第1話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「王と奴隷の少女」1

 

遠い昔、地上における権力と、同時に霊的な力とを兼ね備えた王がいた。

その日、彼が臣下の者達を従えて、狩猟に出かけたのは全くの偶然であった。王は彼の公道で、下働きのその少女を見出した。王の魂は、すっかり少女に魅了されてしまった。そこで彼は金を支払い、彼女を買った - 小鳥が、すなわち彼の魂が、鳥かごの中でその羽をばたつかせたが故に。だが彼が彼女を買い、欲するところを手に入れるや否や、神の定めにより彼女は病に臥してしまった。

王は左にも右にも医師達を集め、彼らに言った。「我らの命は二つながらにしてそなた達の手の内にある。 私の命など重要ではない、だが彼女は私の命そのもの。私は痛み、傷つき苦しむ、彼女こそは私の癒しというのに。私の全てである彼女を癒した者ならば誰であれ、 私の所有する財宝と、真珠と珊瑚とを与えてつかわそう」。

彼らは口を揃えて答えた。「私達こそは救世の徒。2私達は共にあらん限りの努力をいたしましょう。全ての知性を振り絞り、持てる力の全てをひとつに合わせて」。だが彼らは、その傲慢さゆえに「神が御望みならば」とは口にしなかった。そのため、神は彼らに人の非力さを知らしめたもうた。治療を施し調薬すればするほどに、病はますます重くなり、 そして望みはますます遠のいていった。病んだ娘は髪の毛ほどにもやせ細り、その間も王の両眼には、まるで川のように血の涙があふれて流れ続けた。医師達の力の、まるで及ばぬ有り様を見せつけられて、王は裸足のままマスジド3へと駆け込んだ。彼はモスクに入るとミフラーブ4に向き合い、そして祈った。敷物は王の涙にひたされた。

やがて彼は祈りそのものの歓喜に解き放たれた。忘我の状態となった彼の唇から流れ出るのは、ただ讃美の言葉のみ。「ああ、この広々とした大地ですら、あなたにとってはわずかな施しである御方。隠されたるものの全てについて一番良く御存知のあなたに、 私がお教えすることなどありましょうや。しかしあなたはこうも仰る、 『われは汝の秘密をすでに知っている、 だが汝の行いとして、それを外側に知らしめよ』と。私は、ここでこうして祈っております」。彼の嘆願の声は、魂の奥底からやがて大きく共鳴し始めた。その時である。恩寵の海が波打ち始めた。泣きながら、彼は眠りに捉えられて夢を見た。

夢の中で、王は見知らぬ老人に出逢った。老人は王に告げた。「王よ、良い知らせじゃ!そなたの祈りは聞き届けられた。明日になれば見知らぬ者がそなたを訪ねるであろう、 その者は、わしよりの使いであることを知っておくが良い。その者は、熟練の腕を持つ医師としてそなたの許へ送られる。 安心せよ、信ずるに足る誠実で真摯な者じゃ。彼の治療に絶対の魔法を見るがよい、 彼の性質に神の御力を知るがよい!」。

約束に違わず時は過ぎて日付は変わる。東より昇った太陽が星達を焼き焦がしつつあるころ、 王は見晴し台に立っていた。そして不思議なかたちで示された「それ」の出現を、 今か今かと待ち受けていた。

やがて王は、その人物がやってくるのを見た。素晴らしい、の一言に尽きた。 はるか彼方より現れたその男は影の中の太陽であった。敬虔さがにじみ出ている。すらりとして輝いているという点においては、まるで新月のよう。男は現実の存在5ではなかった、あるいはかたちを伴う幻想そのものと言うべきか。見えざる御方から使わされた客を出迎えようと、 門番達に替わって、王は自ら前に進んだ。

出会った二人は、海を熟知し水練を身につけた潜り手のよう。二人の魂は縫い合わせることも無しにひとつに結びつけられた。王は言った。「私が探し求めていたのは実に貴方であった、彼女ではなく - 私は財により彼女を得、祈りにより貴方を得た。行為への、相応の対価とはまさしくこれか。貴方がムスタファ6ならば、私はウマル7となろう。命ぜられよ、この身を捧げて貴方に尽くしましょう」。

