試訳:シャハーダ

「シャハーダ」
シャビーナから届いたメール

 

アッサラームアレイクム、

どの国の出身か、どの民族かでムスリムかそうでないかが決まると思っているひとがいるとしたら、そのひとは大きな間違いを犯してることになるわ。ムスリムっていうのは、国籍とか人種のことじゃないのよ。ムスリムっていうのは、イスラームに従うひとのこと。だから、『習慣としてのムスリム』なんていうのはあり得ないわ。

なぜかって?じゃあムスリムになるのに何が必要か思い出してみて。そうよ、ムスリムになるためにはシャハーダをする必要があるわ。シャハーダというのは、イスラームのブリーフみたいなものよ。『神以外に神はなくムハンマドが神のメッセンジャーである』ことを認めること、それがイスラームのブリーフ。

「お母さんもお父さんもムスリムだからその子もムスリム」というのは、だから大間違いなのよ。ムスリムであるというのは、生まれつきのことではないわ。たとえその子の親たちが、イスラームの価値観に従ってその子を育てたとしたって、その子がシャハーダをしない限りムスリムだとは言えないのよ。

なぜかって?ムスリムになる、あるいはムスリムであるというのは、本人が自覚して選び取る状態のことだから。あかちゃんには、そんな意識なんてないわ。五歳の子供にだって、それはちょっと無理なことかも知れない。自分でムスリムになると意識して、シャハーダして、それで初めてムスリムになれるのよ。

私の両親はムスリムで、私をムスリムとして育てたけど、それでもムスリムとして生きるのなら、私だっていつかはシャハーダをしなくてはならないのよ。

ワッサラーム、
シャビーナより

 


シャビーナは米国テネシー州在住の高校二年生(2005年現在)。両親と、二人の弟がいる。

「シャハーダ | shahada」 「証拠」を意味するアラビア語で、(1)法廷での証言、(2)殉教、(3)信仰告白の意味に用いられる。証人はシャーヒド、殉教者はシャヒードという。信仰告白は、「アッラーフの他に神なく、ムハンマドはアッラーフの使徒である」という簡潔な言葉(カリマ)を唱えることで、五柱(六信五行)の第1にあげられ、礼拝のたびごとに唱えられる。コーランでは、「アッラーフの他に神なし」と「ムハンマドはアラーフの使徒である」とは別々に記され、このカリマと同じ言葉は見られない。コーランで別々に記されたカリマが、最初、異教徒のイスラムへの改宗の「証拠」として用いられ始めたと考えるのは、極めて穏当である。このような必要が痛感され始めた時期、スンナ派ウラマーの先駆者たちによるイバーダートの箇条化がなされ始めた時期を考え合わせると、このカリマの成立は8世紀初めのことであろう。
『新イスラム事典』2002, 平凡社