十四. ラガーイブ、ベラート、カドルなど、余剰の礼拝について

『真理の天秤』
著 キャーティプ・チェレビー
訳と解説 G. L. ルイス

 

十四. ラガーイブ、ベラート、カドルなど、余剰の礼拝について1

ひとつ、ふたつ程度の例外を除いては、定められている以上の集団礼拝を事前に取り決めた上で実践するのは忌むべきことである。これについて法学者たちが法の規範書を通じて述べていることについては、周知されて然るべきであろう。

とは言うものの、預言者の昇天から三世紀が過ぎようとしていた頃には、イェルサレムではラガーイブの礼拝が行なわれ始めており、しかもそれは大衆には大評判であった。続いてベラートの礼拝、みいつの夜の礼拝を集団で行なうことが慣例になり、そしてそれは慣例として残り続けている。これについてウレマーのうち何人かは、それらは逸脱であり、定めの範囲を超えた集団礼拝は忌むべき行ないであるとする反対の意見を表明した。だがすべては無駄に終わった。大衆の熱狂はますます増えるばかりであった。法学者の意見が求められ、年長者たちがフェトワを与えた。ある者はこの実践は承認されるものではないと断言し、またある者は「叩頭でも礼拝でも、彼らの好きなようにやらせておくがよい」2と発言した。

しかし慣習は大衆の見世物の側に味方した。そして法は慣習に対する敬意を命じており、かつどのような逸脱であろうが承認されえない実践であろうが、それを無理に妨げようとすればある種の害が生じることを認めている。そのため大部分のフェトワは二つの害のうち、より小さい方を選ぶものとなった。常日頃から行政当局も、これらの礼拝を必ずしも強権的に抑止しようとはしなかった。あまりにも強権的にふるまえば、大衆も抑止されたままでいてはくれない。そこで彼らは、見て見ぬふりをしたのである。

だがこの問題においても世間の人々は熱狂に陥り、真っ二つに党派が割れた。派閥のひとつは極端に一方向へ傾き、最も強い調子の、しかし雑な言説をもって、これらの礼拝は実践されるべきではない、と断じた。もうひとつの派閥は反対側の極に傾き、これらの礼拝は断固として実践されねばならない、と述べた。どちらの派閥も間違っていた。何故なら両方とも、平衡感覚を失っていたからである。

この問題に関する正しい選択、そして理にかなった道とは以下の通りである。すなわちこの礼拝を、実践するかしないかの間に優劣の差は存在しない。望む者は叩頭し、礼拝してかまわない。望まない者は夜の礼拝を自宅で実践するなり、定めの礼拝が行なわれている夜にのみモスクへ行くなり、定められている以上の礼拝が行なわれている夜を避けるなりすればよい。定められた以上の礼拝を行なう人々と共にいることに気づいたなら、そのまま共に礼拝すべきであって、その場を立ち去って会衆を後にするような愚行を犯すべきではない。これについてよく考えてみれば、叩頭するかしないかに関わらず、その場に留まり礼拝を行なうことの方が、その他の二つの選択、すなわち会衆に逆らってその場を立ち去るなり、その場に残るが礼拝には参加せず座ったままでいるなりといったふるまいよりも良いということが理解できるだろう。

さもなければ、熱狂で高ぶった感情が行動にうつされてしまう。自己保身と毒々しい敵意が、洞察力の目を覆ってしまう。明白な中庸の道が視界から消失した人間は極端に走る。だが本人にしてみれば、それは合理的な行為なのである。強情や傲慢は非難されてもそれは自業自得なのだということが、あわれな恥知らずには理解できない。そうして憎まれるべき者として人々の眼前に自らをさらけ出し、神に拒絶される者となるのである。ばかばかしい!

このような不快で不躾な事態が生じないよう、たった一度この夜を避けて自宅で礼拝をしたところで、きみにとりそれが一体どれほどの損失だというのか?それとも何か、きみは全人生に渡って集団以外の礼拝はしたことがないとでもいうのか?あるいはムスリム同胞たちとこうした礼拝を共にモスクで捧げれば、きみが不信仰の罪を犯したことになるとでもいうのか?自らのあらゆる言葉や行為において、許されざるものを避けることにおいては、きみもまた注意深くあるべきだと私は考える。きみが正直に自らの態度を法と照らし合わせたなら、そこに大いなる食い違いがあることに気づくはずだ。「つまるところこうした講義から何を得るかといえば、それはわれわれ自身を知り、われわれ自身の不足を知ることである」とは、ガッザーリーの『宗教諸学の復興』の講義において、きみの師であったカディザーデ・エフェンディが常々言っていた言葉である。彼のような師でさえこうした言葉をもって、隠し立てすることなく公正に自らの不足を告白している。だのになぜきみときたら、そんなにも尊大かつ自惚れていられるのか?3

こうした礼拝の際には伝道者たちも、ただちに上述した通りの法の判定を参照すべきである。それこそ、モスクの管理者の責務である。過激主義者たちの思想を広めてはならない。人々を刺戟してはならず、またムハンマドの共同体の間に軋轢の種をまき散らさせてはならない。この問題については過度に繊細に扱うべきでも、また過度に粗雑に扱うべきでもない。何であれ、神への崇拝の形態をとっている習慣は禁じない方が良い。何故なら禁じればますます熱を帯びて継続するからである。いっそ実践を奨励する方向で行くのがいいかもしれない。その他の宗教的義務がそうであったのと同様に、人々はやがて飽きて徐々に捨て去るようになるだろう。平常時の礼拝には参加しないのに、こうした特別とされる夜の礼拝に限ってモスクに群がる人々を見ればわかる。禁止が情熱を煽るのである。

 


1. Ragha’ib ラガーイブとは、イスラム暦(太陰暦)第七月のラジャブ月第一金曜日の前夜。預言者が懐胎された夜と信じられている。
Berat ベラートとは、太陰暦第八月のシャアバーン月十四日目の夜。この夜に唱えられた祈りは、確実に受け入れられると信じられている。
Qadr カドルとは、「みいつの夜」と呼ばれる太陰暦第九月第二十七日目の夜。伝統的には、ムハンマドにコーランが啓示された最初の夜である。

2. あらゆる崇拝の行為は、その実践に先立ち、明白に分かる形で意志の表明がなされねばならない。「叩頭」は、この場合は余剰の礼拝を自発的に実践するという意志の表れである。

3. この率直に過ぎる部分については、明らかに特定の人物に向けられたものである。夜の礼拝の後で、会衆は余剰の礼拝を始めようというところでこれ見よがしにモスクを立ち去った道徳家気取りがいたのだろう。誰であったのかは不明である。