試訳:ヒドル、永遠に緑なる者

「ヒドル、永遠に緑なる者」
『聖地の民話』より
J. E. ハナウエル

 

パレスチナで最も頻繁に言及される聖者の一人として、神秘のエル・フドゥル(以下、ヒドル)、「永遠に緑なる者」が挙げられる。彼は、「二つの海が出会う場所」に近い何処かにあるとされる「若さの泉」を発見することに成功したと言われている。多くの冒険者たちが、この泉を求めてむなしく探し回った。ズルカルナイン、「双角王アレキサンダー」もその一人である。伝えられるところによれば、彼は仲間たちと共に、この泉を源流とする川の岸辺にたどりつき、旅の食糧として持ち運んでいた塩魚をその川の水で洗った。すると魚は再び息を吹き返し、川の中へと逃げて行った。しかしそれを目の当たりにしても、彼らは幸福が手の届く範囲にあることに気付けなかった。彼らは彼らのやり方で旅を続け、ついに太陽が黒い泥の中へと沈む地へと至った。王は十八の都を築き上げ、それぞれを彼自身の名にちなみアレキサンドリアと名付けた。しかし一生に一度の機会を見逃してしまったため、彼も彼の仲間たちも、永遠の生を得ることはかなわなかった。

ヒドルは彼らと違い、より幸運であったか、あるいはより注意深かったに違いない。彼は泉を見つけただけではなく、その水を飲んだのである。そのため彼は不死となり、放置されればたちまち怪物化する過誤を正し、良心を守護するために、ある種の化身となって時代ごとに再びその姿を現す。彼はエレアザルの息子ピネハス、預言者エリヤ、そして聖ジョージと同一視されている。子供たちに危険が迫れば、母たちは、ユダヤ教徒なら「Eliyahu ha Navi(預言者エリヤ)」、キリスト教徒なら「Mar Jiryis(聖ジョージ)」、イスラム教徒なら「El Khudr(エル・フドゥル)」と彼の名を呼んで祈る。そしてこの地の、あちらこちらに存在する彼を奉った数多くの聖廟を、三宗教全ての信者たちが等しく巡礼先として訪れる。

そうした場所で彼に祈祷を捧げることのご利益が信じられている一方で、彼自身もまた、金曜日ごとに違った聖地を順繰りに巡り、アッラー(神)に礼拝しているともされている。ある週の金曜日はメッカで、次の週はメディナで、それからエルサレムに戻り、エルクーバ、そしてエルトゥールを訪れる。彼は週に2回だけ食事をとる。メッカのザムザムの井戸と、エルサレムのソロモンの井戸を順番に使ってのどの渇きをいやし、シルワン(シロア/シロアム)の泉で沐浴する。

ヒドルに奉納された寺院のひとつが、ベツレヘム近郊、ソロモンの池から北へ約一マイルの場所にあり、一種の精神病院として機能している。三宗教のどの信者であれ、精神に異常をきたした人物は全てこの場所に連れて行かれ、チャペルの中庭に鎖でつながれる。彼らはパンと水を与えられ、四十日間その場にとどめ置かれる。施設の責任者であるギリシャ人聖職者が、時には彼らに福音書を読んで聞かせ、また時には、必要に応じて鞭で打つ。

