想い人は「わたし」

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

想い人は「わたし」 1

 

ある男が、愛しい想い人の住まう館の扉を叩く。
「どなた?」想い人が尋ねる。
「私です」男は答える。
「お帰りになって」想い人はつれなく言い放つ、
「お若い御方。わたくしの食卓には、生もののためのお皿はないわ」

生の肉であれば、火に炙って調理するのがよい。
未熟な者であれば、愛しい想い人の不在が燃やす恋の炎に炙るのがよい。
それ以外に、彼を独りよがりの偽善から救い出す手だてはない。
男は、やって来た路を悲しげに去って行く。

それから一年、悲しい別離の炎に炙られ続けた男は、
流浪の果てに、再び愛しい想い人の住まう館のあたりまで戻って来る。
彼は恐れる、不躾な言葉の一片でもその唇からこぼれ落ちはしまいかと。
恐れつつも溢れんばかりの敬慕を胸に、愛しい想い人の住まう館の扉を叩く。
「どなた?」想い人が尋ねる。
「あなたです」男は答える、「心の全てを占めるあなたです」。
「それならば」想い人は言う、

「お入りになって、あなたがわたくしならば。
この家に、『わたし』は二人も入れない。
糸の筋目には両端あれど、針の穴はひとつだけ。
一筋に縒られた糸であれば、針の穴にも通りましょう」2

苦心の末に針の穴に通された糸、これこそがまさにそれ。
針の穴からは駱駝の姿は見通せぬ。3
こうして男は、恋の想いを成就させる。

禁欲のはさみで切り刻めば、駱駝であっても針の穴を通ろう。4
しかしそれには、神の御手が必要となろう、
全ての不可能を可能とし、存在せぬものを在らしめる神の御手が。
「主は日々あらたなるみわざをなしたもう」と、書物にもある通り。5

神が何も為さぬと思うな、無に為さると思うな。
神は日々、少なくとも三つのみわざ、三つの軍勢を送り届ける。
軍勢のひとつは父の脇腹から母の脇腹へ、みどりごを子宮に宿さんがため。
軍勢のひとつは子宮から大地へ、男と女とで世界を満たさんがため。
軍勢のひとつは大地から死を越えたその先へ、
愛し合い慈しみ合うことの美しさに、誰しもが目覚めんがため。

 


1. 『精神的マスナヴィー』1-3056. 神的合一の過程において愛する者の個性は、ついには愛される者そのものに変化する。

2. 神秘主義者が自我の殻を一枚ずつ脱ぎ捨てるとき、最後には「神を愛する者」が残る。更にその自我をも捨て去ると、神すなわち「真の存在」のみがその姿を顕わす。

3. 不信仰者たちは、「らくだが針の穴をくぐらない限り、彼らが楽園に入ることはない(コーラン7章40節)」。マタイ19-24も参照。

4. 肉体に備わる諸質が、棘だらけの砂漠の植物をも食べてしまう駱駝に譬えられている。

5. 「書物」とはコーランを指す。ここで引用されているのは55章29節。