聖者の位階

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

聖者の位階 1

 

ムハンマド去りし後、いつの世においても
彼の手足となって働く聖者があらわれる2

復活の日まで、人は誰しもが試みの只中におかれる
善良な者は救いを得、意志弱き者は破滅に陥る

いつの世においても、聖者とは生ける導師である ––
ウマルの末裔か、アリーの末裔かに関わらず3

導かれし者であると同時に導く者
そのひとはあなたから隠されている
同時に、あなたのすぐ目の前に座している4

そのひとは預言者の光、普遍の知性が彼のガブリエルとなり
下位にある聖者たちは、光を受け取りランプとなる5

『ランプ』よりも下位の者たちは壁龕となる6
光には、その輝度に準じた位階がある ––

何となれば、神の光は七百のとばりを有する
光のとばりの数ほどに、位階が連なると心得よ7

各々のヴェイルの背後には各々の位階があり
各々の位階に似つかわしい聖者が座す
とばりを一枚、また一枚とくぐり抜けると
最後の最後に、生ける導師の階梯がある

最も高い位階の者にとり、その光は生命そのものだが
低きにある者にとり、その光は堪え難き苦痛となる

階梯を昇り、とばりを一枚越える毎に鍛えられ
やがて七百のとばりを全て通り抜けた頃
そのひとは海そのものとなっている8

強い炎は鉄や黄金を鍛えるが
若いりんごやまるめろには不向きだ

りんごやまるめろが熟すには、ほんの少しの熱で事足りる
鉄と違って、果実は穏やかな熱を欲する

しかしそうした炎では、鉄にはいささか弱すぎる
何しろこれから剣となって、竜との戦いに出かけるのだから

その鉄こそは、自らを難行に投ずるダルヴィーシュである
槌と炎にその身を預けて赤くなり、それをもって幸福とする

炎に仕える侍従となり、炎のすぐ近くにその身を置き
何の隔ても無しに、炎の、心の奥へと入ってゆく

そのひとこそは、世界の心臓であり
心臓が正しく鼓動を打てば、身体の諸器官も正しく働く
残る一人ひとりの心はあたかも身体のようであり
その中心で、かの聖者の心臓が普遍の脈を打ち続けている

 


1. 『精神的マスナヴィー』2-815.

2. ムハンマドに帰される「私の後に預言者は出現しない」という宣言は、彼の精神的継承者や後継者に関する伝統 –– クトゥブ( Qutb )と呼ばれる、その時代に最も優れた聖者を頂点とし、以下階層ごとに徐々に規模が大きくなるヒエラルキー –– によって補完されることとなった。彼らは、真実と虚偽を識別する試金石の働きをする。世界が続く限り試み( azmayish )も続く。偽善者が何を語ろうとも、聖者に対する態度が自ずと彼らの本性を物語ることになる。

3. ここで詩人ルーミーは、シーア派におけるいわゆる「12イマーム」論(アリーの没後、その子孫であるイマームは12人目まで存在したが、最後の一人は神秘的隠遁の状態に入り、最後の審判の日にマフディーとして再臨するとされている)と、血筋としては何の関連も持たず、純粋に精神上の後継者として「ムハンマドの光( Nur-i Muhammadi )」と呼ばれる徳を絶やすことなく継承してきた偉大なスーフィー聖者たちとの間に、画然とした一線を引いて区別している。

4. クトゥブとは「導かれし者/マフディー( Mahdi )」であり、同時に隠された「導く者/イマーム( Imam )」である、彼は神的教導を得た「完全なる人間」であり、彼以外の人間をも完成へと導く( kamil u mukmil )。彼を見る者は多くいるが、彼を理解する者はごくわずかである。

5. ムハンマドは、彼の「昇天」において、神の御前に足を踏み入れる瞬間に大天使ガブリエルを後に残した(コーラン53章)。同様に、根源における神との合一を理解した者は、絶対的普遍における最初の分別、普遍知性をも超越する。ここでいわれる「ランプ」とは、おそらく「アブダール」または「アウタード」と称される高位の聖者を指している。

6. ここでいわれる「壁龕( mishkat )」とは、コーランの有名な章句「神は、天地の光である。かれの光を譬れば、燈を置いた、壁龕のようなものである(コーラン24章35節)」を暗示している。

7. 「アッラーの御顔を隠す700枚(あるいは7000枚)の光と闇のとばり」に関するハディースについて、ガッザーリー著「Mishkat al-Anwar」に解説がある。Gairdnerによる訳(p88-98)を参照。光のとばりは、それぞれ位階の異なる聖者と対応している。

8. 「海そのものとなる」すなわち、根源に完全に没入し同一化する。これ以降、精神的資質や才能には優劣があることを例をあげて語っている。神の愛の炎の取り扱いに慣れた「完全なる人間」の橋渡しが無ければ、未成熟な胞輩が自らじかに触れようとすれば、「料理される前に」たちまち滅びてしまうだろう。