『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
続)砂漠のベドウィンと、その妻の物語
- 「その詐欺師とやらは、うぬぼれのせいで魂が欠けちまったんだろうよ。ちょうど私ら夫婦が食べるものも無く、痩せこけちまったのとおんなじさ!だけど私らはそんなろくでなしとは違って、自分の貧しさを取り繕ったり隠したりはしないよ。欲しいものは欲しいと正直に言うさ、他人からどう思われようが構うものか。世間の評判なんぞで、腹はふくれやしないんだからね!」。
- 憤るベドウィンの妻。夫が、何かを説きはじめた。夫の言い分を聞いてみるとしよう。
「金、金、金。何だっておまえは、いつもそう金の話ばかりするのだ」、夫は言った。「大体、私らは二人とも、すでに人生も半分以上を終えたようなもの。お迎えを待って死ぬ以外に、しなくてはならないことなど無いだろう。きれいもきたないもあるものか、無駄なことなど何ひとつないのだ」。
息を吸うにしろ吐くにしろ、もっと大事にしたらどうなのだ。
そんな当たり前のように、無造作に息をするな、
息をしなけりゃ私らなぞ、あっと言う間に死ぬのだぞ。
見てみろ、地上にいる沢山のいきもの達を。
本当にあいつらときたら、楽しく愉快に、自由に生きているじゃないか。
高い木の枝にいる鳩の群れを見てみろ、あいつらだって、
いつでも餌にありつける保証なんぞどこにもない。
それでも毎日、神に感謝して生きているじゃないか。
ナイチンゲールだってそうだ。
毎夜、神を想って歌を歌うじゃないか、 -
『祈りを聞き届けたもう御方よ、われらはあなたに全てを委ねます!』
鷹だってそうだ。王の腕を喜びの止まり木と心得て、
捕えた獲物は全て王に捧げ、分け前を寄越せなどと言ったりはしない。
ブヨから象まで、あらゆるいきもの達に同じことが言える。
皆が皆、神に全てを委ねている、必要なものは全て神から頂戴する。
いきもの達は神の家族だ -
そして神は、本当に家族を良く養って下さっているじゃないか!
私らの胸中にわき起こる嘆きなど、何の意味も無ければ価値も無い。
よくよく見ればその正体は、私らという存在の砂埃が、
私らの欲望の風に煽られて舞い上がったというだけのこと。
こうした嘆きは私らにとり、何もかもを台無しにする死の大鎌のようなもの。
『悲しかろう?辛かろう?』と、ひっきりなしに私らの耳元で囁き、
私らの気をあらぬ方向へ引っ張っていこうとする - まさしく悪魔の誘惑だ。
知っておけ、ありとあらゆる痛み、苦しみは小さな死のかけらだ。
逃げられるものなら、追い払えるものなら、やってみるがいい。
こんなちっぽけなかけらであっても、私らにはどうすることも出来やしない。
- そしていつかは、ちっぽけなかけらどころか、
ほんものの死が丸ごと私らの上に注がれるのだぞ。
だがもしも死のかけらが、おまえにとり甘いものとなったなら、
やがて訪れるほんものの死も、神はおまえにとり甘いものとして下さるだろう。
覚えておけ、痛みは死の許から送り届けられた死の使者だ。
それなのに、死の使者を疎んじて顔を背けようなどとは!
一体、おまえはどこまで愚か者なのだ。
浮かれて楽しく、面白おかしく一生を過ごした者ほど、
やがて訪れる死は苦痛に満ちたものとなる。
肉体の快楽を求めた者に精神の快楽は与えられまい、その魂も救われはしまい。
羊もいつかは草原から追い立てられ町へ、市場へと連れて行かれる。
肥えた羊ほど、他の誰よりも先に屠られ殺されるもの。
- さあ、もう夜も明ける。やがて朝日も昇る。
わが妻よ、おまえはこの先もずっと、金の話を続けるつもりかね?