まるで心と魂の裡へと愛を迎え入れるように、王は両手を広げて彼をその胸に抱きしめ迎え入れた。そして彼の手と額に接吻し、彼の故郷とこれまでの旅路について尋ねた。多くの質問を投げかけながら彼を玉座へと案内し、こう言った、「ついに私は宝を見つけた、どれほど忍耐強く待ち続けたことか」。

またこうも言った、「貴方は神よりの贈り物、災厄を防ぐ護符。『忍耐こそ幸福の鍵』とは、まさしく貴方のことだ!貴方が見せる表情の、ひとつひとつはあらゆる問いへの答え。貴方の仕草ひとつで、固くよじれた結び目も抵抗なくするりと放たれる。貴方は我らが心の全てを瞬時に読み取る。ぬかるみに足を捕われた者全てに救いの手を差し伸べる」。

王は客人と豊かな精神の正餐を共にした。やがて満ち足りた頃、王は客人の手を取り彼を後宮へと案内した。

王は病に臥した少女について客人に話して聞かせ、それから客人のために、少女の傍に席を用意した。客人は、注意深い医者がそうするように少女の顔色を観察し、脈を測り、小水を調べた。それから集められた医者達に少女の容態と彼らが下した診断と、処方についても尋ねた。彼は言った、「彼らの処方と治療では回復するはずがない。見誤った医者は害を及ぼすだけだ。彼らは表面だけを見て内側を見ていない。彼らの所業より、私は神の加護を求める」。彼は苦痛を視覚に捉えた。秘密は彼に向って開かれたが、今はまだそれを隠して王には告げなかった。

少女の苦痛の痕跡は、黒や黄色の胆汁には見当たらぬ、だが火の無いところに煙は立たぬ。彼は見抜いた、彼女の苦痛は彼女の悲嘆にあることを。肉体ではなく、心が傷ついているのだと。

 

愛を知る者のこころの痛みは

他の病とは比べるべくもない

愛は別離の悲しみより生じた

神秘を教えるアストロラーベ8

来世の庭園に生じようとも

現世の泥土に生じようとも9

ひとたび生ずれば愛の全てが

終には我らを天上へと導かん

 

医師は言った、「王よ、後宮から人々を遠ざけて下さい。貴方に近しい人々も、またそうではない人々も。扉の外へ出て下さい、誰も立ち聞きしないように。私はこの少女に、折り入って尋ねたいことがあるのです」。それで住人達は全て立ち退き、後宮は空っぽになった。誰一人として残った者もいない - 彼と、病に臥した少女を除いては。

とても穏やかな調子で、彼は少女に話しかけた。「人は生まれた土地によって、適する処方がそれぞれ違う。だから教えておくれ、君の生まれが何処なのかを。君の生まれたその土地に、君の家族はいるのかい?君の家族はどんな人達?仲良く過ごしていたんだね?」。そして少女は彼に多くを打ち明けたのだった、家族について、以前仕えていた主人について、以前住んでいた町の人々について。少女が語っている間も、彼は注意深く脈を観察し続けた。彼は待った、少女が誰かの名を呼ぶのを。脈に変化をもたらすような誰かの名を。脈拍が跳ねて乱れるようならば、それこそは魂が世界に求めるもの。

彼女は多くの町について話し、また多くの屋敷について話したが、彼女の静脈は揺らぎもせず、また彼女の頬が青ざめることもなかった。彼女の脈は乱れることなく規則正しくあり続けた - 彼がサマルカンドについて、砂糖菓子のように甘いその町について尋ねるまでは。その町の名を聞くなり、彼女の脈は飛び跳ねた。頬は紅潮し、それから蒼白になってしまった。そう、彼女はサマルカンドから引き裂かれたのだった - サマルカンドに住む金細工師の男から。ついに彼は、この病気の少女の悲しみと苦しみの秘密を知った。

