7月18日のめも

トルコ首相 「失敗のクーデター 背景にギュレン教団」
トルコ大統領 「ギュレン教団」支持者を一掃する決意

NHKやその他、日本語圏の報道でこのひとの名前がこんなに連呼される日がくるとは思ってもいませんでした。と、いうような書き方をすると、まるでこのひとのことをよおく知っている、と言っているかのようになってしまいますが、実際のところあんまり知らないです。

とは言うものの、なんとなくでもお名前やあらましを知っているのとそうでないのとでは、上記のような報道を目にしたときに受ける印象とか、感想とかはそれなりに違うのだろうなと思います。まったく知らなければ、このような報道を目にしても「なんかまたわけのわかんない新キャラが登場した」的な感じになるのではなかろうか。わたしも、ちょっとだけそうなりました。

ちょっとはなしが飛びますけれども、ラマダンが始まったばかりの6月初頭にこんな報道があったんですよ。

Rumi film will challenge Muslim stereotypes, says Gladiator writer

映画『グラディエーター』の製作に脚本で参加したデヴィッド・フランゾーニというひとが、「13世紀の詩人ジャラールッディーン・ルーミーの伝記映画」のシナリオを引き受けたそうです、というもので、そのインタビューの中で、「ルーミーはレオナルド・ディカプリオに、シャムス・タブリーズィーはロバート・ダウニー・Jr.にやらせたい」と口走ったというので界隈の一部が大騒ぎになっていたのですが、

クーデターほにゃらら、失敗ほにゃららというあちこちの報道を読んでいて、何となくそれを思い出していました。こうして引き比べてみると、ルーミーよりギュレンさんの方がハリウッド映画に向いているんじゃないかと思わされるものがある。「海を隔てた深い森の奥から謎の教団を率いて秘密裡に政府転覆を指示する白髭の老人」。この荒唐無稽感。

そのようなわけで(どのようなわけだか)ギュレンさんのことはまったく知りませんが、ご自身を神秘化するというか、演出するというか、そういうのが上手な方なんだろうなというふうな印象(もちろん、それ以外のことにも長けていらっしゃるのでしょうが)をずっと持ったままここへきていて、まあ御本人が実際どう思っているのかとかは知る由もないですが、彼の個人的なサイトであるとか、出版物の人物紹介などを見るに、そうした神秘化や演出については少なくとも同意してきているわけだし、それを喜ぶ人たちも世の中には沢山いるわけです。

そういうギュレンさんの運動に共鳴して、彼の推奨する一種の「布教活動」に参加している人々なら、少しだけですが接点があります。いいひともいれば、あまりお近づきになりたくないひともいます(と、いうか、いました)。また会いたいなあ、と思うひともいます。彼らの人生が、不必要に困難なものになってしまわないといいのだけれど、と祈るばかりです。

運動それ自体について自分はどう思うかというと、うーん。まあ、参加しようという気にはまったくならない。でもそれはこの運動に限ってのことではなく、世の中には様々な宗教活動や運動や団体がありますが、その全部に対して等しく参加する気にはまったくならない。一緒にセマーをやりましょうと言われても、お断りするだろうと思います。団体行動、苦手なんですよ。どこにでもよくいる、いわゆるふつうの「小学校の時の通信簿に『協調性がない』と書かれた子」のなれの果てなので、しかたないです。