若かった頃のおまえは、もっと生き生きとして満ち足りていた。
今のおまえは財を求めて血眼になっている、
けれども以前なら、おまえ自身が貴重な財であった。
果実を沢山つけた木の枝のようだったおまえに、一体何が起きたのか?
時が経てば、果実は熟して甘くなるもの。
ところがおまえの枝ときたら、何もかも乾いて枯れてしまったかのよう。
糸の束をよじって綱を作る職人達のように、おまえは流れる時間をよじった。
だが職人達とは違い、良からぬ方向へ行ってしまった -
愛するわが妻よ、私がこれから言う事を良くお聞き。
私達はお互いに、全く同じくらい価値がある。
一対の夫婦として、それが自然なことなのだよ。
結ばれたもの同士、いつでも互いに調和していなくては。
一対の履物、一対の長靴を見ればわかるだろう。
片方が小さ過ぎて、足を痛めつけるようならば、
もう片方だって何の役にも立たないことになる。
両開きの扉も、左右同じ大きさであればこそ扉。
密林の狐が、獅子と褥を共にするなどあり得ぬ。
砂漠を渡るラクダの荷も、常に左右は同じ重さ。
私は私の強い志ひとつで十分に満ち足りている - それなのに妻のおまえときたら、
どうしてそんなところで立ち止まり、自分を損ねるような真似をするのか。
人生に満足しきっている様子の夫は、このような話しぶりで妻を諭した。誠実さと情熱が彼を突き動かし、日が昇っても彼は熱心に語り続けて留まることがなかった。「もう沢山!」、妻が悲鳴をあげた。「あんたに都合の良い話ばかりをだらだらと続けて。その上、あんたの方が私よりも信仰の格が高いと言わんばかり。でもねえ、あんた。どれほど言葉が正しかろうと、そんなのは口先だけじゃあないか。
あんたの信仰がそんなに上等なら、口先だけじゃなく行為で示しておくれよ。神様だって、あんたみたいな男のことはよくご存知さ、『なぜ自分の行なわないことを口にするのか。行なわないことを口にすることは、神のもっとも憎悪したもうところである(コーラン61章2・3節)』」。妻は夫に向って叫び続けた。
あんたの話なんて、これ以上一言だって聞くものか。
敬虔そうなふりをして、信心深い男と呼ばれたいだけのくせに。
身勝手なあてずっぽうで、もったいぶった話をするのは金輪際やめておくれ。
あんたは私に、まじないをかけようとしてるんだ。
話をするなら、うぬぼれや傲慢さを捨ててからにしたらどうなんだい。
借りてきたような嘘っぽい言葉ばかり並べて、
肝心の中身なぞまるで無い話を、一体いつまで続けるつもりなんだい?
思い上がるのもいい加減にしておくれ、自分をよく見てごらん!
うぬぼれほど醜いものはない、ましてやそれが乞食なら尚更のこと。
雪の降る日はただでさえ寒いのに、
その上びしょ濡れの衣なぞ誰が欲しがるものかね。
うぬぼれの長話をいつまで続けるつもりだい。
あんたの長話が終わるのが先か、
蜘蛛の巣よりもか弱いあんたの家が壊れるのが先か。
魂の救いだって?満ち足りてる、だって?
一体いつ、あんたの魂にそんな好いことがあったと言うんだい。
魂だの、満ち足りてるだのってしゃれた言葉を習ったものだから、
ちょっと使ってみたくなっただけのことじゃないか。
預言者だって仰ってるよ、『満足とは何か?それは宝だ』とね。
痛みや苦しみから、どうあがいたって宝なぞ得られやしないんだ!
満足があってこそ、精神の快楽だって、魂の宝だって得られるというものさ。
痛みや苦しみを後生大事に抱え込まなくちゃならない正当な理由が、
教えておくれよ、一体どこにあると言うんだい!
『妻よ』だなんて呼ばないでおくれ、味方だなどと思わないでおくれ。
私は正義を夫にした女だ、詐欺師と結婚したおぼえはこれっぽっちもないよ。
空飛ぶイナゴを捕まえては、食うためにその静脈を切り裂くような生活で、
あんたはどんな顔をして、将校様や君主様にお目もじするつもりだい?
