二十一. スィヴァースィー対カディザーデの論争

『真理の天秤』
著 キャーティプ・チェレビー
訳と解説 G. L. ルイス

 

二十一. スィヴァースィー対カディザーデの論争

シェイフ・アブドゥルマジード・イブン・シェイフ・ムハッラム・イブン・メフメト・ズィーリーは、スィヴァースィー・エフェンディの名で知られ、ハルワティー教団のシェイフであるスヴァースィー・シャムス・エフェンディの代理をつとめる人物であった。イスタンブルにやって来ると、彼の名によって広く知られることとなる修道場のシェイフになった。新たなモスクを建立した際1、スルタン・アフメトは、そこの説教師の地位をスィヴァースィーに与えた。一〇四九年ジュマーダー月(1639年10月)の第二日、彼はこの世を去った。光明に照らされた心を持った、聖者のような七十余年の人生だった。彼はトルコ語でいくつかの作品を書き、またシェイヒー2の筆名で詩作もしていた。説教を行なう前には、聞く者に喜びを与えるその甘い声でファーティハを朗誦したものである。彼の友人たちは、彼にまつわる多くの奇跡譚を語っている。

イマーム・カディザーデ、すなわちシェイフ・メフメト・エフェンディとは、バルケスィルのカーディー、トゥハーニー・ムスタファ・エフェンディの息子である。生まれ故郷でビルギリ・メフメト・エフェンディの弟子から学問の初歩の手ほどきを受けたのち、イスタンブルにやって来ると、教師トゥルスンザーデの下で生徒たちの指導役になった。その次に彼が選んだ専門職は、スーフィーのシェイフである。テルジュマンの修道場(テッケ)でシェイフを務めていたウマル・エフェンディに仕え、精神の浄化に励むようになった。しかしながら、スーフィーの道が自分の気質にそぐわないと知ると、彼は思弁の道を取ることにした。長きにわたりムラド・パシャのモスクで教鞭をとったのち、ビルギリ・エフェンディの息子ファドゥルッラー・エフェンディの後継者として、スルタン・セリム・モスクの説教師の地位を得た。同時に彼は、自宅近くの小さなモスクでも教え続け、伝道師としても教師としても名を馳せた。のちに聖ソフィアの説教師に任命され、一〇四五(1635-6)年、有名かつ徳高き人物として、五十代でこの世を去った。

彼ら二人のシェイフは、互いに正反対だった。めいめいの気質の違いから、彼らの間には闘争が生じた。本書で私が取り上げた論争のほとんどすべてにおいて、カディザーデが一方の側に立てば、スィヴァースィーがもう一方の側に立つという具合であった。両者は、共にそれぞれが極端に走り、どちらの支持者たちも、相手側との口げんかや論争にすっかり慣れきっていた。こういう状況が長年にわたって続いており、二つの党派による議論の嵐が荒れ狂い、無駄な口論の果てに、互いの間には強い憎悪と敵意が育っていた。シェイフたちの大多数が、どちらか一方の側についたが、知性ある者たちは、争いに加わることはせずにこう言った。「これは無益な口論であり、狂信のなせるわざである。われわれはみなムハンマドの共同体の一員であり、信仰上の兄弟であって、そのことにスィヴァースィーからの免状もいらないし、カディザーデからの証書もいらない。彼らは一対の聖職者、互いに反論し合うことで有名になったシェイフであるに過ぎない。彼らの名は、今やスルタンのお耳にも入っている。彼らはそういうやり口で、自分たちの利益はしっかりと確保し、世間で日の当たる場所を得ている。どうしてわれわれが彼らの代わりに戦うなどという愚かな真似をせねばならないのか。それが何の楽しみになるというのか」。

しかしおろかな人々は、彼らのように自分も有名になりたい一心で、どちらか一方の側に執着し、いつまでもしがみ続けていた。あちらこちらの説教壇越しに白熱の舌戦が巻き起こり、あやうく剣と槍でのほんものの戦闘になりかけたところで、スルタンも彼らのうち何名かを罰し、都市部から追放するという形で彼らの横っ面をはたかざるを得なくなった。誰であろうがこうした類いのわめき散らす狂信者どもを、鎮圧し、処罰するのがムスリムのスルタンに課された義務のひとつである。なぜなら過去において種々の退廃を生じさせたのも、こうした好戦的な偏狭さだったからである。

どちらの側であろうと、阿呆どもの掲げる見かけだおしの正義を重要視してはならない。どちらの側にも、勝利を宣言させてはならない。世界の秩序というものは、人間に定めおかれている境界を、人間に越えさせないことによってこそ神の下に達成されるのである。「主の命じるところに従い、主の定めたもう法(のり)を侵さぬ者に神の御慈悲あらんことを」。

 


1. アフメト1世によって建立されたモスクのひとつ。「ブルー・モスク」の名で知られる。1609年に建設が開始され、1616年に完成。

2. 念のため、15世紀の著名な詩人ユースフ・シナンも「シェイヒー」の筆名を使用しているが、別人である。