以下はベイトジャラ近隣の村に生まれ育った者が語ってくれた、この修道院にまつわる伝説である。

昔むかし、われわれの祖父のまた祖父の、ご先祖様の時代のこと。エル・フドゥルの名を冠した教会で、ギリシャ人の聖職者が聖餐式を執り行っていた。 さて、良く知られる通り、ギリシャ人たちは奉献されたパンをちぎったものをワインの杯に入れて浸し、これをさじですくって同時に両方を与える。あるいは司祭が酔っていたのか否か、私には断言できない。 いずれにせよ確かなのは、目の前でひざまずく聖体の拝領者の口に入れるつもりで運んださじの神聖なる中身を、彼が何らかの理由でこぼしてしまったということである。 それは彼の足の上に落ちた。 彼の足には穴が開き、まさしくその穴を通じて敷石に跡が残された。 救世主の聖体と聖血が聖職者の足に与えたその傷は、決して癒えることがなく、むしろそれが原因となって彼は死んでしまった。 しかしそれからしばらくののち、重い病気に悩んでいたある男が、聖ジョージを奉るこの教会を訪れ、それとも知らぬまま、かの聖別されたパンとワインが残した跡のついた敷石の、真上にひざまずいて回復を祈願した。 すると彼の病気はその場でたちまち治ってしまった。 彼はたいそう喜んだ。 周囲はたいそう驚いた。 病人が治ったという評判は、不治の病を患う多くの者をヒドルの許へ引き寄せた。 聖なる敷石の上にひざまずくと、神と聖ジョージのご威光によって彼らの病気はたちまちのうちに癒された。 そのため教会の評判はますます広まり、モスクワのスルタンの耳にさえ達するほどになった。 それほどまでに神聖な石がはるか遠くの、人も少ない田舎の村に置かれたままになっていることに彼は嫉妬をおぼえ、自分と、自分の身内のためにもその敷石が欲しくてたまらなくなった。 彼はヤッファに軍艦を差し向け、それからエルサレムの大主教に宛てて、今すぐに敷石をはがし、 ヤッファへと運ぶよう指示する書簡を送った。モスクワのスルタンは教会の良き友であり、後援者かつ保護者でもあった。 それで大主教も躊躇なく彼の命令に従い、敷石をヤッファに運ばせた。 敷石は軍艦から遣わされた小舟に乗せられ、軍艦へと運ばれたが、荷揚げする前に聖ジョージ自身が姿を現した。 彼が手にした槍をふるうと、小舟の漕ぎ手の努力もむなしく小舟は岸へと押し戻された。 そしてそれは、モスクワが決意を翻すまで何度でも繰り返された。 この出来事について報告を受けると、大主教は自らの過ちを悟った。 敷石は戻され、ヒドルの教会に恭しく安置された。 そして今なお、敷石はその場に置かれたままになっている。

すでに述べた通り、聖ジョージを奉じる教会や修道院を兼ねたチャペルが、ここには数多く存在する。エルサレムの城壁内には、少なくとも2カ所、その名に捧げられたギリシャ正教会とコプト修道院がある。それとは別に、ヤッファ門のすぐ外側、伝説でいうところのギホン、あるいはヒンノムの谷の上側、砦のほぼ反対側にも存在する。イスラム教徒たちは、最後の審判の日にキリストが偽キリストを成敗すると信じており、また彼らの一部は、その出来事はこの修道院で起こる、と主張する。現在ではヤッファの名で知られる門が、その昔「Lydda(リッダ、闘争の意)」と呼ばれていたというのが、彼らの意見の根拠である。

カルメル山の北側の傾斜地もまた、ヒドル崇拝で知られる今ひとつの中心地である。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、そしてドゥルーズ派の信者たちが、身体あるいは精神上の治癒を求めて頻繁に訪れている。いくつかの特筆すべき治癒が起こったのもこの地であったと言われている。以下の例は、チャップリン博士が最近になって私に聞かせてくれたものである。彼は長年エルサレムにおいてL. J. S. メディカル・ミッションの責任者を勤めていた人物である。ある日、彼の許へユダヤの少女が連れて来られた。彼女は神経症の症状に苦しんでいた。治癒は可能だが、それにはかなり長い時間を要するだろうと彼は判断した。彼女の縁者は、最初は彼女を入院させることに同意したが、後になって、彼が苦言を呈したにも関わらず彼女を連れ帰ってしまった。彼らは、本当のところ彼女は病気ではなく、「死者の霊」もしくは悪魔の影響を受けているに過ぎないと確信している、と言い、また、それに相応しい手当を彼女に施すつもりだとも言った。

