獅子とけもの達:『カリーラとディムナ』より

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

獅子とけもの達:『カリーラとディムナ』より

多くのけもの達が住まう谷があった。申し分無く心地よい谷だった。ただ一つ、ライオンがしばしば略奪のために谷を訪れるという点を除いては。ライオンは物陰や茂みに潜んで待ち伏せし、気付かずに通り過ぎるけもの達を襲っては連れ去った。そのせいで、緑に満ちた優雅な谷は、けもの達にとって不快な谷になりつつあった。

そこでけもの達は計画を立てた。彼らはライオンの許へやって来て言った - 「あなたが満足出来るだけの食事はこちらでご用意いたします。ですが私達が用意する分以上の餌食を求めるのはやめて下さい、私達を狩るような真似はしないで下さい。あなたのせいでせっかくのおいしい草も、近頃では苦く感じます」。

「良かろう」、ライオンは答えた。「だがおまえ達が正直かどうかを確かめなくてはならん、嘘つきばかりの世の中だからな。人間どもを見るがいい。やれザイドが騙した、やれバクルに騙されただのと絶えず大騒ぎしている。陰謀や悪意にはうんざりだ、蛇に噛まれたり蠍に刺されたりするのは御免だ。

だが陰謀や、それと分かる悪意よりもなお悪いのは、こっそり隠れて隙を狙う無自覚の欲望だ。預言者の言葉を知っているか? - 『信仰者は同じ過ちを二度繰り返さない』。おれの耳はこれを聞き、おれの心と魂はこれを固く守っている」。

けもの達は口を揃えて言った。「多くの知識をお持ちなのですね、賢者様。あまり警戒なさらないで下さい。第一、どれほど用心したところで、神が一声お命じになれば全てが水の泡。疑り深くなってみても、良い事なんて何もありません。心配や悩みを増やすよりも、試しに、全てを神にお任せしてみちゃあいかがです?神を信じた方が良い事だってありますよ。

「それにしても、運命とまともに向き合おうだなんて。気性が荒いというか激しいというか。まあともかく、運命に喧嘩を売るような真似はなさらない方が身のためですよ。万が一、運命が喧嘩を買って出たら、あなた、どうなると思いますか。神の思し召しによって、どちらか一方が死ぬに違いありません。黎明の主のご加護(コーラン113章1節)を求めたところで、死んでしまえばおしまいですよ」。

「うむ」、ライオンは言った。「神を信ずることこそが真の導き、それは確かにその通りだ。だが同時に、目的地へ辿りつくための手段として、預言者のسنة‎(スンナ:法則)がある。預言者は大きな声で仰った、『神を信じ、神に祈れ。だが同時に、汝の駱駝を繋いでおけ』とな。

そして、聞け、預言者はこうも仰った、『稼ぐ者、働く者を神は愛し給う』とな。 - この言葉は重要だ。神を信じるということは、頭を使わんで良いということではないぞ。手段や方法に無頓着であっても構わない、ということでは決してないぞ」。

けもの達の仲間はライオンに答えて言った - 「稼ごうと努力すること自体、そもそも欠けてるものを埋めようという行為じゃありませんか。どれだけ知恵を働かせようが、足りない頭ではそれ相応の結果しかついてきやしません。小鳥が、くちばしに見合った分しかついばむことが出来ないようにね。そもそも、我々をか弱くお創りになったのは神様ですよ。

『働け』と仰るのなら、神様を信じることほど大切な仕事はありませんよ。『努力しろ』と仰るのなら、神様の定めた運命に従って、全てを委ねることほど優れた努力もありません。大体、努力と言ってみたところで、結局はこっちの悩みの落とし穴から抜け出して、あっちの悩みの落とし穴に落っこちるぐらいが関の山。蛇を見つけて慌てて引き返した途端に、竜と鉢合わせするようなものです。

人間どもをご覧なさい。次から次へと、色々なものを考案したり発明したりして得意げになっているけれど、結局はどれもこれも自分を嵌める罠になっているではありませんか。生命を賭けた大仕事のつもりが、生き血を搾り取って生命を破壊する道具にしかなっちゃいない。あれでは、自分で自分の首を絞めているようなものだ。

敵をお屋敷に残したまんまで、扉に鍵をかけようと言うんですから馬鹿馬鹿しいや。ファラオの物語をご存知でしょう?あれなんぞは良い教訓です。執念深いあの男(ファラオ)は、何十万人もの赤ん坊の首を刎ねました。ところが探し求めていたたった一人の敵(モーセ)は、何となんと、自分のお屋敷に住んでいたというわけです。

いくら用心に用心を重ねたところで、私達に見えるものなんてたかが知れています。あなたご自身の考えなんていうものは何の役にも立ちはしません。物事を見るなら、自分自身の眼ではなく友(神)の眼をもって見るようにしなくては。御方の眼こそは私達のためにあるもの - 何て素晴らしい恩恵でしょう!御方の眼を通して物事を見れば、欲しいもの全てを見つけることだって出来るのですから!」。

けもの達は続けて言った - 「子供の頃を思い出してみましょうよ。走ることも出来ないし、何が何だか分かっちゃいません。どこでどうすれば良いのかも分かっちゃいませんが、お父さんの首にしがみついていればともかく万事安泰、それが子供というものです。

それがどうです!大人になって手も足も自在に動かせるようになって、あれだのこれだのに手を出すようになると、たちまち厄介な事や面倒な事、とんでもない不幸に巻き込まれるようになってしまいます。手足よりも先に創られたのが魂というもの。人間の魂だって、手足が生えるその前は、それはもうとびっきり清浄で純粋なものでしたよ。

