十八. アブラハムの宗教

『真理の天秤』
著 キャーティプ・チェレビー
訳と解説 G. L. ルイス

 

十八. アブラハムの宗教

milla –– ミッラ、宗教 –– 、din –– ディーン、信仰 –– 、それに shari’a –– シャリーア、聖法/啓示法の規範 –– をめぐる見解について考察するならば、それらの間には区別があるとはいうものの、それらが偉大なる預言者たち、解明の保有者たちの中のある一人によって、共同体にもたらされた諸概念に帰されるものであるという点を踏まえておかねばならない。人はこれこれしかじかの預言者の宗教、あるいは信仰、あるいは啓示の法、という具合に語る。すべての預言者は、神の唯一性ににおいて一致している。根源に相違はない。相違は枝葉に現れる。

イスラムの信仰と宗教は、根源においても、また枝葉の大部分においてもアブラハムの信仰と宗教に一致しており、それゆえに諸々の用語も連動するようになった。われわれの時代においては、偉大なウレマーの中でも尊敬を集める一部の人々に対し、「ムハンマドの共同体に属する者が『自分はアブラハムの宗教に属している』と述べることは許されるか』という問いかけがなされている。彼らは、それは許されていないと回答した。彼らはこの問題について、神学書やコーラン解釈書からの引用と共に、詳細かつ包括的な論文を執筆した。その他のシェイフたちは、それらを論駁するための論文を執筆した。及ばずながら筆者も、本主題について三編の随筆を書いた。第一の論では、解釈者ファーディルの見解を要約した。第二の論では、シェイフ・ムージブの判断をまとめた。そして第三の論はその結論である。

第一の論。ファーディルはその論文において、自らの見解を以下のように述べている。法学書には、啓示法の規範に対する前代の人々にありうる三つの態度への言及がある。いわく、
(1)それが廃止されたのでない限り、以前の預言者の法は有効である。ゆえにわれわれは以前の預言者の法に従うべきである。
(2)それが今も有効であると証明されたのでない限り、われわれは以前の預言者の法に従う必要はない。
(3)われわれは以前の預言者の法に従うべきだが、それは「私たちの預言者の法」であるからそうすべきなのであって、「以前の預言者の法」だからではない。ある法がある預言者に属すると宣言しているのは祝福のいと高き神、または預言者(神よ、彼に祝福と平安を与えたまえ)その人自身であるが、しかしその宣言は廃止を意図したものではないのである。

イスラムが誇る学者アル=バズダーウィーが、その著書 Usul1 において「われわれの見解においては、これぞあるべき正しい態度である」として言及している論がある。実際のところ、神学書において一般的に選ばれているのもこの態度であり、様々な論理的議論もこれを支持した上でなされている。以下もそうした議論のひとつに相当する。すなわち、神の使徒たるムハンマドは法の美徳の編纂者である。彼は過去の(預言者たちの)後継者である。以前の人々の諸啓典と諸法は、遺産として彼と、彼に従う人々に引き継がれた。廃止されていない事柄については、われわれの預言者の法と宗教として取り入れられるべきである。遺産として引き継がれた法と宗教は、かつてはその相続者たちに属し、相続者たちの所有とみなされていた。しかし今や、それらは後継者の所有となったのである。それらは相続者の所有とは認められない。なぜなら彼らは、(その遺産に)ほとんど関心を示していないからである。

ここで言われている「法」というのが、アブラハムの宗教である。それはかつて彼の所有であった。それは真理であり、今もなお有効である。それはムハンマドに引き継がれて彼の所有となった。そしてアブラハム(彼の上に平安あれ)はこれについて、それ以上の利害を持たない。

以上が、Kashf al-astar(『除幕の書』)の著者でもある解釈者バズダーウィーや、Taqrir(『確証』)の著者アクマルッディーン2が詳細に論じている議論である。また Tawadih(『解釈』)その他の神学書においても、この議論の要約がなされている。

