『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
逃亡者 1
ある朝、ソロモン王の法廷へ大慌てで駆け込んだ者があった。
高貴な身なりをしてはいたが、
その顔は苦悶のために血の気も失せ唇の色は青かった。
王は尋ねた、「貴紳よ、いかが召されたか」。
すると彼は言った。
「アズラエルです、ああ、死の天使に目を付けられました ––
憎悪と憤怒もて私を睨みつけておりました」。
「それで、貴殿の望まれることは?」。
「我らが生命の守護者よ、お願いします、
どうか風に命じて私をヒンドスタンまでお連れ下さい。
貴方のしもべをお助け下さい。
遠いかの地に逃げ仰せれば、死からも逃げ仰せることでしょう」。
手放すことを怖れて逃亡を試みる者よ、
そしてそれゆえに貪欲と、虚しい希望の顎に呑まれる者よ。
手放すことへの恐怖と不安に耐えられぬ者とは、
この物語の、死の間際になってあがく男のようなもの、
貪欲と野望とが、彼らのヒンドスタンとなる。2
ソロモンは風を召喚した。
男を連れて大洋を渡り、ヒンドスタンの奥深くへと連れ去るよう命じた。
明くる朝、ソロモンは彼の法廷でアズラエルと会っていた。
「昨日、あるムスルマーンと会ったのだが」、彼は尋ねた。
「貴殿は彼を怒りもて睨みつけたという。
彼がおとなしく貴殿を待たずに、逃亡を企てると知ってのことか?」。
「怒りもて睨みつけた、だと?まさか」、死の天使は答えた。
「確かに私は彼とすれ違った。私は驚いた。
何故なら、私は神にこう命じられていたから ––
『汝、今日はヒンドスタンにてかの男の魂を得よ』と。
それで私は立ち止まり、不思議に思ったのだ、
『はて、この男、何故にヒンドスタンではなく此処にいるのか。
百の翼があったとて、今日中にヒンドスタンに辿り着きはすまいだろうに』と」。
世界で起こる出来事の全てはかくの如しだ、
目を開け、目を開いて良く見るがいい!
一体、何から逃げようというのか?
自分自身から? 何たる不合理!
一体、何から逃げようというのか?
あるいは神から? 何たる茶番!3
1. 『精神的マスナヴィー』1-956.
2. 「ダルヴィーシュ的なあり方」とは、自らの欲望もしくは「欲望の対象としての神」を手放し、ただアッラー(神)のみを想うことを意味する。自我を死なしめ、無一物の状態に自らを置くことを意味する。この「死」を恐れて後ずさりし、現世の諸々に充足を求めたところで、やがて訪れるアズラエル(死の天使)から逃れられはしない。
3. 神によってあらかじめ決定され、そのように創られた「在り方」から逃れられると考えること自体に不合理がある。自らの感情や神以外の何かに隷属すること無く、ただ神にのみ仕えることで人は自由を得る。