「エスラーミー氏の手紙」
在日本イラン・イスラム大使館 元職員より同僚達へ
私はあなた方に人々と連帯するよう呼びかけます
尊敬と共に、
本日、私達の全員がカフリザック刑務所の醜聞に関する国防最高評議会の声明を聞かされました。声明はアヤトッラー・モンタゼリ師の生涯を犯罪者として断ずるものでした。外務省職員の私達にとり、声明は聞くに耐えうるものではありませんでした。このような下劣な声明を彼ら罪人達に自ら公表させることにより、全能の神は彼らに恥辱という罰を下されました。
アヤトッラー・モンタゼリ師はその生涯を抑圧にさらすことを余儀無くされました。彼の告発は私達の閉ざされた眼を開かせるためのものでありました。私達はしかし、アヤトッラー・モンタゼリ師を責める罪人達の声に耳を傾け笑っていたのでした。
親愛なる同僚達、
カフリザック刑務所の醜聞に関する声明発表がされた今、私達は認めなくてはなりません。すなわち罪無き人々を殺し拷問する体制を擁護し延命することに手を貸し続けてきたのは、他ならぬ私達自身であるということを。体制の凶悪さについては、私達自身が他の誰よりも良く知っていたのです。
ハタミ氏の任期中、刑務所機構上層部のA.A.ヤサーイー氏が100ある監護施設が彼の監督下には無いと認めた事実を私達は忘れていません。シャフルーディー氏は違法刑務所の運営を刑務所機構の監督下に委譲するよう命じました。しかし命令は実行されたでしょうか?
私達全員が、ハタミ政権下における人権省長官だったホッジャ・エスラーム・A・アリーザーデ師による極秘報告を読みました。それは違法刑務所に関する報告でした。刑務所内で無実の少女・少年達が殺害されていること、ケイマンやキャラジにおける集団虐殺、そしてテヘランにおける連続殺人についての報告でした。同時に、極秘報告の翌日には彼が最高会議により解雇・追放されたことも私達は目撃しています。
親愛なる同僚達、
アヤトッラー・モンタゼリ師のような抑圧下にある人達は、その一生を圧政の下に過ごすことを余儀無くされました。私達は犯罪を目の当たりにしながら、それを看過していました。そして私達と同じ人間でありながら殺された人々の、その屍によって購われたところに暮らしていました。それだけではありません。私達は同じように裕福な階級に生まれついた私達の子供達を抱擁し、接吻したのでした。
外国人達に対しては、国連の建物に刻まれたサアディーの詩 – 「一人の痛みは全員の痛み」 – について自慢しました。ユダヤ人女性のために涙を流した、とイマーム・アリーについて自慢しました。専制者を否認し、被抑圧階層の側に立つことこそが私達の宗教的義務であると自慢しました。最高評議会が青年達に拷問を加え殺害した事実を認めた今、私達はそのことを思い出すべきです。
正義と抑圧に関する預言者とイマーム達の伝承の数々を、私達はどれほど暗記したことでしょうか。曰く、
「圧政者の使う筆を削ることは、圧政に組するのと同義である」。
「圧政者のインク壺のためにほんの少しでも絹糸を献上することは、圧政に組するのと同義である」。
私達は礼拝し、断食し、巡礼にさえ行きました。だがそれも全て政府の職を得るためだけに過ぎなかった。礼拝をしないことは職を失うことと同義です、外交官や大使の地位を得ることは不可能だったでしょう。しかしメッカにおいてデモンストレーションを行なったところで、私達はそれで圧政者に対する宗教的義務を果たしたことになるのでしょうか?なぜ私達は、私達自身の同胞が殺されていることを見過ごして来たのでしょうか?
親愛なる同僚達、
全能の神が私達とアヤトッラー・モンタゼリ師を分つことなどないだろうと思い込むほどに、私達は無邪気でありました。モンタゼリ師は、生涯に渡り真実の「Montazer(忍耐して待つ者)」であり続けました。彼は最高評議会がヤズィード体制に屈辱の烙印を押すことを待ち続けました。彼は、全ての人々に対して真実が明かされる日を待ち続けていました。そして今、私達にはヤズィード体制に残る理由がありません。
大使、領事、そして外務省に勤務する職員全員が、モンタゼリ師を拘留し、拷問を加え、また彼の支持者達を殺害した体制の一部であります。今となっては、私達が罪人であったとしても彼に赦しを請うすべすら残されていません。彼は最愛の人と共に天国にあります。そして私達は血に飢えた現体制の職員名簿に未だその名を連ねているのです。
私はあなた方の良心に訴えます。まだ間に合います。神のみが私達の偉大なる救い主です。
A・エスラーミー、
かつてヤズィード体制の職員であった者より
2010.01.31.
“Former Iranian Embassy Counselor Writes a Letter to Employees”(原文)
イランのイスラム教シーア派最高権威の一人で、同国のイスラム革命体制の「非民主性」を批判していたホセイン・アリ・モンタゼリ師が19日夜、同国中部コムの自宅で死去した。87歳だった。息子のアフマド師は、「病死」としている。
イラン改革派の精神的支柱でもあるモンタゼリ師は、6月の大統領選後、改革派に対する弾圧を強めた政府・保守派勢力を繰り返し非難していた。改革派系の高位イスラム法学者で最長老の同師の死去により、宗教界での改革派の発言力が低下する可能性もある。
モンタゼリ師は、同国中部イスファハン近郊生まれ。イラン革命(1979年)の指導者ホメイニ師(1902〜89)の側近として、親米パーレビ王政の打倒運動に参画。「イスラム法学者の統治」(ベラヤティ・ファギー)原理に基づいた革命体制の樹立に大きな役割を果たした。
86年、ホメイニ師の後継最高指導者に指名されたが、反体制派との交遊が問題視され、89年、同師により次期指導者の地位を奪われた。その後、モンタゼリ師は、革命体制が「責任を負わない全能の指導者を作り出した」などと、独裁的側面を批判し、現最高指導者ハメネイ師と対立。宗教界の過度の政治介入も批判し、最高指導者制の廃止を唱えた。このため、ハメネイ師率いる保守派の怒りを買い、1997年〜2003年まで、事実上の自宅軟禁状態に置かれた。
(2009.12.20.読売)