『聖地の民間伝承:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ』
著 J. E. ハナウアー
I-VII. モーセとアロンの死
パレスティナの地に辿り着いたとき、バニー・イスラエル(イスラエルの子ら)はワディ・ムーサー1の近くで野営の天幕を張った。その地に辿り着いてすぐのある宵のこと、ハールーンはムーサーに、遠い山腹を指さして、あそこに行ってみたい、と言った。みずみずしい緑のその辺りは、夕日に照らされていっそう美しく見えた。ムーサーは彼に、明日になったら一緒に行ってみようと約束した。そのようなわけで翌朝、二人の兄弟はそれぞれ自分の子どもたちも連れて、件の場所を目指して一緒に出かけていった。
到着してみると、そこには誰かが作ったらしい洞穴があった。太陽の日差しをよけるのにはぴったりで、皆はとても喜んだ。洞穴の中に入ってみると、驚いたことに立派な寝台が備えつけられている。その枕元には、「誰でも、この寝台にふさわしい者がくつろげ」と刻んだ銘板が添えられていた。そこで誰がこの寝台にふさわしいか、皆で試してみようということになり、代わるがわる、順番に寝転がって具合を確かめた。やがてハールーンの番になり、彼が寝台に横たわると、まるで彼のためにあつらえたかのようにしっくりとおさまった。彼がそのまま横たわっていると、見知らぬ者が洞穴に入ってきた。そうして恭しく一同に敬礼し、自分は名をアズラエルといい、死の天使の役割を仰せつかっている、ついてはアッラーから、ハールーンの魂を受け取りに行くよう命じられてやって来たのだと述べた。
全能の主には従順に仕えるしもべであり、皆からは尊敬を集める伝道者とはいえども、これを聞いたハールーンはいたく動揺した。それでも息子たちや甥たちに別れの挨拶を告げ、また一族の者たちにもよくよくムーサーを立てて従うように命じ、それからムーサーには、一族の者たちを引き立ててくれるようにと、ぽろぽろ涙をこぼしながらかきくどいた。その後でアズラエルは、一同に対して、少しのあいだ洞穴の外へ出ていてはくれまいか、と頼んだ。やがてアズラエルが、洞穴の中に入ってもよい、と告げたとき、この伝道者は寝台の上でこと切れていた。
そこで彼らはハールーンの遺体をいったん洞穴の外へ運び出し、埋葬のために洗い浄めて、死出の身支度を整えてやり、祈りを捧げ、それから再び洞穴に戻して、例の寝台の上に横たえた。ついで洞穴の入り口を慎重に塞ぎ、これを墓とした上で、悲しみにくれた面持ちで野営地に戻り、ハールーンが死んだことを人々に告げた。これを聞いたイスラエルの子らのうち、ハールーンを好ましく思っていた人々が、ムーサーが弟殺しをしてのけたと言って責めた。ご自分のしもべにかけられたこの嫌疑をはらすため、アッラーが天使たちに命じると、ハールーンの遺体を載せた寝台は空を飛び、イスラエルの子ら全員が見えるようにと、野営地の上を一周して回った。同時に、ハールーンの魂を呼び寄せたのがアッラーであること、彼の死についてはムーサーは無実であるとのお告げが下された。
偉大なる律法の伝道者自身の死については、二つの異なった話が伝えられている。ひとつめは以下の通りである。すなわち、自分の死が間近に迫っていることをアッラーから知らされたムーサーは、残りわずかな日々を、アッラーを畏れ、また主の律法を守るようイスラエルの子らに勧めて過ごした。それから自分の後継者としてヨシュアを指名して、統治のあり方を整えた。彼はふだん通りに、聖法の探究をしている最中に息を引き取った。
もうひとつの、より一般に知られている伝説は以下の通りである。ムーサー –– 彼の上に平安あれ –– は、ハリール(神の友)と呼ばれたイブラヒム同様、自らの自由な意志で墓に横たわるまでは決して死なないという約束を授かっていた。その約束にすっかり安心していたこの預言者は、死の天使アズラエルがやってきて、残りの時間があとわずかであることを告げられたときも、相手にしようともせず死を拒んだ。一緒に来るよう命じたアズラエルに対し、ムーサーはひるむどころかすさまじい怒りをぶつけたので、アズラエルはすっかり怖くなってしまい、創造主の許へ一目散に逃げ帰り、預言者のふるまいについて不満を述べた。