それなのに、神様に『汝ら、降りて地上へ行け(コーラン2章36、38節)』と命じられた途端に、怒りや欲望に手を染めるようになってしまいました。私達は主の子供みたいなものです、乳を欲しがって無く赤子みたいなものです。預言者だって仰ってるじゃないですか、『人と神とは家族である』と。

御方は、そのお慈悲をもってすれば、天から雨を降らせることもお出来になるのですよ。私達にパンを与えることだって、雑作もなくお出来になるでしょうよ」。

「うむ」、ライオンは言った。 - 「だが汝らが今言ったことと同時に、我らを統べる主は、我らの足許にひとつの梯子を置き給うた。一歩づつ、一段づつでも、梯子づたいに頂上へ目指せとの主の思し召しだ。この梯子を目にしながら『誰かが替わりに登るだろう』と放ったらかして、愚にもつかぬ戯れに興じている。そういう汝らのような者共を宿命論者というのだ。

汝らの脚はどこにある。脚を与えられていながら、それを使わぬ理由があるか。汝らの手はどこにある。手を与えられていながら、それを使わぬ理由があるか。無言の主人が下僕の手に鍬を持たせたなら、主人の舌から言葉が転がり落ちずとも、下僕の為すべき仕事は知らされたも同然ではないか。

汝の手を鍬と思え。御方から、暗黙のうちに命じられている御しるしと思え。無言の言葉を思索する能力、思想を紡ぐ能力も同様だ。汝が御方の御しるしを心の裡に受け入れるならば、その後は御方の意志をまっとうすることに一生を捧げて過ごすようにもなるだろう。

隠された奥義を理解するために、御方は多くの御しるしを示して下さる。おまえの背負う重荷を取り除き、替わりに権限を明け渡して下さる。重荷を背負うのは苦しくはないか?御方は取り除いて下さるぞ。御方の命令は届いたか?受け入れよ、そうすればおまえを受け入れて下さるぞ。

御方の命令を受け入れたならば、おまえは御方の代理者となろう。おまえが求めてやまぬ御方との合一もまた、おまえの求める通りになろう。自由意志とは、御方の恩恵に感謝する努力の術に他ならぬ。自由に振る舞う力を与えられたことに感謝すればするほど、おまえの力も増すだろう。 - この神聖なる贈り物を、おまえの手から取り上げてしまうのが宿命論だ。

おまえの語る宿命論は、旅の途上で眠りこける事にも等しい。眠っている場合か!眠るな、眠りこけて御方へと至る門を見ずにいたのでは、後で泣くのはおまえなのだぞ。用心せよ、用心せよ!眠るな、不注意極まりない宿命論者どもめ。おまえがもたれて眠るその木の枝に、恩恵の果実がたわわに実っているとも知らずに。

見ろ、風が大木の枝を揺らして果実を落とすぞ。果実はおまえの喉と心を潤し、おまえの旅を助ける糧にもなるだろう。宿命論者という輩は、追いはぎ共のただ中で眠りこけるも同然のことをやらかす。旅立ちの時を逃した鳥が、どうして目指す土地に辿り着けるだろうか?

御方の御しるしをそれと知りながら鼻であしらう時、おまえは自分の振る舞いをいかにも男らしいと考えている。だが更に深く考えるならば分かるはずだ、それは浮気女の振る舞いであると。おまえのちっぽけな理解など捨ててしまえ!何の役にも立たぬ。 - 知っているか?おまえのちっぽけな理解こそが、おまえの頭をおまえ自身から切り離すことを。

おまえ自身から切り離されてしまえば、頭と尻尾に何ほどの違いがあろうか。忘恩は不正と不義を連れて来る。そして忘恩の者を火獄の底へ連れて行く。神を信じるのならば、おまえの役目を果たせ。神を信じるのならば、おまえの為すべき仕事を通して信ぜよ。  - 種を蒔け、全能の御方に祈るのはそれからだ」。

そこで(けもの達)全員は、口々にライオンに対する恨みがましい非難の声をあげた。「そら、そら!あなたが蒔いたその種、強欲な者達が蒔いた意地の悪い種、それこそが問題の発端なのですよ。数えようにも数えきれないほどの男達、女達がさんざん種を蒔き散らしてきました。それが良いことだと仰るのなら、彼らが収穫を得るどころか、自らの運命まで刈取られる羽目に陥ったのは一体どうしたことでしょう?

世界の開闢以来、いつの世においても、竜の顎のように口をぱっくりと開ける貪欲な人々がありました。自由意志っていうのは、賢い人々の思いつきから生じた策略みたいなものですよ。そんな大それた権力でもって、一体何をなさろうと言うんです?山を根こそぎひっくり返そうとでも?。

彼らの策略については、壮麗なる御方も語っておられますよ。彼らの狡猾さについて、御方はこう仰ってます - 『山の頂上をも変えるかも知れない(コーラン14章46節)』とね。『だがそれも、すでに来世において定められた範囲でのみの変化に過ぎない。彼らの陰謀も悪行も、定められた物事を何ひとつ変えることは出来ない』、ってね。

百獣の王よ、仕事などというものは限りなく無に等しいものです。あなたを蝕む悪い知恵を捨てておしまいなさい。努力などというものは限りなく無に等しいものです、百獣の王よ。夢想は今すぐ捨てておしまいなさい!」。