“Selma”でいいのに

ややあって『グローリー/明日への行進』を鑑賞して参りましたよ@試写会。

作品の縦軸に置かれているのはドクタ・キングが率いたいくつかの運動のひとつ、アラバマ州セルマでの「マーチ」と「血の日曜日」事件です。

Stefan Sharffのショート・ドキュメンタリー。暴力的なシーンがないものはほとんどこれくらいだった。selma alabamaだとかbloody sundayだとかで検索すると、警官隊の暴力もあれですが、それよりも沿道の見物人の歓声がすさまじい動画が色々と出てきます(よくもわるくもNFLってかなり役に立ってるんだなとあらためて思います)。

観賞後に知ったのですが、パラマウントが米国全土の高校に本作のdvdを無償配布しているそうです。来年は選挙があるし、中には初めての投票にのぞむであろう卒業生の子もいるだろうからその前に観てね、ということらしい。

セルマの「マーチ」はもちろんドクタ・キングがひとりでどうこうしたというのではなく、教会関係者の団体や地元の学生たちが組織した非暴力を標榜する団体などが連携し合って実現したもの。ドクタ・キングは周知の通り牧師だし、ほとんどあらゆる演説において聖書と聖書の神に言及しています。

(米国における)宗教と政治というと4年前にこういう記事がありました。
Religion and Party ID Strongly Linked Among Whites, Not Blacks

「宗教と党派意識が強烈に結びついているのは白人であって黒人ではない」。宗教熱心(である、と自己申告する程度には宗教熱心)な白人の共和党支持者は、同じく宗教熱心な白人の民主党支持者の2倍以上。アジア系やヒスパニック系の間にも似たような相関はあるがこれほど顕著ではなく、また黒人は宗教的だろうが非宗教的だろうが民主党支持。白人、黒人、アジア系、ヒスパニック系と四分割して観察すれば自らを「宗教的」とみなしている割合がいちばん多いのは黒人(半数以上が「宗教的」と自己申告している)で、宗教と政治(的党派意識)の間に相関がほとんどないのは四グループ中では黒人のみと言える、という調査結果が出ましたというもの。

This analysis adds new insight to the well-established fact that religion is related to politics in America. It confirms the extent to which the most religious Americans disproportionately affiliate with the Republican Party and the least religious are disproportionately likely to affiliate with the Democratic Party. It further reveals that this relationship is substantially different across race and ethnic groups, and that it is most evident among white Americans. The reasons for this likely vary, but the fact is that highly religious white Americans remain one of the most reliably Republican population segments in American politics. This population segment has been and will continue to be a powerful force for Republican causes and candidates in both the Republican primary elections and in the general elections.

米国において宗教が政治に関わっているというのは十分に証明されたことではあるが、この調査結果はその事実に新たな見識をもたらすものである、と。全体としては宗教的な米国人は共和党に、非宗教的な米国人は民主党に投票するが、これは白人グループに顕著に見られる行動であって人種/エスニック・グループすべてにあてはまるかというとそうではない、と。

「宗教熱心」と自己申告する白人は共和党にとり常に堅固な票基盤であり続けるし、黒人は何がどうでも民主党(”anomalous”って失敬な(笑)、とちょっと思いました)だが、アジア系・ヒスパニック系は白人ほどではないにせよやはり「宗教熱心」であるほど共和党寄り。よってこれからは彼ら(アジア系・ヒスパニック系)をいかに取り込むかが両政党の課題となるだろう、的な〆。

だったのですが、その4年後にあたる今年5月には“U.S. has become notably less Christian, major study finds”、米国人が目に見えて宗教(キリスト教)離れしてる、というはなしも出ていたりして。

で、ここから先は映画についてです。

ドクタ・キングが最初から最後までひたすらしゃべり続ける(しゃべり続けさせられている)映画でした。とに、かく、もうずっと会話会話会話。会話に次ぐ会話。いつでもどこ行ってもやることは会話。車の中で、通りで、自宅で、友人宅で、教会で、集会所で、庁舎で、留置所で、死体安置所で、ホワイトハウスで、広場で。あの人と話し、この人と話し、妻と話し、学生と話し、役人と話し、保安官と話し、大統領と話し、時々みんなの前で説教やって。夜は説教のねた出ししながらペーパーパッドとペン相手に話して。でまた翌日あの人と話し、この人と話し、誰かに話しかけられて返事したらいきなり殴りつけられちゃって話しにならないこともあったり、ちょっと愚痴って、でまた気を取り直して説教やって。

