『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
イブリース、最初に啓示を類推した者
開示された神の光の数々を目の前にして、それらを細切れに分断し、自分勝手な類推を披露してみせた最初の人物とは、誰あろうイブリースであった。彼は言った、「泥土よりも、火炎が優れているのは疑う余地も無いこと。そして私は火炎より創られ、彼(アダム)は泥土から創られた者。
さあ、両者を比べて優劣を決めようではないか。誰の目にも明らかだろう、彼は暗闇に属する者、そして私h光明に属する者」。 - これを聞いて神は言いたもう、「否。汝が対比してみせた二つの事象と優劣には、何の関連も無い」。
それはあなた方自身の手によって、あなた方自身が築く(神との)関係の中から獲得せねばならない。霊的な財とは、そうしたものである - それこそ、預言者達が遺した財である。信じる者とは、すなわち霊的な財を継承する者のことだ。
(預言者の敵であった)アブー・ジャフルを父としながら、その息子達が真に信じる者となったことは、誰もが知るところである。同時に、預言者ノアを父としながら、その息子が道を外れた者の一人となったことは、これもまた誰もが知る通り。
- 「地上に住まう泥土の子(アダム)は月のよう、光を受けて照り輝いている。だが火炎の子(イブリース)よ、汝の顔は不名誉の煤で汚れている。さあ、立ち去れ!」。
影も見えぬほど曇った日や、光無き暗い夜ならば、キブラ(※礼拝の方角)がどこかを調べるために、賢者達も理知を用いるだろう。しかし太陽が燦々と輝き、目の前にカアバが見えるときに、議論の余地などありはしない。探求に興じるよりも、目の前のカアバに顔を向けるべきだろう。
カアバが見えないふりなどするな、真理から顔を背けるな。理知とは、そうした用い方をするために与えられたものではない。神は最も良くご存知である。
神の鳥がさえずるのを聞いて、あなた方はその音色を真似て暗記する、まるで習い事か何かのように。それから自分の頭の中で、自分の知識の範囲内で、あれやこれやの類推に耽る。気紛れに留めておけばまだよいものを、あれこれ並べ立ててあたかも真実であるかのように見せかける。
アブダール(神の友)達は、教条的宗教がいかに無意味であるかについて、情感を重んじる神秘主義者の立場から明確に表現してみせた。だがあなた方は鳥の言葉の、ただ音色のみを習ったに過ぎぬ。それでいて百の憶測、百の気紛れを、思いつくままにまき散らして平然としている。
それがどれほど(聖なる)人々の心を傷つけていることか。病人を見舞ったあの隣人と、寸分も違わない。隣人の振る舞いに、病人が傷ついて葛藤するとき、隣人は自分を成功者と思い込み、無益な考えに酔って大はしゃぎしている。
啓示の言葉を書き留めた者は、ただ鳥の声を聞いただけに過ぎぬ。決して鳥と同等ではない。鳥が翼を広げて羽ばたけば、それはそのまま目隠しともなる。目隠しされれば、足元の穴も見えなくなる。気付けば、奈落の底へ真っ逆さまだ。 - 「用心せよ、用心せよ!世には多くの意見や解釈が存在する。惑わされるな。だまされるな。汝らの天与の尊厳を、決して手放すな。
ハールートよ、マールートよ。汝ら、高い位階にある者(コーラン37章165節)よ。汝らを高き天窓に配したのは、地上の者を見下すためではない。悪人が悪事を働くとき、発揮するべきは慈悲の心だ、我欲や自惚れでは断じて無い。用心せよ。さもなければ、わが嫉妬は茂みの中から汝らを襲い、汝らを真っ逆さまに地底へと突き落とさねばならぬやも知れぬ」。
両名の天使は答えた、「おお、神よ!あなたこそはお命じになる御方。一体、御方の守護の他に、私達を守護するものがありましょうか」。彼らはそのように答えたが、しかし遅かった - 彼らの心の中には、既に欲望の炎がとくりとくりと脈打ち始めていた。
「私達の為すことが、悪であるはずが無いではないか。何故って私達は、神の善きしもべなのだから!」。それは本当に、針の先でつついた点ほどの、小さな小さな炎であった。しかし一度燃えた炎は、彼ら双子の天使の心の中に、自惚れの種を蒔くまで消えることは無かったのである。
彼らは考えた - 「馬鹿な!四つの元素を介さねば『在る』こともかなわぬ地上の者に、気高い精神など宿るはずがない。ヒトは何も分かっていない。ヒトに、魂の純化など出来るはずがない。私達は天空の幕を預かる者。昼は光の幕をひき、夜は地上を覆う天蓋を用意する者。
私達は幕をひこう。そして地上に降り立ち、それからヒトの眼前で、再び幕を上げてみせようではないか。ヒトの目に、正義とは何かを見せてやろうではないか。真の崇拝の光を、見せてやろうではないか。そうすれば、私達は地上のヒトの間に不思議の伝説として語り継がれるようになるだろう。私達の伝説が、彼らを悪から守り、地上に平安が訪れるだろう」。
- さて。果してハールートとマールートの二人がどのような伝説を残したのか、それは皆が知っている通りだ。彼らの、天と地に関する理解には大きな誤りがあった。天と地を捉えるのに、彼らの視点には大事な『何か』が欠けていたのである。