神を自然の中に見る

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

神を自然の中に見る 1

世界は氷に閉ざされている、その名も جماد –– 生なきもの –– 。
جامد とは、おお、師父よ。それは〈硬く閉ざされたもの〉を意味する。

待て、復活の太陽が昇るのを待て。
世界の身体が、動きだすのを目にするまで待て。2

神は塵の一粒から、人なるものを造りたもう。
ならば人に課された務めとは、この宇宙に散りばめられた、
ありとあらゆるかけらの、その真の姿を〈知る〉こと。

こちらの側から見れば死んでいるが、
あちらの側から見れば生きている、
こちらでは沈黙しているが、
いと高き彼方では、饒舌に語っている。

〈それら〉がいと高き彼方から、われらの世界へ下されるとき、

モーセの杖はわれらが竜と呼ぶところの〈それ〉となり、3
ダビデと共に山々は歌い、鉄もその手の中では蝋となった。4
風はソロモンの従者となり、海もモーセに下された神命を解した。5
月はムハンマドの与えたしるしに従い、
ニムロードの放った炎はアブラハムの薔薇園となった。6

〈それら〉は口を揃えて叫ぶ、 ––

–– ワレラハ見テイル、ワレラハ聞イテイル、ワレラハ分カッテイル。
シカシ汝ラニハ、ワレラハ沈黙スル、オオ、〈硬く閉ざされたもの〉ヨ。

形あるものの世界から、精神の世界へ飛び立て。
宇宙に響きわたるこの大音声に、じかに耳を傾けよ。
ありとあらゆる〈生なきもの〉が、
いかにして神を讃えているかが知れるだろう。

贋ものの解釈者たちが吐きだすものを疑え。
じかに、じかに耳を傾けよ –– そこにこそ、喜びは生まれる。

 


1. 『精神的マスナヴィー』3-1008.

2. 「復活の日」すなわち、神が現世においても来世においても物事の真の姿を明らかにするその日、人は物質界の内的な面、精神界と永遠の生命という相を知らされることになる。

3. コーラン7章104(107)節。

4. コーラン21章79節、34章10節。

5. 風はソロモンの所有として(コーラン21章81節)彼の玉座をこちらの国からあちらの国へと運んだ。神がモーセに「あなたの杖で海を打て(コーラン26章63節)」と命じると、海はイスラエルの民のためには道を開いた。しかしァラオとその兵士たちについては、海は彼らを飲み込んだ。

6. この詩句は、月が「微塵に裂けた(コーラン54章1節)」ことについて、またアブラハムの奇跡的な生還(コーラン21章69節)について言及しているものである。

7. コーランによれば、「……天と地と、そこにあるいっさいのものは、神を讃える。神の栄光を讃えないものはなにもない(17章44節)」。スーフィーにとり、tasbih-i jamadatとは真実の神的な開示であり、また神秘体験の事実であるが、純理論的なムスリム神学者たちは、そうした類いの神への賛美は開示されうるものではなく、ありえたとしても例えば鉱物や植物の様子を目にした人がsubhan Allah!と叫ぶといった、内在的・間接的なものとしてのみである、と説く。