われらが真の名前

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

われらが真の名前 1

 

学べ、「知る者」が学んだように。
「全てのものの名」を学ぶことの、最も深い意味について学べ。2

われらにとり、名とは姿かたちや外見を指すが、
創造の御方にとり、名とは内包される実在そのものである。

モーセの目には、彼が手にした「それ」は「杖」であった。
だが神の御目には、「それ」は「竜」であった。3

ウマルは、「偶像崇拝者」としてその名を知られていた。
だが永遠の相においては、その名は「信じる者」として刻まれた。4

結句、終わりのときの在りようが神の御目に、
終始映り続けていたわれらの真の「名」である。5

 


1. 『精神的マスナヴィー』1-1238.

2. 「知る者」とは、例えばアダムがそうであったように(コーラン2章29節)直観的知識を神から獲得し、あらゆるものごとをその本質のあるがままに見る者を指す。

3. モーセが杖を投げるとそれは竜の姿をとり、ファラオの魔術師たちは恐慌状態に陥った。

4. 第2代カリフのウマルは、イスラム改宗以前には預言者にとっては暴力的な敵であり、信仰者たちにとっては迫害者であった。

5. アッシジの聖フランチェスコは「何であれ神の目に映る姿がその真実であり、それ以上でも以下でもない」と語った。