続)サバアの人々

『精神的マスナヴィー』3巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

続)サバアの人々

サバアの民は、成熟を欠く者たちであった。他愛なき児戯に日々を費やし、寛大さに対しては忘恩をもって返すことを常としていた。

365. 恩を仇で返すとは、例えばこうした振る舞いである –– 「そういう親切は要らない、欲しくない。不快なだけだ、あっちへ行ってくれ。わたしに構うな、放っておいてくれ。真実を見るための目なんぞ邪魔なだけだ。持って帰ってくれ、いっそ目なんて見えないようにしてくれ」。サバアの民はこうも言った、「(主よ、)われらから遠く離れてあれ。われらにとってはあなたの美よりも、われらの瑕の方が好ましいのだから。余計な世話だ、矯めようなどとはしてくれるな。宮殿も果樹園も、欲しいとも思わぬ。美女も平和も、安寧も望まぬ。

370. 都どうしが、何の隔たりも無しに隣り合わせに並んでも良いことなんてありはしない。獰猛なけものの住まう砂漠に囲まれていた方がましというものだ」。ヒトは夏には冬を恋しがる。冬になればなったでこれを疎んじる。何故ならこれぞヒトの性(さが)、決して満足することがない。貧者には貧者の不満が、富者には富者の不満がある。「禍あれ、人間。何たる忘恩の徒よ(コーラン80章17節)」。導きを与えられるたびに、繰り返しこれを拒む。1これぞ我欲の正体。かような代物、殺してしまうに限る。いと高き神は告げたもう、「汝、自らを殺せ(コーラン2章54節)」。

375. それは三方へ突き出した角持つ棘だ。そのようなもの、どこからどう持とうが必ず突き刺さる –– 刺し傷から、逃げおおせられるとでも思うのか。棘を燃やせ。自己放擲の炎もて自我と共に焼き尽くし、誠実なる「友」にしがみついて離れるな。サバアの民はものごとの限度を超えてしまった。「われらに言わせれば、黒死病の方が西風よりも優れている」。ここに至って彼らを統べる指導者も民に警告を発するようになり、その忘恩、その不埒を戒めた。けれど民は聞き入れず、むしろ彼らを殺めようと試み、更なる忘恩と不埒の種子を蒔いた。

380. 神の命ずるところが届くとき、世界の全てが閉ざされる。神がこうと定めたもうとき、甘い菓子も口に入れれば苦く舌を刺すものとなる。彼(預言者)は言う、「定命の訪れと共に、広野は狭まり視界は閉ざされる」。定命は目を覆うヴェイルとなる。目が覆われれば、目を守るコフルを見出すことも出来ない。馬上の騎士がここぞとばかりに砂塵を巻き上げれば、それは助けを求めるあなたを阻む煙幕となる。砂塵に構うな、騎士と相対せよ!さもなくば、一手も二手も先を読むこの騎士に打ち負かされてしまうだろう。

385. 神は告げたもう、「オオカミの餌食となった者よ。オオカミの砂塵を目にしながら、何ゆえに助けを求めて泣き叫ばなかったのか」。それはオオカミの砂塵であると判別できなかったのか?判別できたならできたで、ならば何ゆえに草を食み続けていたのか。ヒツジは危険なオオカミの匂いをよく知っている、ゆえに四方八方どこへでも逃げる。けものの脳はライオンの匂いをよく分かっている、草を食むことに別れを告げる時の匂いだ。引き返せ、(神の)ライオンの怒りの匂いを嗅ぎ分けたなら!そして立ち返れ、祈りと畏れの裡に!

390. あの(サバアの)人々は、オオカミの砂塵を見ても立ち返ることはしなかった。そして砂塵に続いて、大いなる力もつ苦難をもたらすオオカミが到来した。そして羊飼い、すなわち知恵に対して目を閉ざした羊たちを怒りにまかせて引き裂いたのである。羊飼いは幾度となく彼らを呼んだのに!しかし彼らは(羊飼いの許へ)来なかった。彼らのしたことといえば羊飼いの目に憤懣の塵を投げ入れ、「あっちへおゆき。放っておいておくれ、わたしたち自身の方があんたよりもよほどいい羊飼いなのだから。どうしてわたしたちがあんたについて行かなけりゃいけないんだい?わたしたちは皆それぞれがそれぞれの指導者だというのに。そりゃあわたしたちはオオカミの餌食、だけど友人面のあんたの餌食にはならないよ。炎の燃料にはなるだろうが、恥さらしにはなるものか」。

395. 彼らの頭の中は不信の傲慢で満ちており、彼らの住処の上ではカラスたちがカアカアと叫んで破滅を知らせていた。彼らは抑圧の井戸を掘り、自分たちがその井戸に落ちてからあわてて叫ぶ、「ああ、何てことだ!」。彼らはヨセフたち(預言者たち、聖者たち)の衣を引き裂き、引き裂いた分だけその行いの報いを受け取る。「ヨセフ」とは誰のことか?あなた方なる住処に捕虜のごとく繋がれた、あなた方自身の神を見る心である。あなた方はガブリエルを柱に縛り付け、彼の翼にも羽にも無数の傷を負わせる。

400. そうしておいて地べたから枯れ草を引っこ抜いて山と積み、そこへ彼を連れてゆき、目の前に焼いた仔牛の肉を置いて「お食べなさい、これがわたしたちにとっての御馳走ですよ」などと言う。彼にとっての唯一の食べものは、ただ神との対面のみだというのに。この試練、この苦難ゆえに悩み抜いた心が、あなたについて神に訴えて叫ぶ、「おお、神よ!この老いたオオカミからわたしを解き放ってください!」かれ(神)が答える、「聞け、その時は近い。忍耐せよ。われは汝のために正義をもたらそう、あらゆる無思慮な者どもに対して。神の他に正義を為す者があろうか、正義の分配者たる神の他に」。

405. (心は)言う、「あなたの御前から切り離されていたために、わたしの忍耐も尽きました、おお、わが主よ。今のわたしはまるでヘブライの民の手に落ちたアハマド2のよう、サムードの民によって牢につながれたサーリフのよう。ああ、預言者たちの魂に至福をもたらしたもう御方よ、わたしを殺してください、でなければわたしを御前へ連れ戻してください、さもなければここへあなたが御自らおいでください!不信者だってあなたから切り離されては生きていられない。『塵に戻された方がましだ!』3、不信の世に属する不信者であってさえ、あなたから切り離されればそう叫ぶ。ましてやあなたにのみ属する者が、どうしてあなたと切り離されて忍耐などしていられましょう?」

410. 神は告げたもう、「然り。おお、純粋なるもの(心)よ。だが聞くがいい、それでも忍耐せよ。何故なら忍耐よりも善いものはないのだから。夜明けは近い。よしよし、静かに。もう泣かずともよい。もう呻かずともよい。われが汝のために戦おう。汝はもう戦わずともよい」。

 


*1 「ヒトは夏には……」 該当箇所はアラビア語。イスラム発祥以前のいわゆる「ジャーヒリーヤ」と呼ばれる時代の高名な詩人イムルウ・カイスの作品から「本歌取り」的に取り入れられたものと考えられる。

*2 「アハマド」 通常であればムハンマドを指すが、この場合はイエスを指すものと考えられる。

*3 「塵に戻された方がましだ!」 コーラン22章5節「われらがおまえたちを土から作り(……)」に帰されるものと考えられる。