御本の記録:第1四半期 (1)

2015年明けから3月までの間に読み終えたり、そこにおいてあったりする御本について。

最初はこれ。

イスラームの誕生―信仰者からムスリムへ
タイトル、というか副題だけでやられてしまいつい手を出してしまいました。

と、いうのも先日現代イスラムの歴史 (中公文庫)という御本を読んだらすごく良かったのです。それで著者のW. C. スミスさんのお名前で検索してみたところ、Google Booksに”The Meaning and End of Religion”というこれもまた良さそうな御本の、こんなサンプルページが出てきました:

スクリーンショット(2015-04-12 0.34.50)

「西洋における具象化([具象化]でいいのかな)」。

659冊の御本のタイトルを世紀別に並べた際の「クリスチャンの信仰」「クリスチャンの宗教」「キリスト教」という語の割合の分布。15世紀には100%「(クリスチャンの)信仰」であったのが、時代を経るにつれ「(クリスチャンの)宗教」「キリスト教」という語の出現の割合が増えてゆくよ、という表。

と、

 

 

スクリーンショット(2015-04-12 0.35.47)「イスラムにおける具象化」。

これはG. Brockelmannさんという方の著書にあるコーラン含むアラビア語書籍リストにおける「イスラム」という語と「イーマーン(信仰)」という語の出現度合いの分布を時代別に並べてみましたよ、という表。こちらもこちらで、当初のコーランにおける「信仰」「イスラム」という語の出現頻度の割合が、ヒジュラ暦14世紀/西暦19世紀にはほとんど逆転している。

 

 

これだけを見て「おもしろそうだなあ」「洋食がないと和食もないのだなあ」などといったぼんやりとした感想を抱えてうろうろしていたところに上記の御本を見つけてしまってつい手を(以下同文

期待通り、とても納得のゆく御本でした。

ではクルアーンは、ムハンマドと彼の初期の信奉者について何を教えてくれるのだろうか。まず気がつくことは、否定しがたいほどにクルアーンが「信仰者」(ムウミヌーン、単数形はムウミン)と呼ぶ人々に語りかけていることである。この呼称は、伝統的なムスリムの叙述や現代の学問的慣例とは異なる。いずれの場合も紋切り型にムハンマドとその信奉者を「ムスリム」(ムスリミーン、単数形はムスリム、字義通りには「服従する人々」)と呼び、また彼の運動を「イスラーム」と呼んでいる。しかしながらこの後代の語法は、クルアーンに示されている最初期の共同体に使用するのであれば、誤解を招くおそれがある。もちろん、イスラームやムスリムという言葉はクルアーンの中に確かに見つかるし、ときにこれらの言葉がクルアーンのテキストでムハンマドとその信奉者に対して使用されることも事実である。

しかし、そのような事例はムハンマドとその信奉者が「信仰者(ムウミヌーン)」と呼ばれる事例と比べると数が少ない。ムスリムやそれに類する表現が75回未満であるのに対し、「信仰者」はおよそ1000回確認される。ムハンマドの時代からおよそ100年後に成立する後代のムスリムの伝承では、ムハンマドの信奉者のムスリムとしての自己認識が強調されるようになっており、またこの二つの言葉が同義語であり、置き換え可能であるように描かれ、彼らを信仰者と呼ぶ多くの章句の重要性が消されようとしている。しかし、信仰者(ムウミン)と服従者(ムスリム)の語は、明らかに相互に関係があり、ときには一人の、同じ人物に使用されることがあるものの、これらが同義語でありえないことは、多くのクルアーンの章句からはっきりしている。例えば、クルアーン49章14節には、「遊牧部族どもは、『われわれは信仰します』などと言っている。言え、『おまえたちは信仰などしていない。ただ<われわれは服従しました>と言っているにすぎない。おまえたちの心の中には、まだ信仰心ははいっていない。』」と述べられている。この章句では、信仰というのは明らかに「服従(イスラーム)」とは別の何か(よりよいもの)である。

(『イスラームの誕生 ― 信仰者からムスリムへ』p56-57)

……と、引用してみて分かる通り、固いのは表紙(と、著者・訳者の方々の誠実な意志)だけで、文章はどこをとっても清潔で読みやすいです。なので本屋さんに山と積まれた「わかりやすそう」で「やさしそう」で、でも読み終わってもわかったのだか何なのだか、来月か再来月になれば世の中のどこかで100円で売られていそうなことだけはわかるといった御本を何冊も読むよりも、こういう御本を1冊読んでおけばいいのだなと思いました。

第四章「共同体の指導者の地位をめぐる争い」と、続く第五章「イスラームの誕生」は可及的速やかに万人に読まれるべきだと思います。それから補遺の「ウンマ文書」「エルサレム、岩のドームの碑文」は、これまでに見たことのある補遺の中でもかなり豪華な部類に入ると思いました。

その他についてはページを分けます。