『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
解題:『御方と共に在る事を願う者はスーフィー達と席と共にせよ』
ほんの一杯、二杯ほどの会話を酌み交わしただけであったのに、使者はすっかり自制を失った。使者としての勤めも持ち運んだ伝達の中味も、彼の記憶から消し去られた。神の力を前にして、神の意を前にして、彼はすっかり酔った。ここに至って、今や彼は王に遣わされた使者ではなく、彼が彼自身の王となったのである。
奔流となって流れる水も、海に辿り着けば海になるより他はない。玉蜀黍の種も、蒔かれれば育って実るより他はない。パンも人に食われれば、動かぬただの物体から生きた血肉となり知識へと昇華されるより他はないのだ。蝋燭や薪が炎に捧げられたならば、もともとは暗い彼らの本質も、明るく、光り輝くものへと変化する。
ホウ酸を用いて眼をよく洗い、孔雀石のコフルでまぶたを縁取れば、誰一人として出し抜くことの出来ぬ諜報者にもなれるだろう。しかし「自己」なるものから解放され、唯一の「生ける存在」との合一を果たす者の何と幸福なことか!やがては死んで滅びるものと交わることの、何という虚しさか - 「自己」など、死んで滅びるもののうち最たるものだというのに!
神の書コーランを読め。コーランを隠れ処とし、これに親しめ。これに記された預言者達の精神に交わり、彼らの魂と親しめ。コーランは、預言者達がいかに生きたのかを知らせる書でもある。コーランが御方の聖なる海なら、彼らはその海を泳ぐ魚達だ。
声に出して読んでみても、目だけで字を追ってみても、どのように読んでも心が受け入れないことがある。預言者達と出会えていないからだ。出会えなければ、何も始まりはしない。だが預言者達に出会うことが出来れば、心がそれを認めれば、鳥が、読む者の魂が、自分を閉じ込める鳥かごから逃げ出そうと羽をばたつかせずにはおれなくなるだろう。
鳥かごに捕えられた鳥が逃げ出そうとしないのは、その鳥が無知だからだ。捕えられていることを「知る」鳥が、どうしておとなしく捕えられたままでいるだろうか。鳥かごから逃げた鳥、預言者達の精神とはまさしくそれである。鳥かごから自由になりたければ、預言者達の精神に学べ。彼らこそ脱出の導きである。
彼らが宗教を語るとき、彼らの信仰の声が聞こえる。「これ、ここに逃げ道がある。おまえのために用意された逃げ道がここにある」。その声に従って、我らは狭く苦しい鳥かごから抜け出すのだ。それ以外に、我らを閉じ込めるこの鳥かご、この檻から自由になる術などあるだろうか。
自由になれると分かっていながら、出口の無いこの地獄に留まり続けてみじめな気持ちで過ごすのか。人々の噂話や評判を恐れて、自分の魂を犠牲にするのか。自由を恐れ鳥かごを好む奴隷達を繋いでおくのに、世間の評判ほど重く強力な鎖もないものだ。鉄の鎖の方が、これに比べればはるかにましかも知れぬ。