『精神的マスナヴィー』2巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
何故に不正がはびこるのか、モーセ(彼に平安あれ)が神に尋ねる話
モーセが問うた。「おお、寛大なる養い主よ。ほんの一刻で、一生分にも優る祝福を授けたもう御方よ。私は、歪んだものを見てしまいました - それは水と泥とを混ぜ合わせた、不格好なかたちをしていました。天使達がそうするように、私の心が異議を唱えました - 像を形造ることに対する異議です。あれらは、腐敗の種子を内側に持ち合わせている。あれらは禍々しい不正と、腐敗の炎を焚きつける。モスクを燃やし、姿勢を低くして祈る人々を燃やしてしまう。
1820. 私の中の確信は私に告げている、『沈黙を守れ』、と。だが見ることへの渇望が私に告げている、『求めて抗え』、と。御方よ、あなたは天使達には秘密を開示したもう - かような蜜は、たとえ毒針の一刺しと引き換えであったとしてもなお価値がある。あれらは助けを乞う人々に血の涙を流させる。苦しみや虐げの源を煮えたぎらせる。 - それもまた、御方の知恵の一部分であることを私は承知しています。けれど私が目指すところとは、実際にそれを見、実際にそれを捉えることにより知を得ることです。御方よ、あなたはアダムの光を天使達に向けて明らかにしたもう。余すところなく開示したまい、全ての難問に解を与えたもう。
1825. 御方による復活は、死にまつわる秘密を明らかにする - 果実が、葉の秘密を明らかにするように」。血と種子は、ヒトの美点の秘密を明らかにする。何であれ優れたものには、それに先立って劣るものが存在している。未熟な子供達は石版を洗っては書き、洗っては書いて練習し、それから初めて、本物の紙に文字を書くようになる。それと同じように、神は心に血を流させ、悲しみの涙を流させたもう。洗い流されたその後で、神はその上に魂の秘密を書きしるしたもう。(心の)石版を洗い浄めるとき、ヒトは知っておかねばならない - 血と涙もて書きつけられたそれらの断片が、やがては魂の秘密に関する一冊の書物になるのだということを。
1830. 吸い出し玉を目にすれば、子供達はたちまち恐がって悲しげに泣き出す。子供達には、その道具の秘密が分からない。成人し、既に心得ている者なら、吸い出し玉を使う治療者に金を支払い、(悪い)血を吸い出してくれる(瀉血用の)吸い出し玉を撫でるくらいのことはするだろう。荷物運びの運搬夫は、より重い荷物の方へと駆け寄る。彼らは、互いに荷物を奪い合う。
1835. 見よ、荷物をめぐる運搬夫の争いを、荷物を運ぶ彼らの戦いを!彼らの努力には、ある種の真理がにじみ出ている。重荷こそは快楽の土台。悲痛こそは歓喜の先駆け。楽園の周縁は、私達が忌み嫌い、避けようとするものによって囲まれている。(地獄の)火炎を取り囲むのは、私達の欲望そのものである。苦悩の炎の種子(根源)、あなたの炎を燃やす燃料とは、欲望の大樹に育つ枝に他ならぬ。炎を消し止めようとすれば、大やけどを負うことになる。しかしその時こそ、カウサル(楽園に流れる川)が、炎を消し止めた者の友となることだろう。誰であれ苦悩を友とする者とは、自らに懲罰を下し続ける者 - 欲望の檻に自らを閉じ込め、非合法の食物を口に運ぶ者。
1840. 誰であれ幸運を友とする者はいと高き宮殿に住まう - いくつかの戦場をくぐり抜け、いくつかの試練を乗り越えたことへの報奨として。誰よりも多くの金と銀とを有する者を見たならば、知れ、その者が、誰よりも多くの忍耐を支払ったのだということを。魂の目が開かれるとき、(魂の目の)持ち主は因果を超えてものごとを見るようになる。しかし感覚による認識の檻に閉じ込められたままの者なら、注意深く因果を見つめる他はない。その魂、その精神が、この世の自然をはるかに超えた人々 - このような人々には、因果の鎖を断ち切る力が備わっている。彼らの目は、預言者達の奇跡の泉が、この世の因果を要さぬことを捉えている。水が草を繁らせるのとは、全く異なるということを知っている。
1845. それ(因果)は、あたかも医者と患者のように互いに連関している。あたかもランプと芯のように互いに連関している。あなた方は、夜にランプを灯すたびに新たな芯を捩って作る。しかし太陽のランプは芯を必要としない。あなた方は、家屋の屋根を作ろうと石膏を混ぜる。しかし大空の屋根は石膏を必要としない。ああ、我らが愛する恋人は、我らの心の痛みをいやす。だがそれも朝が来れば消えてしまう - 月がその顔を見せてくれるのは、夜の間だけだから。心の痛み、胸の痛みを得ぬうちは、愛する恋人を得ることも出来ないのだ。
1850. あなた方はイエスを見捨てて、ロバ(身体)の世話に明け暮れている。ロバがそうであるように、当然、あなた方も帳の外にいる。知恵と直観はイエスの財であり、ロバの財ではないというのに!この愚か者め!ロバなど捨て置け。イエスをこそ憐れむがいい。身体に備わる本性に、あなた方の知性を支配させるな。身体の本性など、痛みと苦しみに嘆かせておけ。その痛み、その苦しみもて理性を購い、魂の負債を減らせ!