結論として、偉大な学者バイダーウィーやエブッスウード=エフェンディは、コーランの章句「故に、アブラハムの宗教に従え(3章89節)」の注解において「アブラハムの宗教に起源を持つイスラムの宗教に従え」という意味である、と解説している。つまり、誰であれ「私はアブラハムの宗教に属している」と言うことは許されていない。何故ならその発言は外面上、「宗教」が未だアブラハムのそれであることを意味し、故にその行為も彼に関連づけられた「宗教」に基づいている、という意義を持つからである。そして誰かがこのように発言すれば、理論的には「宗教」は、ムハンマドその人ではなくアブラハムに属するということになり、ムハンマドもわれわれ全員も、アブラハムに従うアブラハムの共同体ということになってしまう。一般の人々が、こうした言葉を語るのは許されることではない。選ばれし少数の者が、ムハンマドの宗教の起源はアブラハムの宗教にある、と発言するのはまだ許される。しかしその人の行為の原点となる宗教は、アブラハムではなくムハンマドのそれであるべきである。だが言葉の外面上の意味を教義として引き合いに出すべきではないし、それには但し書きが必須となる。理解力を持つ者に聞かせるならまだしも、そうした少数の者に大勢の前で語らせるべきではない。さもなければ大多数の者は、自分たちが耳にした外面上の言葉の意味を取り違え、教義としてあちこちで受け売りし始めるだろう。要するに、あらゆる言葉は文字通りにしか受け取られないのである。外面的な感覚で教義として受け取られてはまずい意味を有する言葉を発するのは許されることではない。まずは教義として許容可能な形式に整えねばならない。

次に自説を補強し、予測されるあらゆる異議と疑念を解体するためにも、趣旨の良く知られた様々な論理的議論を例証として提示し、解説する。細部まで詳しく描写する必要はないが、論証として参照する諸原則の中にはいくつか注目すべき要点がある。

(1)「イマームたちの太陽3」が述べている通り、ムハンマドの法こそが法の中の法、諸法の原理であることのしるしは、章句「神が預言者たちと契約を結びたもうたときのこと(3章75節)」に見出せる。契約が結ばれたという事実の開示は、以前の預言者たちはムハンマドの下位にあり、彼の共同体に属する者と位置づけられることを確認するものである。ゆえにムハンマドが誰か以前の預言者の法の対象とされるのは正しいはずがない。何故なら(そのような理解では)、彼が下位の者として誰か別の預言者の共同体に属するということになり、それは使徒としての位置づけを減じるものである。今やムハンマドこそはその預言者性と法において筆頭にあり、その他はすべて次点なのである。以上が『除幕』の著者による詳細な議論の方向性であり、また『確約』でも、これと同様の議論が要約されている。

(2)章句「人々の中でアブラハムにもっとも近い者は、彼のあとに従った者、この預言者、信仰ある人々である(3章61節)」4について、尊敬を集めた師カーズィルーニー5は、「預言者ムハンマドは本来的に法の制定者である。すなわち他の誰からも独立しており、それでいながら彼の法は、アブラハムのそれと最も詳細な部分に至るまで一致している。彼の完全なる独立性は、『もしもモーセが生きていたなら、私に従わざるをえなかったであろう』という伝承によって証明されている」と述べている。

(3)人々が疑念を抱いている議論についての説明。
「それでわれらは汝らに啓示を下した、Hanif6 –– ハニーフ、純正なる人 –– であるアブラハムの宗教に従え、と(16章124節)」。「言え、『神は真実を告げたもう。それゆえ、純正なる人アブラハムの宗教に従え』(3章89節)」。これらの章句を見る限りでは、われわれがアブラハムの宗教に続いたとしても許されるかのように伺えるかもしれない。だが正解はこうである。いったい何の後に続けと命じられているのかというと、根源においてはアブラハムの宗教でもあるイスラムの宗教に従え、と命じられているのである。故サアディー・エフェンディ7は次のように述べている。「『われらは汝らに啓示を下した、云々』の言葉が明示しているのは、選ばれしムハンマドはアブラハムに従うよう命じられたのではなく、アブラハムの宗教に従うよう命じられたのだという点である。だがムハンマドは、むしろアブラハムが採ったのと同じ源泉から宗教を採った。ゆえにムハンマドは独立しているのである」。いくつかの神学書には、サアディー・エフェンディの言葉を要約するものとして以下の解説が掲げられている。すなわちこの章句は、人は宗教に沿って行なわねばならないということを意味している。法はわれらの預言者に属しており、また彼はそれを直接に手にしたのであって、「従う」という言葉は下位にまわるということを意味しない。

