ほんのりとしたタキーヤ風味

イラン系アメリカ人で物書きのレザ・アスラン氏が主宰するAslan Mediaというウェブサイトがあって、今週はミュージシャンのアニ・ゾンネヴェルドさんがゲストコラムを書いていた。

Hey Islamophobes and Radical Muslims: Get A Room!

アニさんの本業は音楽制作。2001年9月11日以降は宗教系の活動にも力を入れていて、”interfaith marriage”、お互いに異なる宗教を保持しつつ結婚生活を送る人たち(に加えて、ゲイカップル)を支援するNPOを主宰している。そのようなわけで彼女のところには、

・イスラムは女性が人前で歌うことを禁じている
・っていうかイスラムは音楽を禁じている
・っていうか異なる宗教を持った者同士の結婚なんてあり得ない
・っていうかゲイカップルなんてあり得ない
・っていうかムスリムなんてあり得ない

……と、いう具合のメールやら手紙やらがひっきりなしに届くのだそうで、イスラムフォビアとラディカル・ムスリムってほんとに良く似てる、いっそ一緒にどこかに部屋を借りてお互いに直接やり合ってたらいいじゃないの、一生その部屋から出て来ないでね!っていうようなことを書いていらっしゃる。「Get A Room!」というのは字面通りだと「部屋を探せ」だけれど、「別のところでやってくれ」というほどの意味。「居場所を見つけなさいよ=ここはあなたたちの居場所じゃないわよ」的な。

中には、彼女の歌声は「間違った周波数」であり「悪魔と、悪魔に奉仕する人々を打ち負かすのに正しい周波数は432ヘルツ」であり、「正しい周波数の音楽でないと奇蹟は起きない」云々といったメールがあったりもしたんだそうだ。笑った。いや、笑えない。いや、でもちょっと笑った。いるからなあ、こういうの。

その他にも、イスラモフォビアなひとから届いたメールなどが全文引用されている。「ムハンメダン、ムハンメダン」と連呼しつつ呪いじみた文を連ねた最後に、「正しい宗教はキリスト教だけ!」って書いてある。笑った。いや、笑えない。いや、でもちょっと笑った。いるからなあ、こういうの。「正しい宗教はキリスト教だけ!」の「キリスト教」を「イスラム教」に差し替えれば、ほーら。いるじゃないですか、そういうの。


“interfaith marriage”というと、あるトルコ人女性とアメリカ人男性のカップルを知っている。ふたりは、彼が米軍人としてトルコの米軍基地に勤務していた時に知り合って恋に落ちた。結婚しましょうそうしましょうとなったとき、女性側の親族一同は猛反対した。ここまではよくある話なんだけど、ここからがかっこいい。彼女のお母さんが立ち上がり、「ホジャに話を聞きに行く」と言い出した。普段は家で礼拝するお母さんがモスクに行くというので、それだけでみんなが驚いたのだけれど、一緒に行く、というお父さんに向かって「あなたは来ないでいい。わたしが一人で行く」と言ったので、ますますみんなが驚いた。

一人でモスクに行って、帰ってきたお母さんは彼女に「ホジャがおまえと話がしたいと言っているから行きなさい」と言い、彼女は「どうせ反対されるんだ」と思いながらモスクに行った。するとホジャは「あなたには行きたいところへ行く権利がある。あなたのお母さんはあなたの結婚に賛成している。どうしたらあなたの結婚生活がうまく行くか、助言が欲しいと言っている。そこであなたに助言する」。助言というのは以下の三つ :

・夫が酒を飲みたいと言ったら用意する
・夫が豚肉を食べたいと言ったら料理する
・夫に尋ねられない限り、イスラムの話はしない

猛反対していた親族一同については、お母さんが壁になってくれた。結婚式は挙げなかったけれど、男性側のホームタウンでのお披露目パーティには、お母さんがたった一人で飛行機に乗ってやってきて参加した。彼女の結婚話が持ち上がるまで、モスクにも行ったことのなかったお母さんが!

「わー、お母さんかっこいい!」
「そうよトルコの女はかっこいいわよ、でも男は全然かっこわるいわよ。キョーコもモスクに深入りしちゃ駄目よ。女を閉め出してモスクで男同士で昼間からだべってる連中なんてロクなもんじゃないって、ふつうに考えたら分かるでしょ」
「お、おう」


宗教実践のひとつとして「タキーヤ」というのがある。アニさんも、上記のコラムで少しだけ「タキーヤ」について触れている。彼女はそれを、「イスラムの道を進むためには嘘も許される」とされている、というふうに説明している。そして「これを理由にイスラモフォビアたちは、全てのムスリムが嘘つきであると主張する」、と言っている。

「タキーヤ」は、日本語では一般に「信仰の秘匿」というふうに説明される。信仰実践の、はじめのはじめに「シャハーダ」というのがあり、これは「信仰の告白」というふうに説明されるだいじなふるまいだけれども、害が生じるだろうと合理的に予測される場合には、信仰を公言しないことも許される、という、例えば↑に出て来るホジャの助言なんかも大雑把に言ったらこの「タキーヤ」に相当する部分があるだろう。

この「タキーヤ」というもの、教科書的には主にシーア派の教条に分類されるのだけれど、実際にはこんなふうに入り交じっていたりするものであるな、と、ふと思い出したのでした。

と、いうか、ここからが「シーア派」でここからが「スンナ派」、などというふうに、きっぱり線引きがあるかのように錯覚してるのは、イスラム教の1400年間の歴史のうちここ最近の現代人だけだろうとも思うけれど。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。