第6話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「新月を見た、と勘違いした男」1

 

かつてウマル2が統治していた頃のこと。

ラマダンの季節も近づいたその夜3に、幾人かの人々が、新月が出るのを見てその幸運にあやかろうと、小高い丘の上へと駆けて行った。そのうちの一人が言った、「おお、ウマルよ!ご覧下さい、新月が出ています!」。

しかしウマルには何も見えなかった。そこで彼はこう答えた。「その新月は、きみの想像がきみに見せたまぼろしの新月だろう。そうでなければ、きみよりも天空について良く知るこの私に、清浄なる新月が見つけられないはずがない。きみの手指をしめらせて、きみの眉を撫でつけろ。それから再び、新月がどこにあるのかを指し示してくれ」。

男は手指で眉をしめらせ、再び空を仰いだ。すると今度は、新月を見ることは出来なかった。「おお、王よ」、彼は言った。「新月がどこにも見当たらない。どうやら消えてしまったようです」。

「その通り」、ウマルは言った。「きみの眉の毛が弓となり、誤解という名の矢を、きみの瞳めがけて射ったのだよ」。たった一本の眉の毛が、天空の全てを彼の視界から遮った。たった一本の眉の毛が、誤解を生じせしめた。そのために新月を見たと勘違いした男は、無駄な自慢話をするはめに陥ったのである。

たった一本の眉の毛ですら、大局を見誤らせるのには十分なのだ。もしもその場にいる全員が、同じように見誤ったとしたら何となろうか。

正しき人の助けを得よ。正しき人の助けによって、あなたも、あなたの仲間も正しく導かれることとなろう。正しき道を歩む者よ、正しき人の住まう家の扉をたたけ。正しき人の住まう家から、あなたの顔を背けてはならない。

 


*1 2巻112行から。

*2 第1話・註7を参照。(以降、当該用語については註を省略する)

*3 イスラム暦1年間のうち、第9番目の月にあたる。「斎戒の月」。

「……ラマダンが始まる夜は「Leylet er-Rooyeh」すなわち「(新月を)探す夜」と呼ばれる。ラマダンが始まる数日前から、午後もしくは早めの時間に、数人で隊伍を組んで2、3マイルほど砂漠の中へ入る習わしがある。砂漠の大気は澄んでおり、新月を観測するのに適しているとされているためである。ムスリムのうち一人でも新月を観測すれば、断食を開始するのに十分な証拠となり得るとされる。」
(エドワード・レイン著『『近代のエジプト人』より)