彼は尋ねた、「サマルカンドの、どこに住んでいる男か?」。「サーリプール」、少女は答えた。「ガタファル通りよ」。彼は言った、「これで分かった、君の病気が何なのかを。そして、ねえ、待っていてごらん。私は君に魔法を見せてあげよう。心配はいらないよ。怖がらなくてもよろしい、きっと楽しくなるから。何故なら僕が君にしてあげることは、草原に雨が降るようなものだからさ。君を憂うのは私の仕事、だから君が私について憂うことは何も無い。私は君にとって百人の父よりも頼りになる。 - だが気をつけて!私が今言った秘密を、誰にも告げてはならない。さもないと、王様が君を質問攻めにするだろう。君の胸が、君の秘密を守る墓になるならば、願いはより素早くより確実に叶うだろう」。

それから、彼は後宮を立ち去り姿を表わした。そして王に会いに行き、物事の、ほんの触りだけを彼に告げた。「最も良き思案は」、彼は言った、「その男を此処へ連れて来ることです。病を癒すのに、それ以外に手段はありますまい。遠方の異国より金細工職人を呼び参らせよ。金と名誉の外套もて誘い出し、召し抱え参らせよ」。そこで王は言われるままに使者を送った、賢く有能で、正確な働きを為し得る者達を。

二人の使者がサマルカンドへやって来た。金細工職人の許へ、華美を好み混沌とした生活を送る男の許へ。使者は告げる、「金細工職人どの!申し分なき知識の主よ、貴殿の細工の完璧さ、技術の高さはあまねく地上に知れ渡っております。かくかくしかじかにより王が貴殿を招いておられる、それもこれも全て貴殿の細工の素晴らしさゆえ。ご覧あれ、そして受取られよ。これらの金銀と名誉の外套は、王より貴殿への贈り物。我らと共に宮殿へ伺候召されよ、貴殿は王のお気に入り。寵臣の仲間入りをなされよ、楽しく愉快な日々を過ごされよ」。

男は差し出された金銀と、豪奢な外套に目を奪われた。男はすっかり魅了されてしまった。そして土地を離れ、家族を、子供達を捨てた。訪れた変化が、彼の人生の上を王が踏みしだいた轍とも知らずに、軽薄なこの男はうかつにも道を逸れたのだった。彼は嬉々として差し向けられたアラブ馬にまたがって道を急いだ。彼が名誉の外套と思い込んだそれは、実のところ男自身の血によって購われたのだが。愚か者よ、破滅へと至る病への旅路に自ら足を踏み入れる者よ。彼は夢想する、富を、権力を、名誉を - アズラーイール10が彼に囁く、「行け、汝の思うままに。行け、欲するところを手に入れろ!」。

王の中の王の御前へ、使者達は誇らしげに、注意深く職人を導いた - ティラーズ産の蝋燭の炎11に、引き寄せられた蛾のように。

王は男を一瞥した。それから歓迎の意を表わして見せた。そして金がびっしりと積まれた宝庫を、彼の仕事場として引き渡した。見計らったように医師が王に申し述べた。「おお、偉大なる王よ。かの下働きの少女をこちらの殿御へ娶らせては如何か?こちらの殿御の情熱は、あたかも燃え盛る炎のよう。水をお与えなされ、炎が殿御を焼き尽くす前に」。そこで王は、満月のような少女を彼に与えた。男と少女は結ばれ、互いが切望したものを手に入れた。およそ半年ほどの間、彼らは互いの欲望をよく満たした。少女は以前のようにすっかり健康を取り戻した。

それからしばらくして、かの医師は一服を調合し金細工師に飲ませた。それを飲んだ金細工師は、みるみるうちに衰弱していった。かつて彼女の魂を奪ったの彼の美貌だった。だが今やそれが失われつつあった。そして美貌に代わって彼の上に居座る疫病は、彼女の魂をつなぎとめる罠とはならなかった。病に冒され衰えて、頬はくぼんで黄ばみ、彼は日増しに醜くなった。すると少女の心の中で、彼は厄介かつ不快な、冷たい石の欠片ほどにも縮んでしまった。

