自分の罪を棚に上げ、友と言い争う人達の話

『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

自分の罪を棚に上げ、友と言い争う人達の話

インドの人が、四人でモスクへとやって来た。彼らは頭を垂れ、礼拝のためその場に平伏した。それぞれ、ニイヤ(礼拝の意志表明)の言葉を発し、続けてタクビール(賛美の文言)を口にした。そして敬虔な様子で、悔悟の念と共に祈り始めた。礼拝の時を告げるムアッズィンがやって来た。すると彼らのうちの一人が言葉を発した。「ムアッズィンじゃないか。アザーン(礼拝の呼びかけ)はもう終えたのか?礼拝を始める時間なのか?」。これを聞いて、口出しせずにはいられなくなった二人めが、「おい、おまえ、今喋っただろう。これでおまえの礼拝は無効になったぞ」。1

3030. そこへ三人めが二人めに向かって、「おじさん、ひとを罵るだなんていけません。自分こそどうなんです、態度を改めないといけないのはあなたでしょう」。四人めが言った、「神は偉大なり!こいつら三人と違い、私は過ちを犯すことはなかったぞ」。こうして、四人全員の礼拝が損なわれた。加えて他人の粗捜しをした者は、最初に過誤を犯した者よりも更に深い罪を重ねたのだった。 ー 自らの過ちを、過ちと認める魂にこそ幸いあれ。もしも過ちを見つけたなら、強く念じよ、それに目を奪われずに済むように!

3035. 誰であれ、その半分が罪と悪の領域に属さない人間などいない。そして残りの半分は、不可視のあちら側に属している。あなたの頭に十の疵があるなら、まずはあなた自身を治療せよ。過ちを犯す者を見たなら、まずは自らを顧みて正せ。それこそが、過誤に対する最も優れた治療となる。そして過ちを犯した者が悔悟したなら、その時には預言者の、「心に慈悲を持て」の言葉通りに振る舞えばよいことだ。たとえあなたが同じ過誤を犯さなかったとしても、自分は無事だ、大丈夫だなどと安心してはいけない。そうした過信は後々まで内側に宿り、やがてあからさまな邪悪となろう。聞かなかったか、「われを畏れよ(コーラン2章150節その他)」との神の御言葉を。聞いたなら、何故あなたは「自分は大丈夫」だなどと思えるのか。何故あなたは「自分は幸福だ」などと思えるのか。

3040. イブリース(悪魔)を見よ。彼はずいぶんと長いこと、善き者としての高い評判と共にあった。ところがその後、彼は恥辱を蒙った。彼の名の意味を、よくよく考えてみるがいい。かつて彼は、素晴らしき者としてその名を天界じゅうに知られていた。その名声が、そのまま裏返しの汚名となったのだ ー 何という悲劇!揺るぎなく盤石な者となりもしないうちから、名声だの評判だのを求めるな。まずはあなたの顔を覆う不安を洗い流せ。顔を示すのはその後だ。自分の顎髭も生え揃わぬうちから、わが良き者よ、他の誰かの顎に髭が無いのを馬鹿にするものではない。こう考えてみると良い。悪魔は、その魂を(神の憤激に)試された。その上で破滅に陥った。彼の有り様は、あなたへの警告なのだ、と ー

3045. 今のところ、あなたは破滅していない。ならばあなたは彼への警告となれ。彼は毒を飲んだ。それをもってあなたへの教訓、あなたへの甘き砂糖とせよ。