『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
恋の在り処 1
泣く以外にすることなんか何もない
あなたがいない なんて
まるで陽が沈んで光を失った夜の空のよう
あなたは少しも優しくはないのに
冷たくされればされるほど 恋人よ
いっそ私の心臓を抉り出し あなたに捧げましょうか
あなたがそう望むなら 王の中の王よ
このまま悲しみと 苦しみの中でもがき続けましょうか
それでも構わない あなたがくれた痛みだと思えば
あなたのために 真珠がこぼれ落ちる
他人はそれを 涙と呼ぶけれど
あなたのために 物語がつづられる
他人はそれを 愚痴と呼ぶけれど2
これ以上深入りしてはいけないと 私の心は言うけれど
笑い飛ばして追い払う 私はそんなに弱くない3
どうして私にだけ冷たいの
誰にでも優しいと 言ったじゃないの
お願いだから扉を開けて 夜の空の下
どこにあなたはいるの どこに座っているの
私の胸に 恋だけを置き去りにして
恋人はどこにいるのだろう 私はここにいるのに
一体いつまで待てば「私」は 「私達」になれるのだろう
きっといつまで待っても 「私達」にはなれないのだろう
私が 「私」 を 捨てない限りは
私があなたを 「あなた」 と 呼ぶ限りは
私はあなたに恋をした
恋が あなたそのものだった
私はあなたと結ばれた
その結び目が あなただった4
これがあなたの仕掛けた罠
「私」と「あなた」の境界は消え去り
いつか「私とあなた」も消え去って5
恋だけが 夜の空に瞬き続ける
1. 『精神的マスナヴィー』1-1776.
2. 恋人の不実をなじり不平不満を口にする( shikayat )のは、実は恋人を愛するがためではなく自己を愛するがためである。一方でスーフィーが神への思慕を語る( hikayat )のは、ただ神に命ぜられるままに神への忠誠を誓い続けているものであり、報われるか否かは問題ではない。
3. 「私の悲しみや苦しみは、神の親愛の印であることを私は知っている」。
4. 現象とは、全て一なる実在の反映である。現象を分け隔てる個別性のヴェイルが取り除かれたところに実在が明らかにされ、そこで初めて本当の意味での合一が可能になる。愛ある限り、ありとあらゆる現象に神の実在を見出すことが出来る。
5. 究極には、神は崇拝の対象であると同時に崇拝者である。そのことが、崇拝という行為を軸に「私」と「あなた」を分け隔てていた個別性という幻想が取り除かれて初めて理解される。