『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
預言者フードと、風に滅ぼされたアードの民
預言者フードが信じる者達の周囲に線を描くと、風もその線を超えようとはせず、周囲で柔らかにそよぐのみだった。だが線の外に居た者達は一人残らず粉々に打ち砕かれ、空中の塵と消えてしまった。
羊 飼いのシャイバーンも同様にした。羊の群れの周囲に、一目でそれと分かる鮮やかな線を描いた。金曜の礼拝に出かける時の習慣としていた、狼達が彼の羊達を 損ねぬよう。鮮やかに描かれた一本の線は狼達を寄せつけず、羊達も線を超えて群れからはぐれることも無かった。聖者の描く環に遮られ、狼の欲望も羊のそれ も、風となって吹き荒れることは無かった。
このように、神を知る人々にあっては死の風も穏やかになる。それは心地よいそよ風となる、誰もが愛さずにはおれぬヨセフの芳香を漂わせて。
炎もそうだ。炎はアブラハムに牙を向けることはしなかった。出来ようはずもないのだ、神に選ばれた人を噛み砕くなど。欲望の炎は人々を大地の奥底へと連れ去る。だが神を信じる者には、触れることすらない。
神の命に従って押し寄せた大海の荒波も、モーセの人々とその敵を明らかに識別した。神の命に従って裂けた大地は、カールーンを地底の奥深くへ飲み込んだ、彼の黄金と王座と共に。
水と土とがイエスの息に触れた時、それは翼と羽とを備えた鳥となって飛び立った。神を讃美する時、その人を形作る水と土とは混ざり合って楽園の鳥となる。そして誠実な心が発する呼気の風に乗って羽ばたいて行く。
か つてシナイの山もモーゼの光輝に触れて踊り出し、一点の瑕も無き完全なスーフィーとなった。そうだ、土の塊である山ですらスーフィーになる。山が尊敬に値 するスーフィーであることに何の不思議があろうか?思い出せ、元を辿ればシナイの山もモーゼの肉体も、同じ土から創られたということを。