『精神的マスナヴィー』3巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
マジュヌーンが、ライラの飼い犬を手なずける話
彼らはマジュヌーンのようだった。その振る舞いは、まさしく犬を手なずけ、接吻を与え、慈愛ゆえに喜んで(犬の前に)身をかがめたマジュヌーンのそれ。背中を丸めて仰々しく、ぐるり、ぐるりと犬の周囲を歩き回った。彼はまた、純粋な砂糖の入った水を(犬用の飲み水として)与えさえもしていた。無駄話の好きな隣人が声をかけた、「おお、生煮えのマジュヌーンよ!おまえはいつも、そのような偽善をやって見せる。
570. 一体、何のつもりなんだ。犬はしょっちゅう、鼻先を汚物に突っ込んでものを食う生き物だぞ。唇で、じかに尻穴を啜る生き物なんだぞ」。彼は犬の欠陥を、長たらしく延々と語って聞かせた。欠陥 عیبدان にばかり気を取られる者というのは、未知 غیبدان を知る賢者の考えにまでは思い至らぬ者、その芳香にさえ気づけぬ者。マジュヌーンは言った、「あなたは、まるで(外側の)器でしかなく、体だけでしかない。内側に入るがいい、私の目を通してこれ(犬)を見るがいい。これ(犬)は主の御手により封印された護符だ、ライラの住まう家の護衛なのだぞ。これの気高い覇気を見るがいい、これの心と、魂と、知を見るがいい。これの生きる場所として選ばれたのが何処であったかを考えるがいい。
575. これは祝福を風姿持つ者、私の洞窟1より来たる者。否、私の嘆きと苦しみを分かち合う者。これは彼女の家に住まう犬なのだ。私がこれの毛一筋でも、ライオンに与えたりなどするはずがないだろう。否、否、ライオンだって、彼女の犬の前には奴隷のようにその身を捧げるだろう。これ以上、話すことは何もない。黙ってこの場を立ち去るがいい!」。あなたがたに、姿かたちを越えることができたなら。もしもそうなら此処こそが楽園、薔薇園の中の薔薇園。あなたがたに、自らの姿かたちを打ち砕き、その殻を破ることができたなら。その時あなたがたは、あらゆるものの姿かたちを打ち破るすべを学ぶだろう。
580. その後であなたがたは、あらゆるものの姿かたちに囚われず、あらゆるものの殻を破るだろう。かつてハイダル حیدر ・アリーがそうしたように、カイバル خیبر の城門をも根絶やしにするだろう。純朴なフワジャは、姿かたちに惑わされたのだ。脆弱な言葉(虚しい約束)を頼りに、田舎まで出かけるとは。苦しみをもたらす好餌に向かって羽ばたく小鳥のように、甘言の罠に向かって楽しげに出かけていったのだ。小鳥は餌を、(鳥撃ちの)親切心と勘違いしている。しかしその贈り物は、実際には貪欲さの果てに導き出されたものであり、決して寛大さからくるものではない。餌を欲するがゆえに小鳥は楽しげに飛び、そこにある詐欺の罠に向かって行く。
585. フワジャがどれほど喜び、楽しんでいたか。語り尽くそうとすれば、おお、旅人たちよ。あなたがたを引き止め、出発を遅らせることになる。このくらいにして、あとは省略だ。ようやく村が見えてきたものの、それはじぶんが思い描き、探していた村とは違っていた。そこで彼は、別の道を選ぶことにした。それからひと月ほど、彼らは村から村へとさまよう羽目に陥った。何しろ、あの田舎の男の村へ行く道を、ほとんど良く知らなかったのだ。導く者もなく道を進めば、二日の旅程も百年かかる。案内人もなくカアバへ急ぐ者もこうした迷い人と同じで、これほど情けない愚か者はいない。
590. 師を持たずして商売を始めたり、職人を名乗ったりすれば、町じゅう、国じゅうの笑い者になるだけだ。稀に見る例外は別として、東であろうが西であろうが、両親もなくこの世に頭を出す(生まれる)アダムの子孫などいるだろうか。何かしらによって財を成すものはあっても、(隠されていた)財宝を掘り当てる、などというのは並々ならぬ珍事だ。ムスタファ(ムハンマド)は何処にいる?その身体からして魂のような者ならば、神もコーランを(じかに)教えたもうだろう。2身体に閉じ込められた者ならば、かれ(神)は大いに恩恵を発揮し、代わりの手立てとして「筆において」(知識を獲得するための)教えたもうだろう。3
595. 息子らよ、貪欲な者はすべて(精神的な祝福を)奪われた者だ。貪欲な者のようには走るな、ゆっくりと歩みを進めよ。この旅の間に、彼ら(都会の者たち)は、水に放り込まれた陸鳥のような痛みと苦しみを味わった。村も田舎もすっかり嫌になり、野暮な無骨者の甘い口車を呪った。
*1. コーラン、洞窟の章を参照。
*2. コーラン55章1-2節。
*3. コーラン96章4節。