他人の読書

ひとがどんな御本を読んでるのか、おはなし聞くの楽しいですよね。

Salman Rushdie: ‘I couldn’t finish Middlemarch. I know, I know. I’ll try again’
The author on meeting Pynchon, why Kafka is unbeatable – and the trouble with Trollope

サー・サルマン・ラシュディの今ちょうど読んでる御本、人生を変えた御本、こんな小説を書いてみたい人生だった御本など。新年早々iPadにダウンロードしたトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』に始まって、今年のサーの読書テーマは「再読」だそうです。で、今はエディス・グロスマン訳『ドン・キホーテ』を読んでるところなんだそうな。

私の人生を変えた本
正直なところ、私の人生を変えた本は自分が書いた本であって読んだ本ではない。1981年に『真夜中の子どもたち』が出版されたとき、自分の友人や知人以外のほんの少数の人が読んで気に入ってくれればいいと思っていた。あんなことになるとは、まったく予想もしていなかった。あの一冊は私がこうありたいと思う人生、つまり作家としての人生を与えてくれた。80年代のほとんどを、私は本ものの感謝と幸福に包まれて生きていた。それから1988年、私の人生を別の本が別の意味で変えた。だが『悪魔の詩』出版に続くあらゆる出来事を経てもなお、私はそれを誇りに思っている。奇妙なことだが感謝もしている。困難だらけのこの道は、私にどう生きるのか、何のために生きるのかを教えてくれた。

ええはなしや。以下はかいつまみ。

The book I wish I’d written
There are too many of these, of course, but if I have to choose one, then (today, anyway) I’ll choose Kafka’s Metamorphosis. Transformations have been important in my own work, but the transformation of poor Gregor Samsa is the archetype of this kind of story. His own deluded conviction that it will somehow be all right and he will return to being the person he formerly was is painful to read, and his rejection by everyone close to him even more painful. It’s also short. Five hundred pages of the sad case of the giant bug would probably be unbearable. Fifty pages … unbeatable.

「それはおれが書きたかったやつだあ」という御本はたくさんあるが、一冊だけ選ぶならカフカの『変身』だそうです。変容というのはサー自身の書くものの中でも重要なエレメンツなのだが、そういう変容のアーケタイプにあたるのが哀れなグレゴール・ザムザのそれであると。変容しちゃってもまあなんとかなるだろうと本人が思い込もうとしてるところも悲しいし、それなのに周囲に拒絶されるというのも輪をかけて悲しいし。「短いところもいいよね。巨大な芋虫の悲しいお話が500ページ続いたらたまらん unbearable だろうけど、50ページだからね…無敵 unbeatable だよね」。

執筆に影響を与えた本というと、小説を出版したりする以前はずっとトマス・ピンチョン『重力の虹』の呪いにかかってて、なんかパスティーシュっぽいのも書いちゃったりしちゃったんだけど「幸いにも」世に出すことはしなかった、今じゃその草稿はエモリー大学のおれ文庫のどこかに積んである。

最も過小評価されてる本はフアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』で、これそもそもスペイン語で書かれた古典小説なんだが英語読者はあんまりそゆこと考えないみたいね。ガルシア・マルケスがおれは何度も読み返してしまいにゃ暗記したぞって言ってる小説なんだけど、読めばルルフォの(小説に登場する幻想の街)コマラがマコンドの出どころなんだなってはっきりわかるよ。

The book that changed my mind
I can think of books that made little explosions in my mind, showing me literary possibilities I hadn’t dreamed of until I read them. James Joyce’s Ulysses was one such book. Jorge Luis Borges’s Fictions (Ficciones) was another, and three stories from that collection, “Death and the Compass”, “Funes the Memorious” and “The Garden of Forking Paths” have never left me, and still help me to think about what I’m doing, or might do, or should never try to do.

「意識の中でちっちゃな爆発を起こさせる本」というのがあり、それはつまり「読んでみるまで思いつきもしなかった文学の可能性を味わわせてくれた本」であり、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』はそういう本のひとつ。それとボルヘスね。『伝奇集』ね。『死とコンパス』ね、『記憶の人、フネス』ね、『八岐の園』ね。もうずっと一緒だから。今でも教科書にしてるから。何をするか、何をしようか、あるいはこれだけはやっちゃいかんなとか。

泣かせる本
読んでて泣くってことはない。ひとりぼっちでおうちで映画観てるときなんかはまた別のはなしだけど。

笑えた本
ゲイリー・シュタインガート(とロドリーゴ・コラール)『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』。それかP. G. ウッドハウス『ウースター家の掟』

読了できなかった本
この問いに対する屈辱的な回答としてですね、ぼくは『ミドルマーチ』と、そう申し上げることを常に義務として自らに課してきたわけですよ。うっせえわかってるよ読めばいいんだろ。

The book I’m most ashamed not to have read
Writer friends speak to me constantly of the joys of Anthony Trollope, but I haven’t discovered them. That’s quite a lot of books to be ashamed of not having read.

「読んだことないのがちょう恥ずかしい」御本として、友人がそのおもしろさをめっちゃ語ってくるんだけどアンソニー・トロロープ読んだことない、と答えてます。「いやー、読んでないと格好がつかない本って世の中たくさんあるよねー」って。これ、「つまらなかった」の婉曲表現なのかな。なんかそんな気がしてきました。

贈りものとしての本は特に定番を決めてるわけではないそうで、直近ではラングストン・ヒューズの詩集を贈ったと。そして「忘れないでほしい本」は息子さんのために書いた『ハルーンとお話の海』&その続編Luka and the Fire of Lifeだそうで、後世に残るのが自分をめちゃくちゃ幸福にしてくれたこの二冊だったらいいなあ、だそうです。

どうでもいいですが冒頭で「ドン・キホーテ」を検索したら驚安の殿堂がまっさきに出てきた。生きづらさ。