(4)偉大なるサアドッディーン・タフタザーニーは、「それゆえ、汝は彼らの導きに倣え(6章90節)」の解説の傍注として以下の通り記している。「宗教をアブラハムと関連づけることの意図とは、アブラハムに敬意を表し、またこの宗教が真実であり、合理的かつ伝統的なもののしるしとも一致している旨を宣言することにある。しかしながらアブラハムの宗教に従う義務とは、彼の宗教に重きを置くことに由来するものではない」。

上記に関連して、偉大なるイスラムッディーン8は以下の通り述べている。「この章句は、先祖を模倣する偶像崇拝者を暗示するものである。その意味とは、人は異教の祖先ではなく預言者たちに従うべきであるというものである。預言者たちに従う人は、自らの異教の祖先に対する盲信を捨て去り、理性と啓示に基づいて真理を確立するよう探求するものである」。

(5)ユダヤ教徒もキリスト教徒も異教のアラブも、アブラハムの宗教にはまったく反している。それでいて、自分たちはアブラハムとアブラハムの信仰に繋がりを持っているというのが、彼らにとっては今でも大きな自慢の種である。その宗教に従えとの命令が、章句の中に含まれているということは、中にはとりわけ、この命令に従わう必要のある人々が存在するからだとも考えられよう。その人々というのが自称「アブラハムに属する者」たちである。あるいは、彼こそは一神教の信仰者たちの長であり、この宗教の起源であると主張する者たち。あるいは、この宗教は新興宗教ではなく、それは古代より連綿と続いてきたなじみ深いものであると主張する者たち。それぞれが属する時代ゆえに、二つの宗教は対立しているかのように見えるかもしれない。だが実際には、何の対立も存在しない。いずれの命令も、それが属した時代における真実であり、そのどちらもが有効である。

(6)アブラハムの宗教に従え、との命令は、虚偽の信条からはほど遠く真実に基づいており、何の困難も苦労もないイスラムの宗教に従え、との勧めであるとも考えられる。それは「しかも、この宗教の中ではおまえたちには何の困難も課したまわなかった。それがすなわち、おまえたちの父アブラハムの宗教である(22章77節)」という章句において説かれている通りである。つまり主は、われわれの信仰をたっぷりと豊かなものとしたもう。ハニーフとは、間違った信条に背を向けて真実にしっかりと基づく人を意味する。アブラハムの宗教が容易であり、何の困難も苦労もないのは、まさしくイスラムと同じである。

(7)「信仰」、「宗教」、「聖法」の意味について。
今は亡きビルギリ・エフェンディ9は、アル=ザッジャージュ10の後を追うかたちで、その論文の中でこう述べている。「『宗教』と『信仰』はひとつであり、すなわち全能の神からムハンマドが運んできた確信に関するものがそれである。『聖法』とは、彼が運んできた実践に関するものである」。そうしたわけでわれわれの宗教はアブラハムのそれであると言うのは許されており、何故なら確信に関する問題については預言者たちは一致しているからである。しかしながら、これは一般の人々の考え方とは異なっている。

イマーム・ラーギブは以下のように言う。「 milla という語はアラビア語の amalla に由来しており、書物を口述させる、口授するという意味である。これが、神が預言者の口を通じてしもべたちに広めたものごとにつけられた名である。『信仰』もこれと似ている。考えるに『宗教』とは、人類に対する神の召喚であり、また書物の啓示を指す。『信仰』とは、神の召喚に対する人類の反応と服従を指している」。ここからわれわれは、これら三つの語は基本的にはひとつであるものの、精確にはそれぞれ異なるものを指しているのを理解する。

カーディー・バイダーウィーも、「汝が彼らの宗教に従わぬかぎり(2章114節)」という語句についての解説の中で、上述の認識に言及している。その他の解説書や注釈書の著者たちは、「宗教」「信仰」「聖法」は基本的にはひとつのものであると述べる。これらはすべて神が預言者の口を通して定めたものから成り立っている。ある者は、これらをまとめて「神の法令」と定義する。これらは適用のされ方に違いがある。「宗教」は預言者からの共同体への規定であり、「信仰」は全能の神への服従の状態を指し、shalia すなわち「聖法」(シャリーア、語源的には「道」に由来する)とは、渇いた者に下された、神の慈悲という涼やかな水流へと至る道である。