投げ捨てられた骨を犬と争って奪い合う身じゃないか、
葦で作った笛みたいに、おなかは空っぽの身じゃないか。
- 本当のことを言っただけさ。
そんなふうに、軽蔑したような目で私を見るのはやめておくれ。
そうでなけりゃ、あんたが隠してるあんたの間違いを、
大勢の前で全部、全部ぶちまけてやるんだから!
あんたは自分の方が賢いと思い込み、私があんたより劣っていると決めつけた。
だけど実際はどうだろうね?よくごらんよ、この私を。
本当に物事が分かっていないのは、あんたと私、どちらだと思うんだい?
- やめておくれ!後先を考えない狼みたいに私に飛びかかるだなんて。
本当にどうかしているよ。あんたの方が賢くて、私の方が愚かだと言うのなら、
賢くなんかならなくとも、愚かでいた方がよっぽどましさ!
何故ってあんたの言う賢さなんか、
あんたの手枷、足枷にしかなっていないじゃないか。
一体、それのどこが賢さだっていうんだい?
害にしかならないだなんて、まるで蛇や蠍じゃないか。
神様が、あんたの不正と虚偽を敵とみなして滅ぼしたまいますように!
あんたのばかげた考えが、これ以上私達を傷つけませんように!
一人芝居に巻き込まれるのは御免だよ。
あんたは蛇で、同時に蛇使いの男。
一人二役を演じているのさ、ご立派なこと!
あんたは蛇で、同時に蛇を捕まえる男 - とんだアラブの名折れだよ!
カラスだって、自分の醜さを知ったら、
痛みと悲しみで雪みたいに溶けて消えちまうだろうに。
- 蛇使いはまじないを唱える、戦の場で敵にそうするように。蛇使いは蛇にまじないをかけたつもりでいる。けれど蛇は蛇で、蛇使いにまじないをかけ返しているのだ、蛇使いも知らぬうちに。まじないが効けば、蛇は一生蛇使いから離れない。効かなければ、蛇使いは蛇の餌食になるしかない。
強欲な蛇使いは、自分がこの蛇を操っていくら稼げるか、そればかり勘定している。だから蛇にかけられたまじないに気がつかない。蛇は言う、 - 「ご用心、ご用心!蛇使いよ、おまえは私にかけたまじないの効き目にばかり気を取られているが、それこそが、私がおまえにかけたまじないの効き目なのだ。
おまえは私を怖じ気づかせ怯ませるために、ただそれだけのために、いたずらに神の御名を口にした。私が我が身を恥じておまえに捕えられたのは、おまえの伎倆が素晴らしかったからでもなければ、おまえのまじないが強力だったからでもないぞ。ただただ、私が神の御名を畏れたからだ。
この身、この心の全てを神の御名に捧げ尽くしている私を捕えるために、おまえは神の御名を罠として利用したのだ。その代償が高くつくぞ!卑怯者め、恥を知れ!私の牙で、おまえのつまらぬ一生にへばりついた静脈を切り裂いてやろうか。それともおまえが私を閉じ込めたように、おまえの妻をおまえの牢獄にしてやろうか」。
- 延々とこの調子で、妻は荒れた言葉の数々を、まだ自分で言うほどにも老いてはいない年齢の、彼女の夫に浴びせ続けた。「言うに事欠いてファキール(「貧者」の意、転じて托鉢の修行者を指す)を侮辱するとは!」、夫はたまらず言い返した。「おまえの浅はかな考えや気まぐれだけを根拠に、困窮に甘んじる貧者をののしるのは許されることではないぞ。貧しさに眼を奪われるな、神の御業にこそ眼を奪われろ!」。
おまえは恐ろしい女だ。いや、おまえはそれでも本当に女か、わが妻よ。
『貧しさは我が身の誉れなり』と、私らの預言者も仰っているのを忘れたのか。
乱暴な言葉で、私を鞭打つのはやめてくれ。
富や財というものは、頭にのせる帽子のようなもの。