1855. 長いこと、あなた方はロバの奴隷であり続けている。もう十分ではないか。ロバの奴隷など、ロバにも劣る。預言者の言葉「(彼女達を)後に残して立ち去れ」の真の意味とは、あなた方自身の欲望を後に残して立ち去れ、ということなのだ。欲望は一番後ろへ。知性こそを一番前へ。一番低きにある知性は、ロバの性質と寸分も違わない。どれだけ多くの飼い葉をせしめることが出来るか、そればかりを考えている - イエスのロバは、イエスの理性を自らの性質とした。イエスは行ける叡智そのものだった。彼の場合、手綱を握るのは常に彼の知性であった。そしてロバはそれほど強くはなかった - あまりにも強力な乗り手が、ロバの寿命を縮めたのである。
1860. 知性の脆弱さ故に、おお、あなた方はロバよりも価値低き者となった。そして陳腐であるはずのロバが、今や竜のごとくになってしまった。イエスという魂の先達は、あなたの心に痛みをもたらす。だが痛みをもたらすのがイエスなら、癒しをもたらすのもまたイエスなのだ。彼の許を去ってはならない - おお、イエスよ。治癒の吐息を持ちながら、自らは苦悩の裡に生きたひとよ。宝の傍らには、常に蛇がつきまとうもの。イエスよ、あなたは(あなたを否定する)ユダヤの民を見て何を思ったろうか?ヨセフよ、あなたは嫉妬深い策略者達を見て何を思ったろうか? - 夜となく昼となく、愚かしき人々が愚行を重ねる間にも、夜となり昼となり、すり減った生命に新たな生命を注いで満たし続けたひとよ!
1865. 暗愚の他に見るものも無き者よ!愚かしさから何を生み出すことが出来ようか?せいぜい頭痛くらいのものである。かの人々が東の空から昇る太陽のごとく辺りを照らす間にも、我らは偽善を働き盗みを働き、絶えず嘘をつき続ける。あなたは蜜、だが我らときたら酢のようだ - この世界において、とりわけ宗教に関して。我らはまるで苦みばしった胆汁のよう、これを取り除くにはもっと多くの蜜を混ぜたシロップがいる。我らのような凡人は、ほんの少しでも腹痛を感じれば、もっと、もっとと酢を欲しがる。これでは駄目だ、もっと、もっと蜜を足さねば - ええい、けちけちするな!惜しみなく蜜を注ぎ足せ!一体、どうして我らはこうも吝嗇なのだろうか?少しでも気を抜けばけちけちと振る舞う。思い知らねばならぬ、これこそが我らの本性であると。目に砂をこすりつけ続ければ、やがて目は見えなくなってしまうだろう。
1870. しかしこれがあなたの手にかかれば - おお、貴重な目薬の一滴よ。全ての虚しきものごとも、あなたにかかれば何がしかの価値を持つようになる。不正を為す人々があなたの心臓を焼こうとも、あなたは(神に)訴え続けた、「わが民を導きたまえ!」と。あなたはまるで沈香の山のよう、炎に焙られれば世界を芳香で満たし、バラで満たし、香草で満たしてしまう。あなたは燃え尽きることの無い香木、あなたの魂は悲嘆の虜囚となることも無い。沈香はやがて燃え尽きるだろう、しかし芳香そのものは決して燃え尽きることはならない。どうして(邪悪な言葉の)風が、(魂の)光を吹き消すことなど出来るだろうか?
1875. あなたあればこそ、空も純粋さを取り戻す。優しさよりも、あなたの冷たさの方をこそ私は選ぼう、何故なら賢きひとの冷たさは、愚かな者の優しさにもまさるから!あなたは - 預言者はこう言ったではないか、「知恵より生ずる敵意の方が、無知より生ずる友誼よりもましだ」、と。