其の一.

『直観』
著 アフマド・ガッザーリー
訳と解説 ナスロッラー・プールジャヴァディ

 

其の一.

(1) いと高き神は告げたもう、「かれ(神)は彼ら(人々)を愛し、彼らもまたかれを愛する。」1

われらが駿馬2は愛と共に、無からの旅路を進み始めた
合一のともしびは、われらが夜を絶え間なく照らしていた
われらが再び非在へと帰するとき、きみは知るだろう
われらの宗教3が禁じること無きかの葡萄酒ゆえに4
われらの唇がいささかも乾いていないことを
私のために、愛は無より有へと転じた
愛の目的はこの私、世界でただ私だけを愛は求めた
香に芳香が宿る限り、私はきみから離れはしない
昼も夜も、幾月、幾年もきみと共に留まるだろう
悪意ある者たちが、どれほど私を羨もうとも
彼女の愛が私に届いたのは、私が愛を知るよりも前のこと
それゆえ何の屈託も無しに、愛は心の扉を叩いて
しっかりとその場に宿ったのだ

(2) 精神が無から有へと生じたとき、存在の境界において愛は駿馬、すなわち精神を待っていた。存在の始まりにおいてどのような結びつきが起きたのか、私には知る由も無いが、仮に精神がその根源5であるとしたら、その根源の特質とは愛であった。館が空っぽであることを知って、それはそのままそこに住まうことにした。

(3) 何が愛を振り向かせるのか、振り向かせないのか、予測もつかないことである。否、その本質はあらゆる方向を超越している。何故なら愛が愛である以上、向かう先に注意を払う必要など全くないからだ。しかしながら、時 waqt の手がいずれの土地にその水を運ぶのか、私には知る由もない。王の馬に騎乗したのがあぶみの所有者ならば、馬は彼の所有でなくとも、損なわれるものは何もない。「我らがここで話す言葉は、全て比喩に過ぎない。」6

(4) 時には陶器やガラス玉などが、熟達した職人になれるようにと、習い始めたばかりの者の手に渡される。だが時には、知識ある師の手に触れたこともない貴重な輝ける真珠が、穴を穿たれるのを待つ原石のままで、無知な者の手に渡されることもある。

(5) 様々に色変わりする時 waqt のカメレオンが、吐息 anfas の頁上に素晴らしくも虚偽的な行を書きくわえたとしても、その足跡を判じることはできない。カメレオンは水の上をも歩く –– 否、それは空中をも歩くだろう –– そして吐息は、そもそも空(くう)なのだ。

 


1. コーラン5章54節.

2. 「駿馬」とは、すなわち我々の精神を指している。

3. 「われらの宗教」、すなわち、愛の宗教における「葡萄酒 mal 」とは、愛する者による愛される者についての沈思黙考を象徴している。それが通常の葡萄酒とは違い、法によって禁じられるものではないことは明らかである。

4. 明解さを優先し、末尾の二句については翻訳の際に語の順番を入れ替えてある。

5. 「根源」または「無条件の真実在」。

6. これはイスラム暦3世紀/西暦9世紀における高名なスーフィー導師であり、比喩/暗示 Isharat の学問を広めたとされるジュナイドの言葉である。