『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー
聖者たちの集い 1
神がモーセをお叱りになった。曰く、
–– おお、汝、
その胸の内より満月が昇るのを目にした者よ、
汝、わが光によって輝く者よ!
われは神なり。
われはやまいを得たり。
だが汝は、われを見舞わなんだ。 ––
モーセは言った。
「おお、超越の御方よ、欠けるところ無き御方よ。
一体、これは何という謎かけか?主よ、種明かしを!」
神は再び告げたもう。曰く、
–– われがやまいに苦しんでいるというのに、
汝は冷たかった、われを助けなかった。3 ––
モーセは答えた。
「主よ、あなたがやまいを得るはずがないでしょう。
何を仰っているのか、さっぱり意味がわからない。
御言葉の意味を明かして下さい」
そこで神は明かしたもう。
–– 良かろう。わが愛する、
選ばれししもべの一人がやまいに倒れたのだ。
われは彼なり。熟考せよ、
彼の喪失はわれの喪失、
彼のやまいはわれのやまいである。 ––
「誰であれ、神と共に座すことを望む者は、聖者と共に座せ」
もしもあなた方が聖なる人々と袂を分かてば、
それがあなた方の破滅を招く。
全体から切り離された破片でしか無くなってしまうからだ。
別離とは、悪魔の仕掛ける罠である。
高貴なる人々から切り離された者は、
助けを呼ぼうにも呼ぶことが出来ない。
助けを呼べない者を、悪魔は頭から貪り食らうだろう。
1. 『精神的マスナヴィー』2-2156.
2. 神秘道における啓発は、しばしばモーセの「白き手」にたとえられる。コーラン7章105(106-107)節、出エジプト記4-6参照。
3. 神の友( awliya )が、神と「ひとつ」であることを語るこの一節は「復活の日、いと高き神は言いたもう、『おお、汝アダムの子よ。われが病んだとき、汝はわれを見舞わなかった』」で始まる「聖なる伝承( Hadith-i qudsi )」の趣意を伝えるものである。『マタイによる福音書』25-43から45も参照。
7-106. 彼は言った。「もしおまえがしるしをもってきたのなら、真実を語っているのなら、出してみせよ」
7-107. そこで彼が自分の杖(つえ)を投げると、見よ、それはまぎれもない蛇となった。
7-108. また、彼が手をふところから出すと、見よ、それは見ている人々の目の前で真白となった。