そのようなわけで総合的な宗教の概念には、信仰と実践が含まれていなければならない。宗教と信仰の説明については、上述において引用したコーランの章句の通り、実践が必ず含まれているが困難とは無縁であり、なぜなら「困難」は信仰に関連づけて理解されるものではないからである。Fiqh akbar によれば、「宗教とは信仰、イスラム、それに聖法が命じるあらゆるものを包含する名詞である」。信仰と実践をこのように理解するならば、質問の余地はない。ずいぶんと長くなったが、これで問題の結着とする。

第二の論。シェイフ・ムージブの論文の要約。
ムージブがアラビア語で書いたこの論文は、内容も構成も迫力に欠けている。冒頭は二、三行、シェイヒュル・イスラムに宛てたという趣旨の雑な概略から始まるのだが、節度を超えた論駁や逸脱のおびただしさを見るにつけ、私には、この部分は省略するのが望ましいのではないかと思われた。それが終わると本文だが、これが宗教と信仰に関するコーランの章句と伝承の無味乾燥な切り貼りで、しかもそれにいちいち薄っぺらな解釈が加えられる。こんなものからうわべばかりの結論を出し、所与の学者たちの議論が何であったのか、それが何に基づいていたのか、そして何が論駁可能なのかを理解もせず、解釈者たちや神学者たちの言葉にひとかけらの敬意も尊敬も示さないとは大した度胸である。

彼のくどくどしい支離滅裂っぷりのひとつがこれである。「宗教はアブラハムの有である。これを否定する者は、かの栄誉ある人物に対する背信と不敬の行為を犯すものであり、よって有罪である」。どこかの学者がこの論文の余白に、その反証を書き加えている。「宗教は、かつてはアブラハムの有であった。こう述べた場合、出所は極めて明快となる。それを『否定』と断ずるこの論は、虚偽であり虚構である」。

この応酬の書き手が誰であるにせよ、しかしながらこの返答では、その後に示されるシェイフ・ムージブの三つの命題への回答にはなっていない。いわく、「私の結論は三点に要約される。すなわち(1)アブラハムの宗教に属するというのはムハンマドの宗教の外側にいることを意味し、よって不信仰者である、と彼らは言う。(2)もしもムハンマドがアブラハムの宗教に従う者であったとすれば、彼は神の使徒ではなくアブラハムの使徒ということになる。よって預言者はアブラハムの宗教に従う者であると述べるものは不信仰者である、と彼らは言う。(3)アブラハムに宗教を帰することは許されておらず、何故なら宗教におけるアブラハムの権益はすでに断たれており、ムハンマドが彼の相続者になったからだ、と彼らは言う」。

これら三つの結論によって彼は自らの論の趣旨を損ねており、しかも、 –– 神よ、ご加護を! –– この三つは互いに矛盾している。三番めについて、彼は以下のように述べている。「宗教を相続にたとえるのは誤りである。アブラハムの宗教がムハンマドの宗教になるなど、彼がウレマーの一人であったのでもない限り不可能である。何故ならウレマーこそは預言者たちの後継者だからである。彼らの遺産は宗教であり、彼らは自らの属する預言者からそれを相続する。それを彼らの遺産と呼ぶことが許されるならば、その宗教はムハンマドの宗教ではあり得ず、従ってこの比喩は不合理となる」。この体たらく。これが彼の言うところの「論理」である。

まず第一に、彼の「三つの結論」のうち最初の二つは完全に創作である。これは論の本文によって正当化されるものではない。次に三つめ、誤った比喩であるとする彼の断定だが、そもそもその前提が誤っている。間違っているのは彼自身の比喩である。預言者について主張されているのはその独立性であるが、伝統的権威に服するウレマーについてはそのような主張はなされない。

預言者が宗教を相続するとは、「ついでわれらは、しもべの中から選び出した者に啓典を継がせよう(35章29節)」という語の意味合いにおいてである。しかもそれはウレマーたちの地位を、預言者の後継と匹敵させるようなものでは一切、断じてない。

要するに、シェイフ・ムージブには弁証法の能力も視野も欠けており、彼の言葉にいくばくかでも意味を見出そうなどというのは無駄でしかない。ここで多くの議論を重ねておいたのは、万が一にも理解力の乏しい者が、偶然この主題に関するこの論文に出くわして、彼の論旨を基準にものごとを判断するようなことがないように、と考えてのことである。

