光はひとつ

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「光はひとつ」1

 

ランプはそれぞれ違っても、放つ光は同じひとつ。

光、それははるか彼方から届けられる。
あなたがランプに眼を奪われ続けるのであれば、
あなたはあなた自身を奪われてしまう。
ランプの種類は数限りなく、各人の嗜好もまた然り。
あなたの視線を光に転じ、光そのものを見つめよ。
そうすれば、あなたは地上における事象に特有の、
二元性の限界から解き放たれるだろう。
そのようにして新たな視線を獲得すれば、
イスラム教徒、ゾロアスター教徒、ユダヤ教徒の違いは、
依って立つ位置の違いに過ぎないことが理解できよう。

 

ヒンドゥー教徒たちが、見せ物にしようと象を連れてきた。
見物客たちは、象のつながれた暗い小屋へと入ったが、
暗闇の中では、眼で見ることは不可能だったので、
それぞれの手のひらで象に触れる以外には方法がなかった。
ある者は象の鼻に触れ、「この獣は水道管のようだ」と言った。
またある者は耳に触れ、「この獣は扇のようだ」と言った。
またある者は脚に触れ、「まるで柱のようだ」と言い、
またある者はその背に触れた。「本当に、」その者は言った、
「これは玉座のような生き物だ」と。

一人ひとりが光を放つろうそくをその手にしていたら、
それぞれの言葉に違いはなかっただろうに。

 


*1 『精神的マスナヴィー』3-1259. 宗教は数多く存在するが、神はただひとつである。暗がりを手探りで進む以外にない知性は、かれについてほんのわずかすらも知ることは出来ず、かれの全貌についての概念すら形成することが出来ない。全てを透視する神秘主義者たちの視線のみが、かれのあるがままに出会えるのである。