数ヶ月後、博士は偶然にもその少女と通りで出会った。驚くべきことに、彼女は再び健康を取り戻していた。彼女の完治は彼にとってはまさしく驚愕すべき出来事であり、どのように治療したのかを尋ねると、友人達が彼女をカルメル山に連れてゆき、エリヤの洞窟に一晩閉じ込めたのだ、と言う。彼女が言うには、彼女は一人で誰とも口を聞かずに過ごし、やがて眠りについた。ところが真夜中、彼女は光に照らされて目を覚ました。それから彼女は、全身が白一色の老人を見た。その人物はゆっくりと彼女に近づくと、「恐れるな、わが娘よ」と言った。彼は彼女の頭上に優しくその手を置き、それから姿を消した。翌朝目覚めると、彼女はすっかり健康になっていた。

ユダヤ教徒たちの間では、エリヤはイスラエルにとり格別の守護者であるばかりではなく、あらゆる儀式における見えない参列者であるとも考えられており、彼のための特別な席が用意されている。同様に、過ぎ越しの祝祭の際にも、彼のために用意された椅子と一杯のワインが置かれるのがしきたりとなっている。エルサレムのアルメニア使徒教会の信徒たちの間では、食事の際に、パンの一切れでも偶然に食卓から落としてしまったり、あるいは食卓の端にかろうじて引っかかっていたりする時は、姿は見えなくとも聖ジョージが客としてその場を訪れており、食卓を祝福しているしるしなのだと信じられている。

勿論のこと、パレスチナでは聖ジョージの竜退治の物語も非常に良く知られている。リッダにある古い十字軍教会の地下室には、聖者の墓石が安置されており、またベイルートには、殺された怪物が投げ捨てられたとされる井戸と、彼がこの汚れ仕事を終えた直後に手を洗ったと伝えられている場所がある。以下は、主にキリスト教徒たちの間に伝わる物語である。

かつて、囲いの無い泉の上に作られた水道管のおかげで繁栄した大きな都があった。 そこへ悪魔の有であり、悪魔に操られている巨大な竜がやってきて泉を取り囲み、人々が水を得るのを拒んだ。 そして泉の水が欲しければ、その度に若者か処女を生贄として捧げるよう命じ、そうしなければ水は飲ませないと言う。 人々は幾度となく怪物を退治しようと試みた。 しかし出かける時には陽気な都の華たちも、矢が飛ぶ距離の半分も進まないうちに疫病にでもかかったように息絶えて崩れ落ちてしまうのだった。

このように、脅かされた民衆は、彼らの子供たちを生贄として差し出さすか、あるいは渇きのために死ぬ他はなかった。 とうとう全ての若者が命を落とし、最後に残るのは王の娘一人きりになってしまった。 水不足は深刻で、水を欲する人々の苦しみの前には、悲嘆に暮れる王夫妻も、もはや娘を守り通すことが出来なくなった。 民衆が涙で見送る中、彼女は泉へと向かった。 そこでは竜が彼女を待ち構えていた。 だが恐ろしい怪物が彼女に飛びかかろうとしたちょうどその時、素晴らしい白馬に騎乗した聖ジョージが、その身に金色の武具をまとい、手には槍を持って現れた。 そして全力で竜に挑みかかり、眉間に一撃を食らわせた。 竜は死に、二度と動かなかった。王はこの思いがけない救出劇に感謝し、彼の娘と王国の半分を聖ジョージに献上した。

すでに述べた通り、エリヤはユダヤ教徒たちの伝説にイスラエルの守護者としてしばしば登場する。彼はいつでも導き、慰め、癒してくれる –– 時には、歯痛のようなごく些細な不満をも取り除いてくれる。あるいはまた、ラビ達を危険と困難から助けるために、嘘の証言さえも引き受けてくれる。

現代のパレスチナにおけるユダヤ住民たちは、苦難に遭えば必ず彼の執り成しがある、と心から信じて疑わない。エルサレムのスペイン系ユダヤ住民たちのシナゴーグでは、小さな地下室を見ることができる。地下室は、以下の物語を踏まえて「預言者エリヤのシナゴーグ」と呼ばれている。

