逃げよう

今年の夏頃にイラクに黒旗が立ったとき、「うーむ」とハディースを読み返していたらこのような一文を見つけました。

スワイド・ブン・ガファラによると、アリーは語った。神の使徒についてあなた方に何かを話すとき、嘘を言うよりは天から落される方がはるかにましだ。またあなた方にわたしとあなた方の間のことについて話すとき、争いは裏切りである。さて、わたしは神の使徒が次のように言うのを聞いた。「終りの日になると、年若い愚かな人達が現われ、彼らは世界で最も美しい言葉を話すが、その信仰は口先だけであり、丁度矢が的からそれるように彼らは正しい教えから離れるであろう。

お、って思うじゃないですか。おお、ってなるじゃないですか。しかしこれにはこんな続きがありました。

彼らと出遇ったならば、たちどころに殺してしまえ。彼らを殺した者には、復活の日、報いが与えられるであろう」と。

「たちどころに」って。「たちどころに」って!!!!!


ジャービル・ブン・アブド・アッラーは言った。我々が神の使徒とマッル・アッ・ザフラーンでカバースを集めていたとき、彼は「黒いのを採りなさい。それがよいから」と言った。それから我々が「あなたは羊の群を飼っていましたか」と尋ねると、彼は「勿論だ。群を飼わない預言者が一体あるだろうか」と答えた。

カバースというのは、灌木の一種らしき砂漠の植物になる木の実のことだそうです。熟してないやつをとるなよ、よく熟して食べごろのやつをとれよ、ってあれこれうるさく指し図していたんでしょう、きっと。それで皆さんが皮肉を言ったんですね。全体としては、和気あいあいとしてとても楽しそう。いいとししたおっさんたち(失礼)が、ぞろぞろ、ちっさな木の実を摘みに出かけて。

ジャービルは言った。クライシュ族の隊商を待伏せするため、預言者がアブー・ウバイダを頭に我々三百人の騎兵を送ったとき、激しい飢えに襲われて、我々は枯葉まで食べた。このために、これは「枯葉の遠征」といわれる。そのときアンバルという魚が海から打上げられたので、我々は半月の間その肉を食べ、油を体に塗り、すっかり元気になった。アブー・ウバイダがその肋骨を一つ取って立てたところ、馬に乗った人がその下を通れるほどであった。

アンバルってamber?マッコウクジラ?

わたしのコーランの先生は、「ハディースはむつかしいからあんまりいじるな。とりあえずコーラン読んどけば何とかなるから」という感じでした。でもわたしは、食べ物について書かれた文章というのが大好きなのです。それがたまたまハディースだったなら幸運だ。味覚、それはどうがんばっても伝えようのない(伝わりを、証明しようにも証明のしようがない)経験中の経験。

たとえば「海で取れるものを食うことは差支えない(コーラン5章97節)」に関するハディースであるとか。

アブー・バクル:水に浮くものはすべて食べてよい
イブン・アッバース:死んでいるが腐っていない魚の肉は大丈夫。あとジッリーという魚。ユダヤ教徒は食べないが我々は食べる
シュライフ:海の生きものはすべてそのままでも正規の仕方で屠られたものとみなそう
アブー・ダルダーゥ:いや魚っていうのはやっぱり酒と塩に漬けて天日干しにするんでないと正しく屠ったとは言えないでしょ
アター:鳥は喉を切って屠るべきだよね
アル・ハサン:ところでおれの鞍は魚の皮製だぜ
アッ・シャアビー:うちの家族は蛙は食べないんだよね。食べさせてやりたいんだけど
アル・ハサン:亀は問題ない
イブン・アッバース:海の獲物は誰が穫ったのでも食べていい。穫ったのがキリスト教徒でもユダヤ教徒でもゾロアスター教徒でも関係ない

「アブー・フライラによると、預言者はどんな食べもののことも決して悪く言わず、食べたければ食べ、嫌ならば残した、という」。でも何かの折りに、誰かがロバを煮込もうと火を焚いたら、怒って「鍋の中身をぶちまけて鍋は叩き割ってしまえ」と、すごい怒ったりしている。でもその場にいた別の誰かに、「鍋の中身はぶちまけて、鍋は洗ってまた使うってことでどうでしょう」と言われて「それでもいいけど」と答えてたりもする。じゃあなんでキれたんですか……。

お手元不如意時代を伝えるものなんかも。

サァドは預言者に従った七人の一人であったが、当時、アカシアの葉や実の他に食べものはなかったので、我々の便は羊の糞のようであった、と言った。

リアルですねえ。


「たちどころに」って。そんな鍋を叩き割るような具合にはいかないよー、と思ってたらこんなのもありました。

アブー・フライラによると、神の使徒は「争乱が起るとき、家で座る者は起つ者よりよく、起つ者は歩く者よりよく、歩く者は走る者よりよく、争乱に身を曝す者は亡びるであろう。逃げ場を見つけた者はそこへ逃げよ」と言った。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。