第三の論、かつ議論のまとめ。
預言者の役割についてはしばし置いておくとして、人間性の中には支配から個人主義、そして独立へと向かう自然な傾向が存在する。これは生来的なものであって、文明という神の意図に従い、人類のために造られたものである。例えば遊んでいる最中の子どもたちは、お互いを支配しようとする傾向を示す。これは誰もが認めるところであり、否定しようのない事実である。ここから、いくつになろうが何であろうが、置かれた場所や階層に応じて、自分ひとりだけで支配し独立していたい、という人間の願望があからさまに見てとれる。階層や階級が高くなればなるほど、自らの地位を偉大なものと見なすようになり、周囲にいる同時代の人々に従ったり、同等に扱われたりするのを恥辱とみなすようになる。

これは何も世俗に限った問題ではなく、宗教的指導者の間においてもまた、同じように一般的に広まっている。例えば世俗に関していえば為政者たちが、独立自主の原則をめぐるありとあらゆる類いの要求を突きつけ、戦争に持ち込んだり口論を仕掛けたりして戦っている様子は、どの時代においても見られることである。これが宗教の場合だと、同時代に二人のシェイフがおり、それぞれがその道に従う者であり、精神的にも完成しているとなると、互いに互いの下位に置かれるのを回避しようとし始める。ちょうどメヴラーナ・アブドゥルガフールが著書『モッラー・ジャーミー伝』に記した通りである。階梯を同じくする学者二人というのは、常に敵対し合い戦っている。生来的な特質ゆえである。

こと人間に関する問題である限り、これらの事例は預言者たちの事情にもあてはまる。更に彼らの階梯が、その他すべての人間の階梯を優越しているとは言うものの、その素晴らしき一群の中にでさえ様々な階級があるという点には留意せねばならない。特に超一級の預言者二名の場合ともなれば、星に恵まれし壮麗なるスルタン二名を比較して甲乙をつけるとするなら、どちらが先でどちらが後かは類推をもって判断されよう。

より詳しく言うなれば、世界の栄光、預言者たちの封印であるわれわれの預言者こそ、その他すべての預言者にも優る。彼は以前の預言者たちに与えられるべきもの全てを与えた。彼自身の言葉をもって、彼らの美徳を述べ伝えた。その上で彼自身の階梯については、その独立性において他に類のないものであるという自らの裁定を、以下の言葉をもって知らしめている。「モーセが生きていたなら、私の後に続かざるを得なかったであろう」。この裁定を心に留め、それを遵守することが彼の共同体には義務として課されている。確かに以前の預言者の共同体も、それぞれ自らの預言者こそ最高と考え、他の誰よりも優れていると見なしていたとも思われるが、しかしムハンマドはその他すべての偉大なる預言者よりも優れているというのが、ムスリムにとって正しい信仰のあり方である。そしてこれこそが、この議論の核心なのである。この教義を保持し確立するために、解釈者も神学者も、アブラハムへの従属を意味する啓典の言葉をあるがままにとらえ、これを解釈し、解説してきたのである。その上で彼らが到達したのが以下の論法である。「イスラムの宗教は、当初はアブラハムの宗教であった。この宗教に従うことは、アブラハムに従うことを意味しない」。

ファーディルがその論文において、これらの証明と議論を関連づけている。議論の原則に従えば、他人の議論どうしを関連づける者が論破されることはない。できることと言えば、記述の裏付けを求めることくらいである。一方でシェイフ・ムージブの論駁と反証は、討論や議論の原則に適っておらず、秩序なき支離滅裂のかたまりである。この主題に関していえば、彼に注目する必要はない。

さて、たとえイスラムの宗教がアブラハムの宗教と同一であったとしても、これらが二人の異なった超一級の預言者にそれぞれ属している限り、これらの間には差異はあれども統一はない。しかもこれらは同一ではない。原則はともかくとしても、二次的な事柄においては多くの点で異なっている。

結論として、創始者の違いにより、もしも誰かしら「私はムハンマドの宗教ではなく、アブラハムの宗教に属します」と言う者があれば、その立ち位置は明白である。しかし簡潔に、「私はアブラハムの宗教に属します」とのみ言うことが人々の間に広まり、それが一般の習慣になっている。いくら論文を大量に書こうが、体制がこの表現の使用を禁じようが、無駄なことである。それでも、人はその表現を口にし続けるだろう。そして口にし続けながらも、その表現に「ムハンマドの宗教ではなく」、といった悪しき過ちを付け加えようなどとは、決して思ってもいないだろう。そうしたわけでわれわれは、この表現を良識の範囲でとらえねばならない。そしてその意味については、「起源に敬意を払うならば、私たちはアブラハムの宗教に属していると言える」、と解釈すべきである。