およそ4世紀ほど前の、ある安息日のことである。当時、町に住んでいるユダヤ人はごくわずかで、律法にかなう礼拝に必要な「ミニヤン」、つまり定められた人数を満たせずにいた。ミニヤンには最低でも10人集めないといけないが、どう数えても9人しかいないことが分かった。そこで伝統に則した礼拝が行えないことが伝えられ、それを聞いた会衆たちは帰り支度を始めた。するとそこへ、尊い師のような姿の老人が忽然と現れた。礼拝用のタリフを身につけ、その場にいた者たちの中へと入ってきた。礼拝を終えたとき、「最初にシオンへ入る者」とエルサレムのユダヤ人たちから呼ばれていたラビは、かの見知らぬ老人を安息日の食事に招待しようと探したが、どこを探しても彼を見つけることは出来なかった。この見知らぬ不思議な人物が、かの有名なテシベびとでないはずがない。その場にいた者たちはそう思った。

コーランが伝えるヒドルについて、あるイスラム教徒が以下の物語を話してくれた。

かの偉大な律法の伝達者が大いに悩んでいた。 神の摂理について考えるうちに、目に見えて困惑し始め、奇妙な方向へ混乱し始めたのである。 それで彼は、神に教えを乞うた。 神は祈りに応え、ある特定の日に、特定の場所へ行くように告げた。 そうすれば、おまえを導く慈悲深い御方のしもべに出会えるだろう、と。 ムーサーは言われた通りにした。 約束された時刻、約束された場所で、彼は尊敬に値する一人のダルヴィーシュを見出した。 その人物は開口一番、一緒に旅をする間は一言も喋らないように、何を見ても質問は一切しないようにとムーサーに言い渡した。 ムーサーは言われた通りにすると約束し、それから彼ら二人は旅に出た。

日が沈む頃、彼らはとある村に到着した。 シャイフの家を訪ねると、彼は裕福で寛容な人物だった。 彼らに歓迎の意を述べ、彼らの名誉を祝して羊を一頭屠らせた。 やがて眠りの時刻になり、彼らは広々としてよく磨かれた立派な寝室へと通された。 ほとんどの家では、錫を引いた銅製で間に合わせる「洗い桶と水差し」も、この家では銀を重ね宝石をはめ込んだもので揃えているのだった。

疲れ果てていたムーサーはすぐに眠りに落ちた。 ところが日の出までまだだいぶ時間がある時刻に、彼は連れに起こされた。 今すぐに出発しなくてはならない、と言う。 ムーサーは反対した。 寝台が心地よかったのである。 主人が起きる前の、こんな早い時刻に出発したのでは礼を言うことも出来ない。 そんな恩知らずなことは出来ない、とムーサーは訴えた。 するとダルヴィーシュは、銀の「洗い桶」を平然と衣の下にすべり込ませながら、驚きを隠せずにいるムーサーに向かってきびしい調子で言った、「われわれの固い約束を忘れるな」。 そこでムーサーは黙って起き上がり、その家を後にした。

その日の晩、すっかり疲れ切った状態でもうひとつの村に到着した。 彼らは再びシャイフの家の客人となったが、この人物は前夜の主人とは全く逆だった。 汚らしい放浪者を自分が保護しなくてはならないことにぶつくさと不平を言い、使用人に、彼らを厩舎の裏にある洞窟に連れて行くよう命じ、そこに積んであるわらの山で寝るようにと言った。 そして夕食には、かびの生えたパンのかけらとしなびたオリーブを運ばせた。 空腹ではあったものの、ムーサーには手を伸ばすことが出来なかった。しかし彼の連れは、差し出されたそれらをうまそうに良く食べた。

翌朝、ムーサーはとても早い時刻に目を覚ました。 空腹のせいで、みじめな気分になっていた。 彼は旅の案内人を起こし、今すぐに出発しようと持ちかけた。 しかしダルヴィーシュは「否。盗人のように、何も言わずにこっそりと立ち去るのは良くない」と言い、再び眠ってしまった。

それからおよそ2時間後、修行者は起き上がり、昨晩の食事をふところにしまうようムーサーに言った。 「さて、主人にお別れの挨拶をしなくてはならない」。 シャイフの前で、ダルヴィーシュは低姿勢で礼を述べた。 彼の親切に感謝の意を表し、わずかではあるが、と断りを入れつつ返報の品を受け取ってくれるよう願い出た。 シャイフが、そしてムーサーが驚いたことに、彼はあの盗まれた洗い桶を持ち出して、シャイフの足許に置いたのだった。 約束を心に留めて忘れずにいたムーサーは、言葉を発することはしなかった。

