愛と論理と

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「愛と論理と」1

われらは父に学ぼう、虚飾とは無縁のわれらが父に
犯した罪と過ちを認めたとき、流された父の涙に2

それでもきみは言い続けるのか
檻を求めて自らを閉じ込め、
われらに自由は無いのだ、と

それでもきみはしがみつき、登り続けるのか
自らの手で育てた内なる宿命の樹に
イブリースと忌むべき彼の末裔が
かれらの主と争い、戦い挑んだ時のように

今となっては、何を証明する必要があろう
祝福されし者ならば誰もが知ること –
論はイブリースの有、愛はアダムの有と。

 


*1 『精神的マスナヴィー』4-1389.

*2 「主は彼らに呼びかけたもうた、「わしはおまえたちにあの木を禁じ、『サタンはおまえたちの公然の敵だ』と言っておいたではないか」。すると、二人が言うには、「主よ、私たちはわれとわが身に害を加えました。もしあなたが私たちを赦し、御慈悲をかけてくださらないなら、私たちは破滅します」。(コーラン7章22,23節)」楽園から追放された後で、アダムは悔悟し自らを責めた。

伝説によれば、追放されたアダムが始めに降り立ったのはサランディーブ(セイロン、現スリランカのアラビア語での古名)であったという。彼が流した涙は谷を流れる川となってサランディーブの隅々まで行き渡り、それ以来この地は香り豊かな茶葉や香草、香辛料を豊かに産するようになった。