「否、その言葉は間違っている。これらの起源を知る教養ある者であればそう言っても構わないが、しかし一般人はそうすべきではない」などと断定すれば、困難の強制を意味することになろう。いずれにしても、どうせ誰も気にはしない。無駄に他人をいら立たせ、刺戟し、口論に発展するだけである。

これが問題の諸事実である。この表現の起源について書かれた長たらしい本稿とその議論が、学問ならびに神学、法学の観点からは受容可能であり不適切なものではないことは、理解力ある有能な者には十分に伝わるであろう。これをもって議論を終える。本主題については以上である。

 


1. アリー・イブン=ムハンマド・アル=バズダーウィーはハナフィー学派の神学者。1089年サマルカンド没。著作 Usul はその緻密さ、深遠さによってことに有名である。それ以外の彼の著作には、後述のコーランの注釈書 Kashf al-astar がある。

2. アクマルッディーン・ムハンマド・イブン=マフムード・アル=バーブルティーはバズダーウィーの Usul を解説した al-Taqrir の著者。1384没。

3. 「イマームたちの太陽」、シャムス・アル=アーイマ・アブゥル・カーシム・イスマーイル・イブン・アル=フサイン・アル=バイハキー(940-1011)は、ハナフィー学派の法学や伝承に関する著述家。

4. 該当する章句(81節)は以下の通り。「アッラーが預言者たちと約束された時、かれは仰せられた、『われは啓典と英知とをあなたがたに授ける。その後で,あなたがたが持つ啓典を実証するため,一人の使徒があなたがたのところに来るであろう。その時は、あなたがたは彼を信じ、彼を助けなさい』。かれは仰せられた、『あなたがたはこれを承知するか。このことについて、われと固い約束をするか』。彼らは申し上げた、『承知しました』。かれは仰せられた、『それならあなたがたは証言しなさい。われもあなたがたと共に立証しよう』と」。

5. ヌールッディーン・アフマド・イブン・ムハンマド・イブン・ヒドゥル・アル=カーズィルーニー、ファルス(ペルシャ)生まれ。798/1395-6以降没。al-Sirat at-mustaqim li-tibyan al-Quran al-kerim と題されたコーラン注釈書を執筆した。

6. Hanif ハニーフとは、未だ謎の多い語である。コーランにおいてはイスラム以前の、非ユダヤ教徒・非キリスト教徒の一神教徒を指す意味で用いられている。詳論についてはN. A. FarisとHarold W. Gliddenによる The Development of the Meaning of Koranic HanifJournal of the Palestine Oriental Society, Vol. XIX, 1939掲載)を参照。左記の論文においては、この語は「ナバテア語方言に由来するに違いないと考えられる。部分的にギリシャ化したシリア=アラブ系宗教の分派の信者を意味する」と結論づけられている。

7. おそらく、バイダーウィーのコーラン解釈に注釈を施し、1534-39年にシェイヒュル・イスラムを務めていたサアドッラー・サアディー・チェレビーを指す。

8. イサームッディーン・イブラーヒーム・イブン・ムハンマド・イブン・アラブシャー・アル=イスファラーイニー(1537年サマルカンド没)は、ハナフィー学派の神学者、論理学者、文法学者。

9. ビルギリ・メフメト・エフェンディについては第20章を参照。

10. イブラーヒーム・イブン・アル=サーリー・アル=ザッジャージュはバスラの文法学者。923没。

11. アブゥル・カーシム・フサイン・イブン・ムハンマド(1108没)。ラーギブ・アル=イスファハーニーの名で知られる。Mufradat alfaz al-Quran(『コーランの語彙の特異性』)の著者。

該当の語源論は謬説である。milla ミッラはアラム語またはシリア語からの借用。Arthur Jeffery著 The Foreign Vocabulary of the Koran (Baroda, 1938), pp. 268-9 参照。

12. Fiqh akbar 2巻18章からの引用。これについては、第8章の注6を参照。