It’s Not Easy Bein’ ______________

全米黒人地位向上協会の女性支部長、実は白人だった 2006年頃から黒人を騙る
公民権団体幹部が「人種詐称」=実は白人、写真暴露され辞任-米

しかしこれは実際には「黒人」を騙ったのではなく「混血」を騙ったという話ではないかと。そのあたりは遅かれ早かれもう少し落ち着いた頃にたぶんどなたかが指摘することでしょう。あるいはもうそうした指摘がどこかで行われているかもしれません。彼女がNAACPの支部長職を辞めた、そうか辞めたか、というくらいのものですが、しかしそれが”breaking news”なんていう扱い方をされているのを見れば、この24時間だか48時間だか夢中になって彼女についてのあの記事やこの記事を読み漁っていたひとたちもそろそろいい加減われに帰る頃合いであることに気がつくでしょう。日本では「“米国の”人種問題は根深い」「“米国の”人種問題は難しい」あたりに落ち着くのでしょう。

デイヴ・シャペルがいい感じでした。にしても、彼の鉄板ねたである「盲目の黒人が自分が黒人とは知らないままKKKに入団する」に比べれば”Exclusive”ってほどでもないですが。
Exclusive: Dave Chappelle won’t be making jokes about Rachel Dolezal anytime soon. Here’s why.

アブドゥル・ジャッバールもいい感じでした。
Kareem Abdul-Jabbar: Let Rachel Dolezal Be as Black as She Wants To Be

ユネスコの1950年の人種声明をひき「人種なんてものはない」、だから彼女が黒人か白人かはどうでもいい。ドクタ・キングの演説をひき「肌の色によってではなく、人格によって評価されるべき」、だから自分の個人的な・職業的な利益のために嘘をついたことが問題なのであって、彼女は白人か黒人かはどうでもいい。さて万人の平等の実現はすべてのアメリカ人にとり非常に重要な戦いである。彼女のように情熱的な人物を失うのは惜しい。足の引っ張り合いやら騙し合いやらに興ずるよりもここはひとつ彼女が一声「わたしはスパルタクスだ!」と叫んではどうか。云々。……やだもうほんとかっこいい。

それにしてもracializationの、言ってしまえば「ばかばかしい」としか言いようのない一面がべろんと見えたできごとではあった。

世の民が件の女性を「黒人」ではないとする根拠は何なのか。だって彼女は「白人」だからだ。と、いうことなのらしいですが、では「白人」とは何なのか。誰が・いつ・どこで・どのように決めているのか。


Rebel Music: Race, Empire, and the New Muslim Youth Culture
ちょうど先日読み終わったこの御本(すごくおもしろかった)の全12章中8章め、”We Ain’t White”の冒頭、こんな記述を以下に抄訳・引用してみます。

ボストン・マラソンで爆発が起きたその数時間後には、爆弾犯人(たち)のIDや外見に関する憶測が始まっていた。ムスリムたちは憎むべき凶悪行為の犯人が自分たちのコミュニティの一員ではありませんようにと祈り、これがマイノリティへのバックラッシュの引き金となるだろうと憂うリベラルなコメンテーターたちは、爆弾犯人がダーク・スキンの個人ではないことをあからさまに期待して隠そうともしなかった。彼らの言い分はこうだ –– 犯人が「白い」アメリカ人なら、銃に取り憑かれた何匹めかの「一匹狼」として扱われ、犯罪は法の範囲内において処理されるだろう。だが犯人がダーク・スキンの持ち主なら、その行為はイデオロギーに基づいた実在する危機の一部とみなされ、軍事行動や国家の安全保障問題までをも巻き込みかねない一大事として扱われる。政策に影響が及べばプロファイリングが横行しシビル・ライツの侵害が起きるだろう。

悲劇から三日後の4月18日、CNNのジョン・キングが、捜査当局の情報によると爆弾犯人は「ダーク・スキン」である、と宣言した。数日にわたった肌の色にまつわる憶測の狂乱は、もはやばかげた大騒ぎの様相を呈していた。誰かの裏庭につながれたボートに隠れていたツァルナエフの弟が発見されたとき、ウォッチャーの一人はこうツイートした。「で、ダーク・スキンってのは何だったの。ボートのことか?」。

こうして犯人がチェチェンの白人 –– コーカサス出身の、まさしく字義通りのコケイジャン –– であったことが明らかになっても、兄弟の外見や地理的ルーツに関わらずコメンテーターたちは彼らを白人ではないと主張した。兄は永住権を持っていたし、弟の方は大麻を吸いヒップホップを好み、高校時代はレスリング部に所属していた米国市民だった。だがそうしたことは全く考慮されなかった。「コメンタリー」誌は「ボストン・マラソンの爆弾犯人は『白いアメリカ人』ではない」と断言した。実際、「ザ・ウィーク」誌は過激化をとりあげた特集号の表紙で兄弟ふたりをダーク・スキンに描いた。その一方で、たとえば「サロン」誌のジョアン・ウォルシュのようなリベラル・ジャーナリストたちは、「国勢調査局が何をどう説明していようが」「ツァルナエフは白人ではないと断定するその固い決意」を嘆いていた。

ボストンの悲劇により、米国で暮らすムスリムたちにとっては長らくの懸念であったある矛盾がメインストリームに浮上した。すなわち、たとえ国勢調査局が北アフリカ、中東および中央アジア一帯にルーツを持つ米国人を法制上「白人」と定義していようが、社会も一般の言論も、あるいはその他の政府機関でさえも彼らを白人とはみなさないのである。イラン、トルコ、そしてアラブをバックグラウンドに持つ若いムスリム活動家たちは過去十年間に渡り米国のマイノリティたるべくロビー活動を続けてきた。合法的マイノリティの地位獲得のための動きは米国の国境を越えて起きている。欧州と北米にまたがるムスリム・コミュニティはそれぞれが住まう各国の国勢調査局周辺に結集し、別々のチェック・ボックス*を設けるよう請願活動を行い、人種や民族の公的カテゴリーを支える地図や境界線を争っている。

*チェック・ボックス たとえば本家本元の米国勢調査局が2010年に行った国勢調査のチェック・ボックスはこういう感じだった。2020年に行われる国勢調査を視野に入れて中東・北アフリカ出身の在米ムスリムが「マイノリティの地位」を獲得しようとチェック・ボックスの是正キャンペーンはってるよ、の詳細については上記の御本のそのくだりがアル・ジャジーラ紙に転載(?)されている。

この御本はほんとにおもしろかった。”The Jazz Caliphate”なんて、忠誠を誓わずにはいられないでしょ。

みんながだいすきな「ハラール認証」のはなしも出てくる。米国での「ハラール認証」の歴史はネイション・オブ・イスラムが深く寄与したバイ・ブラック運動(Buy Black Movement)とは切っても切り離せません。でもそのあたりについてネイション・オブ・イスラム周辺の当事者以外のひとの手によって、ラスタファリに目覚めちゃったモロッカンのレゲエ・ムーヴメントだとかと同一のテーブルの上で、ムスリム文化の一部として書かれているのを読むのはわたしにとってはとても新鮮なことでした。

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おまけ。あげる。