに心の平安を与え、正義の不在の苦しみを断ち切るスライマーンが。御言葉を思い出せ、警告者が遣わされなかった民はひとつとして無かったのだ(コーラン35章24節)。神は告げたもう、あらゆる民の中に、魂の力を持つ導師が遣わされているのだと。

3710. 導師は魂の鳥たちを、狡猾と悪意においてではなく、誠実さにおいて結びつく者たちになさしめるだろう。彼らは、互いに母のごとく慈愛に満ちた者となろう。ムスリムたちについて彼(ムハンマド)は言った、「まるでひとつの魂(nafs wahidat)である」と。しかしひとつの魂となりうるのも、神の御使いを通じてこそ。でなければ、互いに容赦ない敵同士でしかいられないだろう。