そして誰もかれもが疲れてる。妻も疲れてる。仲間も疲れてる。大統領も疲れてる。学生も疲れてる。ちょこっとだけ顔出したマルコムXも疲れてる。だいいち、おれがいちばん疲れてる。ドクタ・キング、ずっと八の字眉で疲れてる。ああまたあんなこと言っちゃった。こんなこと言っちゃった。どうしよう。だいじょうぶかな。うーん。でもまあもう言っちゃったし。しかたがない。とにかく帰宅だ。妻と話す。ちょっと元気になる。でも元気になって軽口たたいたら妻に「わたしそういうの好きじゃないから」ってしかられた。あやまる。落ち込む。もう寝たい。でも明日の説教の準備しないと。

ノーベル平和賞もらったけどなんか今ひとつぱっとしないし。資金繰りもうまくいってないし。脅迫電話はかかってくるし。盗聴はされてるし。妻ともぎくしゃくしてるし。まあそれはおれのせいなんだけど。でもやるんだよ。やるんだよ。やるんだよ。終わるまでやるんだよ。終わった。エンドロールだ。

ああ。とてもいい作品でした。nuff z nuff.

感激だの興奮だの、そういうのはもう極力排除しているとこがいいです。リーフレットには例によって例のごとく「感動の実話」とかってありましたけど、それが疲労感の上にさらにもういっこ疲労感のっけてくるだけになってるあたりがまた。味わい深い。

スクリーン全体を覆って渦巻く疲労感の中心でオプラ・ウィンフリーがすっかりいい具合にできあがってました。それを見たウェンデル・ピアースが「やばい」ってがんばってました。「これ映画だからね!」っつって。「やっぱり何だかんだ言ってエンタテインメントだからね映画ってのはね!」っつって。コモンもがんばってました。「おれアイス・キューブと違うから!同じMCあがりだからって一緒にされたんじゃ困るから!」っつって。

学生の、なんだかバートとアーニーみたいな二人組が惜しかったと言えば惜しかった。ちょっと他の登場人物とは遠近感がずれているというか。それは彼らのせいでは決してなく、カリカチュアが過ぎるというか、ちょっとはしょり過ぎちゃった感じがしました。ああ余計なこと言いましたすいません。いいんです。いいんです。描き込んだら描き込んだで、あの二人組だけでもういっこ映画ができちゃいそうだし。

そんなことより邦題ですよ。『セルマ』で良いじゃないか、なんで『グローリー』にしたんだ。主題歌のタイトルがグローリーだから?本編は無理だったけどそれでも主題歌はどうにかこうにかアカデミー賞とったしそっちを前面に押し出した方がいいだろうみたいな?まあいいですけど、『グローリー』と聞くとどうしてもデンゼル・ワシントンの方のが思い出されます。

ところでこういう映画のトレーラーの広告に、いや、広告を入れること自体には何の文句もないですしあんまりPCPC言うつもりもないのですが、それにしても「美白化粧品」もってくるっていうのはさすがにちょっと。あたまわるそう過ぎるんでやめてほしい。

『セルマ』は公民権運動が舞台だから50年前、こっちの『グローリー』は南北戦争が舞台だから150年前。いい映画でした(です)。公開当時はご婦人方が大騒ぎでしたよね。いや、おおっぴらに大騒ぎしたわけじゃないですけど。

いや、してたか。してたしてた。ああしたとも。そろいもそろってみんな相当に不埒なことを考えてました。だからというのではないでしょうけど、殿方(黒い殿方)にはあんまり受けてなかった記憶がある。まあそうだよね。

デンゼル・ワシントンはこの『グローリー』でアカデミー助演男優賞をとってた。主演男優賞をとったのが2001年とか2002年とか。非白人の受賞は彼が二人めで、初の受賞者シドニー・ポワチエ以来40年ぶりとかくらい?87回やってて芝居で一等賞もらえたのはその二人だけってほんとすごいはなしだ。そういうのも踏まえて鑑賞するとさらに疲労感倍増でなおよろしいと思います。

あとMLと言ったらドクタ・キングでいい。ドクタ・キングの方だけでいい。

ふと思ったのですが、あれですね。公民権制定から半世紀が経過したわけですけれども、この間に”Black Matters”を扱った映画というと思い出されるのは『セルマ』含めて前述の『グローリー』だとか『カラー・パープル』だとか『マルコムX』だとか、他にももろもろ、ほとんどが黒人の葛藤を描いた作品ばかりで(そうは言ってもわたしの鑑賞する作品が極端に偏っている可能性はおおいにある)、

そんなにもどうしても「感動の実話」がほしいなら、そろそろ「白人の葛藤」に目を向けてあげるといいかもしれません。