色に引き寄せられた愛など、真の愛ではない。結句、不名誉な浮き名以外に何ひとつ残らない。ああ、だが要するに彼もまた、常に不名誉の仲間ではあったのだ。彼の眼からは血が流れ、あふれる涙は川のよう。かつては誇りであった彼の美貌が、今や彼の生に仇をなす敵となった。孔雀の真の敵は孔雀自身の羽。多くの王達は孔雀を殺す、その羽の見事さゆえに。

彼は言った、 -

 

麝香鹿か、この私は

狩人は汚れなき私の血を流す

芳香を放つ私の嚢欲しさゆえに

あるいは野の狐か、この私は

狩人は茂みに潜んで私をつけ狙い

飛びかかって私の首を刎ねる

豪奢な私の毛皮欲しさゆえに

あるいは象か、この私は

象使いが私に血を流させる

私の骨欲しさゆえに

それ10欲しさゆえに、奴らは私を屠る

私自身のことなど眼にも入らない

奴らは知ろうともしない

私にも命があることを

たゆまず通う血があるということを

今日の私を訪れた「それ」は

明日は彼の許を訪れるだろう

無用な血が流されよう

この私がこうして流すように

高壁は長い影を投げかける

だがいずれ影は向きを変える

そして再び壁際に引き返す

この世は山のようなもの

そして私達の行いは叫びのようなもの

叫びは山に響いてこだまとなり

叫んだ私達の許へと還り来る

 

- 言い終えたと同時に、彼はこの世を去り黄泉へと旅立った。かつて下働きであった少女は、ついに苦痛と愛の双方から解き放たれたのだった。

 

死にゆくものを愛して何となろうか?

去れば二度とは戻らぬものを、愛した証しも立たぬものを。

愛は今ここに生きるものに注ぐもの。

生を愛せ、瞬間ごとに瑞々しさをいや増すつぼみを。

生を愛せ、御方の、生きるものたるあなたへの愛を選べ。

永遠の生命の美酒を戴け。

御方の愛を選べ、全ての預言者達の栄光を思え。

彼らに生命を与えた御方の愛を飲み干せ。

 - 怖れるな。言うな、

「われらはかの王の赦しを得てはおりません」などと。

優しき御方、気前良き王を愛するのはいともたやすいこと。

 


*1 1巻36行目より。込められた寓意は極めて単純明快である。王は合理的精神を象徴している。金細工師に恋する少女は、俗世の快楽に夢中になる利己的なナフス(魂)である。そして彼女の熱情に火をつけた金細工師(=俗世の快楽)に毒を盛り、これを遠ざけることによって彼女を治療した客人の医師は、神感を得た聖者を象徴する。

*2 あるいは現存する最古の原典によれば、「私達一人ひとりが、学問あるマスィーフです」。マスィーフ、すなわちメシアとはもちろんイエスを指している。コーラン中でイエスは「私は生まれながらの盲人やハンセン病患者を癒し、神のお許しにより死者を生き返らせよう(コーラン3章49節)」と語っている。

*3 イスラム教における礼拝堂の呼称。

*4 礼拝の際に顔を向けるメッカの方角を知らせるためにマスジドの壁に備えられたくぼみ。

*5 物質的領域から離れているという意味。

*6 預言者ムハンマドの別称。

*7 最初期のイスラム共同体を統治した第二代カリフの名。

*8 天体観測用の機器。イスラム文化圏において西暦4世紀頃から盛んに製作された。

*9 身体に生じる肉欲、情欲。

*10 死を司るとされる天使の名。

*11 まばゆいばかりの美を誇る人・事物を形容する際に用いられる表現のひとつ。「タラズ(トルキスタン)の御婦人」と言えば、目の覚めるような美人を指す。

*12 美点を指す。