『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
続)もう一人のユダヤの王
やがて王は炎に顔を向けて言った。「なんという気性の激しさ、荒さか。おい、そこの者。答えろ、貴様は何か特別な生まれだとでも言うのか。炎に焙ら れて燃えない者などあるものか。それとも、貴様には特別な奇跡が起きたとでも?あるいは我らの強大さを目の当たりにして、勝ち目は無いと宗旨替えしたか。
拝火教徒でもあるまいに、火を崇めたところで救いなど無いことは、貴様らも先刻承知のはずだ。 - 炎よ、奴らはおまえを崇めてなどいないぞ。それ なのに奴らを焼き焦がさぬとはどういうことだ。遠慮は無用だ、焼き滅ぼせ - 何故だ、何故焼かないのだ!炎よ、おまえは焼く術を忘れたのか?
何故だ、何故だ!炎よ、奴らの高慢の鼻を折れ! - それとも狂っているのは我が眼か、我が心か?違う、狂っているのはおまえの振る舞いだ、炎よ - 誰かがお前に魔法でもかけたのか?これは魔術なのか?それとも炎よ、我らの富に眼が眩んで褒美が欲しくなったのか」。
すると炎が答えた。「ごらん、私を。私は炎、いつもと違わず燃えている。疑うなら近くへ来い。私の熱が伝わるだろう。私は狂ってなどいない。私は炎、いつもと違わず燃えている。私は神の剣、神の御許しを得れば切る。
トゥルクメン族の飼う犬は、常に天幕の側から離れない。客人があれば甘えて鼻を鳴らす。だが見知らぬ誰かが通り過ぎるのを見るや、獅子のように唸り 声をあげて追い払う - 我が忠誠はあの犬に優るとも劣らない、ましてや私が仕えるのはトゥルクメン族をすら創り給うた神なのだから」。
もしも身の内、心の内に燃える炎に苦しめられているのなら、炎は神の命令によって燃えていることを知れ。もしも身の内、心の内に燃える炎に歓びを見 出したなら、それは信仰の主が配したものと知れ。そして痛みを感じたならば、いつでも神に赦しを請え。創造主が与え給う痛みを、癒せるのはただ創造主の み。
御方が望みたもうならば、痛みはたちまち歓びに変わる。御方が望みたもうならば、足枷はたちまち解放に変わる。風、土、水、そして火は(御方に属する)忠実な奴隷。我らと在っては死んだも同然、神と在って初めて生を得る。
神の御前で、火は常に直立不動だ。姿勢を正して日も夜も御方のお声がかかるのを待ち続ける、まるで恋人の訪れを待つ者のように。火打石で鉄を叩け ば、それ(火)は飛び出す。神の命ずるままに一歩を歩み出す。不正の石で鉄を叩くな。ほんの些細な不正であっても、その火花はたちまち倍加する。
石と鉄とは確かに火花を散らせる原因の一つだ。だが石と鉄は何処より来たのか?良き人よ、より高次を見通せ!この(外在する)原因を生じさせる(内 在する)原因を見通せ。原因と思っているそれは、別の原因の結果に過ぎない。それらの(内在する)原因の連鎖によって、より高次の道へと導かれたのが預言 者達だ。
時として(内在する)原因は(外在する)原因に成就をもたらす。また時として、それは虚しく実を結ばずに潰える。通常、人の意識は常に(外在する) 原因に傾きがちだ。だが預言者達は(内在する)原因の方を熟知していた。それ、سبب(原因)をアラビア語で何と言ったか。そうだ、رسن(手綱)だ。こ の手綱、これを世界という井戸に垂らしているのが神の御業だ。車輪は回転し、手綱は桶を井戸の奥深くへ連れて行く。車輪を回転させる御業の主は、決して過 ちを犯すことがない。
用心せよ、用心せよ!怠る事無く注意深く観察せよ。地上の手綱が原因も無く動くと思うな、目まぐるしく回転する天上の車輪あってこそ動くのだ。廻れ、廻れ!天上の車輪のように廻れ。一瞬たりとも無為に過ごすな。虚ろな枯れ木は燃やしてしまえ - 真理の探求者よ!
神が命ずれば風も火となる、神の葡萄酒に酔い痴れて。水は穏やかに鎮める、火は激しく怒り狂う。だが友よ、眼を見開いて良く見れば理解出来るはずだ、それらが二つながらに一つの根源を持つものだということを。
風にも魂がある、神の命ずるままに働く。そうでなくて、どのように信じる者と信じぬ者を風に見分けることが出来ただろうか? - 聴け、アードの一族の物語を、如何にして風が彼らを識別したのかを。