『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
アダムがイブリースに対して抱いた優越感について
ここでひとつ、アダムがイブリースを嘲笑した時の話をしておこう。その日、アダムは叱責され非難されるイブリースを見た。彼の目に、軽蔑の色が浮かんだ。イブリースを価値無き者と見下したのである。アダムの振る舞いに尊大な自惚れがにじみ出た。呪われた悪魔の苦境を見てこれを嘲笑し、自分こそは価値有る者と考えた。
するとたちまち、彼に向って大音声が投げかけられた。神の嫉妬の咆哮である。 - 「選ばれし者よ。主の定めたもう摂理の全てを、汝が知るとでも思うのか。隠された秘密があることを忘れるな。御方がひと皮剥ぎ取って裏返しにすれば、最も堅牢な信仰の山も麓から根こそぎ崩れ落ちよう。
一瞬のうちに、百人のアダムを丸裸にして恥辱を味わわせることも出来よう。また一瞬のうちに、百人の悪魔に新たな生を授け、ムスリムたらしめることも出来よう」。「このようなものの見方をしたことを改悛します」、アダムは言った。「二度と不遜な目で見たり、思ったりすることのないように努めます」。
主よ、助けを求める者に助けを、救いを欲する者に救いを!「主よ、ひとたび導きたもうた以上は、私どもの心を迷わさないで下さい。みもとから慈悲をお与え下さい(コーラン3章8節)」、筆によって記された災難が降りかかることの無いように。定めたもう悪を、私達の魂から取り除きたまいますように。隔てたもうな、御方との別離ほど苦痛に満ちたものはない。
御方の守護無くして、困惑以外の何が残されようか。現世に属する物事は、来世に属する物事を私達の手から奪い去る。私達の身体が、精神の衣装を私達の魂から剥ぎ取る。善きものの方へと進む私達の足を、悪しきものを貪ろうとする私達の手が引っ張る - 御方の守護無くして、どうして魂を守れようか。
たとえ御方の守護無しに、魂の危機から抜け出せたとしても、恐怖と不安の中から抜け出すことまでは出来ぬ。愛する者との合一に欠ける魂は、自らが不完全であることを知っているのだ。生きながら死せるごとく、何ひとつ見ることもかなわず、永遠の孤独に取り残され、青ざめてすすり泣く。
たとえ魂を守っているつもりでも、御方よ、あなた無しの魂は生を持たぬ。どうして一人ぼっちで、死んだ魂を抱えてなどいられようか。御方よ、叱るなり責めるなり存分に召されよ。あなたのしもべを、あなたの思うままに為されよ。全てはあなたの望みのまま、それこそがあなたにふさわしい。
太陽と月を残滓に過ぎぬと仰ろうとも、直立する糸杉をねじ曲がっていると仰ろうとも。天と空とを低き者と呼ぼうが、山と海とを貧しき者と呼ぼうが、 - 全て、全てあなたの仰る通りだ、あなた以上に完全な者などいないのだから - 死を生に、無を有に、俗を聖に転じたもう御方よ。
御方は破壊もて創造したもう。引き裂いたのちに、再びひとつに縫い合わせたもう。秋の訪れごとに庭を燃やしてこれを枯らしめ、その後に薔薇を育て、庭を再び花の色に染める。「汝ら衰えし者よ、来たれ、よみがえれ。新たな生を得て美を示し、美を知らしめよ」。盲いた水仙の花も、御方によってその目に再び光を取り戻す。喉かき切られて声を失った葦も、育まれて再び声を取り戻す。
私達は全て神により創られしものであり、創りしものでは無い。自らをこれと定義する権利も無ければ、これに成る、などという力も持たない。その力を持つは創りしものたる御方のみ。創られしものたる私達に出来ることと言えば、慎んで控え、与えられた役割に満足することだ。 - 私達はみな肉体を持っている。肉体の抱く情欲を満たそうと、日々忙しく立ち回る。
御方よ、あなたが私達を呼ぶ声が無ければ、私達はいつまでたってもアフリマンのままだ。アフリマンの状態から私達を救いだせるのはただ御方のみ、盲いた私達の魂を救いだせるのはただ御方のみ。御方よ、生きるもの全てを、それぞれにふさわしい道へと導くのもただあなたのみ。
目の見えぬ私達の手を引いて導く者無しに、どうして道を知るだろう?杖無しに、どうして道を進めるだろう?あなたからもたらされるものを除けば、酸いも甘いも全てヒトを滅ぼす火種でしかない。火をもてあそび、火を隠れ処とするのはマギ、ゾロアスターの倣いである。全ては無に帰する、ただアッラーを除いては。
まことにアッラーの恩寵は雲のよう - 尽きることなく、絶えず流れ続ける雲のよう。