『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
懐疑主義者 1
「嘆きの柱」を信じぬ哲学者は、
聖者の諸感覚には縁がない。2
メランコリアが人々の心に影響を及ぼし、
様々な幻想をもたらすのだと彼は言う。
否、否。
それこそ、自らの邪悪と不信がもたらす幻想に過ぎない。
彼は悪魔の存在を否定する。
だが同時に、悪魔に憑かれているのは彼自身だ。
悪魔など見たこともない、という人がいるならば、
こう答えよう、 –– 「自分自身をよく見るがいい」。
悪魔的な何ものかに憑かれること無しに、
どうして額に青ずんだ痣が浮かぶだろうか。
心に懐疑を感じたならば誰であれ、
その瞬間、人は隠れたる哲学者である。
たとえ口では堅固な信仰を告白しようとも、
ふとした隙に哲学者の静脈が顔に浮かぶ。
見る者すべてに、黒ずんだものとして映るそれを、
用心せよ、汝、信仰あつきひとよ!
その静脈は汝の裡にもある。
汝の裡にこそ、あらゆる類いの無限の世界がある。3
二と七十の宗派は、実に汝の裡にこそある。
ある日、それらの宗派すべてが
汝を支配しようと立ち上がる ––
その日こそ、汝の破滅の日となる!4
1. 『精神的マスナヴィー』1-3280.
2. 「柱の奇跡(メディナのモスクにある説教の際、預言者がいつも寄りかかっていたという椰子の幹)」については、『精神的マスナヴィー』1巻2113行に語られている。のちに預言者用の説教壇が備えられ、彼がそこに座るようになると、柱は「はり裂けんばかりに、うめき声をあげて泣いた」。
3. すなわち、果てのない観念と想像。
4. 預言者はムスリムの共同体が七十三の派閥に分裂し、うち一派は天国に入り、それ以外の派閥には地獄の炎が用意されている、と予言したとされている。