旅の三日目、彼らは不毛な土地を歩いていた。 ムーサーは、食事の残りを持ってきていたことを喜んだ。 しかしダルヴィーシュは、自分の取り分を捨てた。 夕方近く、彼らは川辺に辿り着いた。 川を渡るのは明日の朝にしよう、とダルヴィーシュは言った。 そして葦で出来た祖末な小屋を指し、そこで夜を過ごそう、ということになった。 その小屋には、船頭の寡婦が、両親を亡くした十三歳の甥と一緒に住んでいた。 貧しく不幸なこの婦人は、それでも彼らが心地よく過ごせるように出来る限りの力を尽くした。 翌朝は、彼らが出発する前に朝食を用意して食べさせもした。 川の下流にあるという壊れかけた橋への道案内として、彼女は彼らと一緒に甥を行かせることにした。 そして去り際の甥の背中に、彼らを無事に橋まで送り届けるように、彼らの名誉に傷がつくことのないようにと大声で叫んだ。 案内役の男の子が先導し、ダルヴィーシュがその後を追い、そしてムーサーがしんがりをつとめた。 彼らが橋の中ほどまで進んだとき、ダルヴィーシュは男の子を首をつかんで水の中へ突き落とした。 男の子は溺れて死んでしまった。 「化け物!人殺し!」彼のすぐ傍でムーサーが叫んだ。 ダルヴィーシュは彼の弟子を振り返った。 預言者は、彼がヒドルであったことを悟った。 「おまえはまたしても約束を忘れた」、ときびしい調子で言った。 「今度こそ、私たちは別れなくてはならない。 私がしたことは、全て神の慈悲によってあらかじめ定められていた。 最初の夜に私たちをもてなした主人は信じやすい性質で、しかも見栄っ張りだった。 銀の洗い桶を失ったことは、彼にとり良い教訓となった。 二晩目の主人は吝嗇だった。 しかし手にした報奨のおかげで、彼は客をもてなすことを好ましく思いつつある。 最初は単に見返りを求めているだけでも、ひとたび習慣が身について育ち始めれば、習慣が彼の性質を変化させることだろう。 そして男の子の死について。 おまえは相当怒っているようだが、彼は楽園に入ったのだ。 放っておいても彼はあと二年の命だった。 その二年の間に、彼は伯母を殺し、その一年後にはおまえを殺していただろう。

「前回の」雨季が芳しくなかったため、一九〇六年の十一月から十二月にかけて、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒たちの集まるあらゆる礼拝所で雨を求める祈りが捧げられた。その時期、エルサレム中が次のような話でもちきりだった。ある婦人が、アインカリム近くにある涸れかけた泉で一滴、また一滴と水を汲み、ようやく水差しを満たしたところに、長い槍を持つ馬上の騎士が突然現れ、彼女に近寄り話しかけてきた。そしてその場にあった石のくぼみに水差しの中身を注ぎ、彼の馬に飲ませるよう命じた。彼女は抗おうとしたが、彼を恐れて言う通りにした。すると彼女の水差しから流れ出たのは水ではなく鮮血だった。怖れおののく彼女に向かって、神はかんばつも疫病も送りつけてはいないこと、その他どのような災難も起こりはしないことを、彼女の村の仲間たちに伝えるようにと告げた。命じ終えると、彼は姿を消していた。それはヒドルだった。

ヘブロンに住むあるムスリムの婦人が乞われるままに見知らぬ老人に水を飲ませてやったところ、これと同じような伝言を託され、ヘブロンの人々に知らせるようにと告げられた。加えて老人は、神はギリシャ人達の新年が明けた後で雨を降らせるだろうとも言った。確かにその日以降、私たちは沢山の雨に降りこめられた。

 


“THE FOLK-LORE OF THE HOLY LAND – Moslem, Christian and Jewish”
Section I – IX, p.51-
London, DUCKWORTH & CO., 1907
by J.E.Hanauer,  edited by Marmaduke Pickthall