帽子に逃げ込むのは禿げ頭と決まっている。
美しく縮れた巻き毛を持つ男なら、帽子など無い方が幸福だ。
神の人とは、眼のようなもの。神の光を捉えるためにも、
その視界がヴェイルで遮られるようなことがあってはならぬ。
奴隷商人達は、値踏みするのに奴隷の衣服を全て脱がせる。
衣服を身につけていたのでは、傷の有る無しが隠されてしまうからだ。
だが傷を持つ奴隷を売りつけようという時には、逆に奴隷を衣服で包み隠す。
それから金持ちの客に向ってこう言うのだ、 -
『旦那、この奴隷は善悪や道徳を心得ております』
『着ているものを無理に脱がそうとすれば、あっというまに逃亡しますよ』
彼らは、耳元まですっかり悪徳に沈んでいる。
彼らは金だけは持っている、その金が、彼らの悪徳の埋め合わせになるのだ。
それで彼らは、沈んだきり浮かんでは来ないのだ。
欲望の奴隷となった者には、自らの犯す過ちが見えなくなってしまっている。
彼らの主人である欲望が、彼らの心を余すところなく占めているからだ。
物乞いする貧者が、鉱山の奥深くに眠る純金のように価値ある言葉を口にする。
だがそれが、どこかの店先で売買されることなど決して無い。
彼の言葉、彼の品物は、市場へと至る道を通らない。
彼、すなわちダルヴィーシュの『商い』は、
おまえの理解を超えたところで行なわれているのだ。
- おまえは身の貧しさばかりを不安がる。
だが本当に不安がるべきなのは、心の貧しさ、魂の貧しさではないのか。
貧しさというものは、おまえがするように安易に軽蔑していいものではない。
ダルヴィーシュ達の築いた地位や財が、おまえには見えていないのだ。
彼らの取り分として神が用意したもうた恩寵は、有り余るほどに豊かなのだよ。
いと高き神は公正な御方。
公正の上にも公正な御方が、貧しき者、弱き者を相手に、
暴君のごとく理不尽に振る舞うはずがないだろう。
真に脈打つものは、御方を恋い慕う者の心臓だけ。
それともおまえは御方が、あちらの者には欲するものを欲するだけ与え、
こちらの者には炎しか与えない、とでも言うのか。
違う。その炎は、彼ら自身から生じたものだ。
天空と大地の両方の創造主についての、
彼ら自身の邪悪な憶測が彼らを焼き滅ぼすのだ。
- 『貧しさは我が身の誉れなり』という言葉は、
果たして間違っているだろうか?
その言葉は、驕りから生じたものだろうか?
違う、断じて違うぞ。
その言葉に、幾千もの秘められた歓喜と謙譲があるのが分からないか。
- 「怒りにまかせて、おまえは私にあだ名を投げつけた。おまえは私を詐欺師と呼び、蛇使いと呼んだ。もしも私が蛇使いなら、まじないなどよりも、さっさと蛇の牙を抜き取るよ。蛇の牙は、蛇自身の敵でもあるのだから。私はまじないを唱えたことなど一度たりともない、ましてや自分の欲望のためになど。もう随分と前に、私は私の欲望を裏返し、その手足を鎖につないでしまったのだ。
神よ、赦したまえ!私は、こちら側の世界にある被創造物には何ひとつ望まない。欲するのはただ心の平穏のみ。これだけが、私をあちら側の世界へと連れていってくれる。 - 梨の木のてっぺんによじ登り、自分以外の全てを見下してやろう、軽蔑してやろうと必死に構えているおまえ。無理をしてそんな高いところにしがみついているから、悪いめまいなんぞに襲われもするのだ。
さあ、早くそこから降りて来い。おまえは世界がぐるぐると廻っていると思い込んでいる。だが降りてきて大地を踏めばおまえにも分かるだろう、わが妻よ、廻っているのは世界ではなくおまえの方だよ」。