結局、死の天使は再びムーサーの許に遣わされることにはなったが、今度は彼をなだめるために、さらに魅力的な約束を携えてやってきた。それはムーサーの死後、彼の墓所は信仰者たちが年に一度は訪れる巡礼の地となるだろうというもので、これほどありがたく名誉なことがあろうか、と言う。それ以外にもアズラエルはムーサーに、彼の長い人生の間もアッラーがどれほど多くのものを彼に授けたかを思い起こさせ、楽園では更にそれよりも多くの報奨が彼を待っているのだ、と説き伏せようと迫った。しかしすべては無駄だった。何を言って聞かせようが、どんな議論にも預言者は耳を貸そうとはしなかった。しまいには天使に対して、本来であれば畏れかしこむべきところを、むしろその執拗さにうんざりし、放っておいてくれと言い捨てて野営地を去った。
山腹を越えて、死海の西方をあてもなくさまよっていると、ある羊飼いと出会った。その羊飼いというのが、シュアイブ2の羊の群れを世話している者で、ムーサー自身も、イスラエルの子らをエジプトから脱出させるという使命を負って出かけている間、彼に自分の羊の群れを託したことがあった。こんなへんぴなところで律法の伝道者を見て驚いた彼は、いったいどうして人々のいるところから離れ去り、一人でさまよっているのかと尋ねた。
ムーサーが起こった出来事を話して聞かせると、羊飼いはとても不愉快そうな顔をした。そしてアズラエルの側につき、「預言者ともあろう人が、そんな簡単なことも分からないだなんて」と、この世の重荷や苦労や不幸と引き換えに、あの世の果てしない幸福が頂戴できるというなら、その申し出を断るのは間違っていると述べた。「私なんぞは、そりゃあ死ぬのが怖くて怖くてたまりません。でもそれは、単に私が罪深いからです。あの世でどんな罰が待っているかと思うとね……でもあなたは違う。アッラーの覚えめでたいあなたなら、何も怖がることはありませんよ。喜んで、恩恵に浴しておいたらいいじゃないですか」。
そんなふうに諭されると、ムーサーはついカッとなってしまい、「そうか、そんなに死ぬのが怖いか。それならおまえこそ、いつまでも死なずにいるがいい!」と怒鳴った。「アーメン!」と、それが実は恐ろしい呪詛となるとはつゆ知らず、羊飼いは受け答えた。
羊飼いはその後も日々を生き続け、やがてある日、よろめいて倒れ、そのまま動かなくなった。友人たちは彼が死んだのだろうと考え、ナビー・ムーサー廟からさほど離れていない、今もなお残されている墓地の一画に、彼を埋葬してやった。しかし彼は死んではいなかった。ムーサーが彼に投げつけた、あの「いつまでも死なずにいるがいい」という一言のために、彼は死んで安らぎを得ることもできず、生きながらえて、岩山に住むヤギの群れを追いながらさまよっている。今でも時たま、死海の近くやヨルダン谷の西にあるワディの辺り、それから北はティベリアの海(ガラリヤ湖)などで、遊牧のベドゥたちや、野生のヤギ狩りに訪れる狩猟隊が、彼を目撃している。彼をエル=フドゥルと間違える者がいたりもする。ある時など、険しい崖の上から飛び降りたところを見たという者があった。死ぬに死ねない身を絶望して、自ら命を断とうとしたのだろう。しかし彼は死ねなかった。彼は非常に背が高く、年老いて白く長い髪をしており、顎ひげも爪もおそろしいほど長く伸びているという。そして人が彼に近づこうとしても、怯えたように逃げていってしまうそうである。
さて、ムーサーに話を戻そう。羊飼いと別れて、預言者は更に山腹に沿って歩いて行った。そのうち白亜質の岩壁の丘が見えてきたかと思うと、せっせ、せっせと岩を掘って、小部屋を造ろうとしている石工たちの一団にめぐり会った。挨拶を交わしてから、ムーサーは、何をしているのかと尋ねてみた。すると彼らは、この国の王が、自分の大切な財宝を人目につかないところへ隠そうと、訪れる者もいない荒野の真ん中、ぽつんと立っているこの丘の岸壁をくり抜いて、岩屋を造るよう命じたのだと言った。それはちょうど正午ごろのことで、太陽が真上から照りつけていた。暑さのせいか、歩き続けたからか、疲れをおぼえたムーサーは、他に日陰になる場所もないことだし、岩屋の中で休ませてもらいたいと頼むと、あらくれの石工どもの親方らしい人物は快く承知して中へ案内してくれた。
岩屋の中はひんやりと涼しく、ムーサーは岩床の上にゆったりと体を伸ばして寝転んだ。「おなかがすいているんじゃありませんか?これを召し上がったらどうです?」と、親方がりんごをひとつ、差し出した。ムーサーはそれを受け取り、果実の芳香をかいだかと思うと、そのまま目を閉じた。手を離れたりんごが、岩床の上を転がっていった。石工の親方と思えた男、実は死の天使アズラエルだったのである。
このために遣わされた、石工の身なりをした天使たちの一団が、彼の体の上に土や石をのせて岩屋を塞いだ。掘っていた岩屋とは、ムーサーの墓であった。こうして、律法者の葬儀はつつがなく終了した。
原注1. ペトラ。
原注2. ジェスロ。